竜人族の彼女

 希少な竜人族の遺産であるアネッタは、その希少性を買われて世界政府の下で保護をされている。しかし、実のところ保護とは外面の良い表現で、実際には管理されているという表現が正しいのかもしれない。赤ん坊の頃に保護をされて以降、彼女に関する記録は今も尚続いている。

「十一月一日……ええっと……カク、この日の天気ってなんだっけ」
「晴れじゃな」
「二日は?」
「二日は……あぁ、その日は雨じゃったな。外に遊びにいけない~と喚いておったじゃろ」
「喚いてないが……?」
「わはは、喚いとった喚いとった」

 言いながら、怒り封じに包みを開いた棒付きの飴を唇に押し付ける。案の定甘いものに目がない彼女は渋々といった様子で受け取って、もう一度視線を落としたがその日付はもう五日以上前のものだ。日付に天気、その日の体調。記録帳の表紙には三百五十二と言う数字が振られており、これまで記録してきた年数が伺える。
 ……まぁ、確かにここ数日は多忙で、暗殺稼業での繁忙期だなんて世も末だと話したものだが、それにしたってもう少し何かメモに残しておくとか、天気だけでも記載するなりしておけばよかったのに。カクは思いながらも続く天気の質問に答え続けた後、ペンを握る手に見える白い筋を見て、そっと手を掬いあげた。

「……おお、脱皮の時期か」

 竜人族とは人が竜に化けるのではなく、竜が人に化ける事の出来る種族だ。だから彼女の心臓は人ではなく竜に寄ったものであることから、爬虫類に属する彼女は稀に脱皮をする事がある……のだが、稀に起きる事象は全て世界政府の研究機関に報告すべき事項であり、彼女が脱いだ皮は提出しなければならないと決まっている。
 それを酷く嫌っている彼女は表情を曇らせ、複雑そうに尋ねた。

「……脱皮してるってわかる?」
「わしはな」
「じゃあもうちょっと誤魔化せるかな……」
「誤魔化したとて、最後には提出せんといかんぞ」
「エェン、分かってるよー……」

 頭が垂れて、ゴチンと机に頭を打つ。カクは構わずといった様子で手の甲にある白い筋を撫で、皮を少しだけ剥いてみる。みかんの皮を剥くのはあんなにも面倒に思うのに、どうして脱皮の皮むきは夢中になれるのだろう。日焼けしたときと同じような薄皮は、剥いたところで痛みを発する事も無いと聞くが、カクに向けられる視線は刺々しい。

「もお!カクはどっちの味方なの!」

 彼だけは味方であってほしい。身勝手な考えでアネッタは八つ当たりを向けるものの、別にどちらかの味方につくほどの事では無い。手を掬ったまま、親指の腹で手の甲を撫でる。それから今度は突っ伏す彼女の頭を撫でると飴玉で頬を膨らませた彼女が此方を見て、独り言ちるよう零した。

「……あーあ、私も人間だったらいいのに」
「うん?」
「だって、人間だったらこういうの提出する必要はないでしょ。毎日の管理は必要ないし、それに薬だって飲まなくていい。研究所で研究されることもない。……それってとっても良いと言うか、自由じゃない?」

 希少種族と言うだけで箔がつく半面、その箔と言うのは面倒な事ばかりを引き寄せる。現に、数十年前に研究所から逃げ出したというルナーリア人は多額の懸賞金が掛けられているし、以前目にした人身売買リストによれば彼女のような珍種の種族は時価で売買されると言う。
 その事情を知っている者からすれば到底逃げる事なんて考えられない。……そんなことをしたら、きっと世界政府は黙っていない。カクも、それからルッチたちも。仲間であるはずの彼らは世界政府の命を受けて、喜んで追いかけてくる筈だ。
 口に出してもいない考えを察して、幼馴染が言う。

「無駄なことを考えんことじゃな」
「無駄な考えって」
「お前はお前じゃ、今更人間にはなれん」
「……、知ってる」

 諦念の表情。言葉は存外素っ気なく落ちて、カクはつい言いすぎたかと視線を真っ直ぐ向けるが彼女の瞳が潤んで揺らいでいる。

「別に、知ってるもん」

 続いた言葉。まるで自分に言い聞かせるようなそれに、彼女はこうして幼い頃から諦め続けてきたのだろうと、諦める選択肢ばかりを与え続けたカクは思う。ただ、慣れる筈もない人間になりたいと願うだなんて、彼女にしては随分と無理難題な願いをしたものだと「それだけか、人間になりたいのは」と尋ねると、アネッタは言葉を詰まらせて袖端を掴んだ。

「……、……だって」

 言ってもいいのかわからないという表情。そりゃあことあるごとに願いを掲げても、諦めの選択肢ばかりを向けられてきた人生だ。その心情は理解出来ないわけではないが、馬鹿な願いは綺麗に折ってやるのも、また一つの愛情だ。
 カクは尋ねる。

「だって?」

 その声色は、いつになく穏やかだ。

「……だって、この姿はあくまで仮の姿でしょう」
「うん?あぁ、まぁお前たち竜人族は竜の姿が真の姿じゃからな」
「そう、小さい頃から竜になることを封じられてきただけで、この姿はあくまで仮の、……化けた姿だから」
「そうじゃな」
「……だから、その、……ええと」
「……本当の姿は愛されないと?」

 言葉に瞬くアネッタ。
 その瞬間、彼は肩を揺らして笑い言葉を弾ませた。

「わははっ!わしらは幼馴染じゃからのう!……これでも、お前のことは誰よりも知っとるぞ」
「……だって、人と動物が付き合うなんて変じゃない?」
「人じゃって動物じゃろ。それにお前はただの動物じゃあない」

 竜人族なんて恰好いい種族はお前しかおらんぞ。カクは穏やかに言いながら、頭を撫でる。右に滑らせて、左に滑らせて。ふわふわの髪の毛は触り心地がよく撫でているうちに彼女もグルグルと猫のように喉を鳴らして心地よさそうにしていたが、彼女は立ちあがり、その身を禁じられた雄々しい竜へと姿を戻して五分間だけと許しを乞いながら鼻先を近付けて尋ねた。

「この姿でも、好きって言える?」
「フフ……馬鹿なことを。愚問じゃな」
「本当?」
「本当じゃ。……言ったじゃろ、愚問じゃと」
「……でも、茨の道だと思う。ずっとずっと監視対象のままだもん」
「そんなの、人種関係なく此処におったら茨の道じゃろ。わしら世界政府の者が平穏に暮らせると思うか?もともとろくな死に方はせん、……わしらはな」

 月並みな幸福はきっと許されない。彼女はそう言いたいのだろう。であればいまこの場に出る話は別れ話のつもりだろうか。それとも単なる不安の吐露だろうか。……なんにしても馬鹿馬鹿しい話だ。此方は別れを考えた事など一度も無く、それどころか彼女を得るために二十年近くを費やしたと言うのに。

「それに、茨と言う事は薔薇じゃろ?」
「え?」
「いや、茨がある植物と言うたら薔薇じゃろ。じゃったら茨の道もまぁ、悪くないんじゃないかと思うてのう」

 茨のある植物は美しい。美しいからこその茨なので
あれば、花を愛でる気持ちで道を進むのもまた一興。カクは大きすぎる体を持った彼女の鼻筋を撫でる。岩竜と言う種にふさわしいゴツゴツと不揃いの岩を纏う彼女の身体は、触り心地の良い肌質を持っていないが、それでも金色に瞬く瞳も、喜ぶ声色も愛おしくて仕方が無い。
 鼻筋を撫でる手は離れ、代わりに一つ口づけを落とす。当然ながら大きすぎる彼女に、その感覚が伝わる事は無いが、それでもこれが何たるかを示すように愛を囁く事は出来る。

「……残念じゃが、手放してはやらんぞ」

 カクは穏やかな眼差しを向け、静かに呟く。
 アネッタは静かに瞬いて、尋ね返した。

「……ずっと好きでいてくれるってこと?」
「ん~~?言葉にせんと分からんか?」
「……分からないかも」
「わははっ、全く手が焼ける女じゃのう!」
「じゃあ、世話が焼けるついでに一週間分の天気を…」
「コラ」

 グルグルと、喉を膨らませて喉を鳴らす。
 とうに五分は過ぎていた。けれどもカクはそれを言わず、机にある小型の時計を伏せると、身を寄せるアネッタの鼻先を撫で機嫌よく笑みを落とした。