諜報活動の拠点を郊外にある屋敷に移して、数か月が経った。その間、ロブ・ルッチやカク、それからブルーノなどCP9一同は、次の任務に向けた調査や事務作業に追われて、お世辞にも穏やかな日々を過ごしているわけではないらしい。
其処に途中参画という形で派遣されたのはアネッタという女。屋敷にたどり着いた彼女は、早々に適当な土産品を手に報告すると、その場にはないカクの姿を首を傾げた。
「あれ、カクはいないの?」
訊ねると、ルッチはいつも通り一瞥も無く、書類を見たまま答えた。
「此処じゃ集中できねえと部屋に籠っている」
「へえ……そっちに行ったらまずい?」
「まずいといったら行かねえのか」
「あはは」
そんな会話を経て、彼に割り当てた部屋へと向かう。途中、ただ声を掛けるのではつまらないと思って、この屋敷で働くメイドさんに無理を言って余りのメイド服を貸してもらった。窓に映る大振りのフリルに真っ白なエプロン。角持ちなので難はあったが、頭にフリルカチューシャをつけることもできたし、なかなかの見栄えではなかろうか。
窓に映る自分を見てフフと笑い、意味もなくクルリと回る。それから手土産で買ったスイーツや茶葉を使ったご機嫌なティータイムセットを乗せたワゴンを押すと、部屋の前で足を止めノックをしてから中へと入った。
「お茶をお持ちしました」
「ああ、そこに置いといてくれんか」
書類に視線を落としたまま、ろくに目もくれずに返すカク。その言葉は随分と愛想の無いもので、なんとなくルッチだとかブルーノの姿に似ているように思う。……はて、彼はこんなにも愛想のない人間だっただろうか。アネッタはなんとも不思議な感覚を抱いていた。
私が声を掛けた時は、もっと嫌そうにするとか、嬉しそうにするとかもっと感情を出して返してくれるのにな。これが好感度の違いだろうか。ともすれば、こんなに嬉しい事はないのだが――。
その一方で、カクからすれば置いておくよう指示をしたのに、いつまでたっても視界の端から消えないメイドが不思議に思えたのだろう。暫くして顔を上げるカクに向けて「えへ」と愛嬌ある笑みを向けると、その瞳がゆっくりと瞬いて口が開いた。
「アネッタ?」
「サプラ~イズ」
「……はぁ?」
意味わからんという表情。その様子にワゴンを適当に止めて「実はこの案件に追加参画することになってさ、さっき到着したんだよね」そう言いながら彼の座る椅子まで近寄ると、彼はギイと体を此方に向けながら尋ねた。
「その恰好は?」
「驚くかなぁって」
「いや驚くじゃろうが……」
まさか、メイドを困らせたんじゃなかろうな。とカク。それに対して「別に駄々をこねたわけじゃないもん」と言ったのは、言い訳なのだが……カクは呆れたように息を吐き出すと、近寄る彼女の腰を抱いて膝上へと招いた。
「後で謝るんじゃぞ」
「悪い事してないのに?」
「困らせることは悪いことじゃないんか」
「ええ?」
膝の上に招かれたアネッタは適当なことをいいながらも、大人しく彼を見ていた。長い睫毛に、その下に潜む黒くて大きなどんぐり目。他の色を寄せ付けないその黒い瞳は、感情を見せていない筈なのに、彼が向ける眼差しはいつだって暖かい。……はたして、眼差し一つが温もりを与えるのかは懐疑的ではあるが、それでも胸に感じるそれは、確かに春の訪れを予期させるような暖かさだった。
ぎゅうと抱きしめるカクを見て、自分を認識する前とは違う反応に改めて頬を緩める。アネッタは、それを確かめるよう尋ねた。
「メイドを抱きしめていいの?」
「うん?……わはは、お前はわしだけのメイドじゃろ」
抱きしめたまま、口端を吊り上げてニッカリと笑うカクはどこか子供っぽく見える。でも、こうやってその表情を見られるのはごく一部だけなのかもしれない。アネッタはぬいぐるみのように抱きしめられたまま、目の前にある帽子を取って小麦色の頭を撫でる。短く切り揃えた髪の毛の触り心地はよく、撫で続けているとカクはなんだかこそばゆそうにしていたけれど、こうやって嫌がられないのもまた、アネッタひとりの特権だろう。
「あ、そういえばね、お土産にデザート買ってきたんだよ。持ってきたから一緒に食べよ」
「おお、そうじゃったのか。そりゃあ頂かんとな」
穏やかな口調がいいながら、腰に回した腕に力がこもる。
「ねぇ、取りにいけないんだけど?」
「……もう少しくらいええじゃろ、わしのメイドなんじゃから」
訊ねると、カクは甘えるように言って胸元にぽすんと頬を寄せる。その顔は単純に甘えているだけにも見えるが、何かそれ以外の意味が込められているように感じるのは気のせいだろうか。……相変わらず彼の瞳は真っ黒で、何を考えているのか分からない。けれど不思議そうに瞬く瞳を見つめるカクは、王子様よろしくアネッタの横髪を掬いそれに唇を押し付けると「もう少しだけ、ええじゃろ」と続けて、明確な答えを求めた。