メディカルチェック

「あの、……この検査で何が分かるんですか?」


 皮肉なことに、プロポーズの一件があった翌日は、メディカルチェックが予定されていた。研究所に招待された私は、今しがた一種の検査を終えた研究員に向かって問いかける。ただ、研究員は私個人には興味が無いのだろう。問いかけに手を止める事はあっても此方に視線を向ける事は無く、面倒臭そうに息を吐き出した研究員は「病気が無いか見ているだけですよ」と抑揚無く言葉を返してきた。

 本当に病気が無いか見ているだけなんですか。
 本当は、何か別の研究をするための検査なんでしょう?

 そう問い詰めたかったが、医療方面に明るくない私が問いかけたところで真相を追及できる筈もなく、脱いだ服の袖に腕を通しながら「そうですか」と会話を終わらせて目を伏せた。

 やがて、時計の針がぐるりと回り、すべての検査を終えた頃。胃をかき回すような吐き気を催した私は、研究員にお願いをして医務室で少し休ませてもらうことになった。医務室には研究員並びに管理者の姿は無く、寂しくベッドが二つ置かれただけの其処はしんと静まり返っていたが、私にとっては好都合だ。背中に纏わりつくような視線を剥いで、早々にベッドへと転がって今ある吐き気を堪えるように呻く。それから毛布を適当にくるんで塊にしたものを抱きしめてそこに顔を埋めるようにして「気持ち悪い……」と呟いたが、音は最小限に押し殺せた筈だ。

 毛布は暖かくて、柔らかい。なのに、それを抱きしめている筈のわたしの体はひんやりと冷たい。メディカルチェックによる具合の悪さは毎年恒例ではあるが、こうも体調が悪いと精神的にも参ってしまうもので、助けを求めるように落とした「カク」と言う言葉が、虚しく響く。

「……助けてよぅ………」

 響くだけの音は誰にも拾われない。誰にも届かない。
 それがなんだか無性に恐ろしくて、途端に胸が苦しくなって、虚しさと寂しさが胃の中で複雑に交じり合い、かき混ざってゆく。ぐるぐると、ぐるぐると。

 だから、突然「カクじゃなくて悪かったな」という声が返ってきた時には驚いた。

 どうして此処に、彼がいるのだと。


「へ……、……ル、……ッチ?」
「…………何だ」

 視線の先にいる長躯の男が、愛想も無く言葉を返す。

「どう、して」


 どうしてルッチが研究所にいるのだろう。
 もしかしてカクの代わりにお迎えにきてくれたのだろうか。それとも別件でたまたま研究所に立ち寄った?それにしたって彼が自ら私を訪ねて来るなんて珍しいような気がして首を捻ってみるものの、そんな疑問などを飲み込むほどの気持ち悪さに「う、ぷ」と胸元を握りしめて体を倒す。その様子にルッチの眉尻が密かに吊り上がり、肩に乗っていたハットリがばさばさと翼を打ち鳴らして隣へと降り立つと、フルッフーと心配そうな声色で鳴きながら私の腰を白い羽で摩ってくれた。

「ああ、ごめんねハットリ……だい、だいじょぶ……」
「ホー……」

 その隣で、密かにベッドの端へと腰を下ろしたルッチは長い髪を垂らして此方を見たが、彼はあまり口数の多い人間では無い。隣に座る辺り何か用があるのだろうに、相変わらず眉間に皺を寄せて愛想の無い顔をしていたので、仕方なしに「………あのさ、検査って何するか聞いてる?」とアイスブレイクとなる話題を提供すると、ルッチは視線を此方に向けたまま、「……詳細までは知らされてねェな」と言葉を返す。

 ああ、カクはルッチに言っていないのか。

 時間が無かったのか、それとも単に言う気にもなれなかったのか。はたまたルッチが惚けているのかは分からないが、少し意外だったので目を瞬かせると、さっさと続きを言えと言わんばかりの視線が突き刺さる。なんてせっかちな男なんだ。


「あのね、……その、検査っていっても結構色々するんだけどその中には…その、薬物投与もありまして」

 薬物投与と言っても漠然としていて、少し分かりづらいだろうか。首に通したネクタイを緩めて抜き取り、ボタンをいくつか外して、薬物投与により青い痣が残る首筋を見せる。痣を目にしたルッチは眉間に更なる皺を刻んだが、その矛先は私ではないのだろう。注射痕を撫でる手つきは柔らかい。ついでに肌を撫でる手のひらは少し乾いていたが、ひんやりと冷たく、いま気持ち悪さを孕ませている私にとっては気持ちが良いと、無意識に吐息が落ちた。


「……薬品名は」
「さぁ。知らされてないから分かんない。…ただ、竜化の暴走を防ぐものだって説明を受けてるよ。」
「………」
「…まぁ、本当に暴走を防ぐものかは、分からないけどね」

 ああ、今のは少しばかり自虐めいた言葉だったかもしれない。ルッチは私の首筋に触れたまま黙ってしまった。まぁ確かに初出しの情報だ。驚くのも無理はないが、いまの話題はほんのアイスブレイク。彼に向けて本題へと戻すよう「そういえばルッチの方から私に会いに来るなんて珍しいね」と問いかける。いくら暇でも私の迎えなんて来るタマじゃないだろうに。ルッチはその言葉に、視線を注射痕から私に向けて、ついでに手も離すと前かがみだった体を起こしてから、静かに言葉を落とした。

「アネ、お前のCP0入りが決まった」
「………へ?」


 予想外の言葉に随分と間抜けな声が出てしまったが、ルッチはこちらを一瞥しただけでそのまま「おれとカク、それからお前を含めた他メンバーもCP0に昇進が決まった」と言葉を続けるので、私もまた瞬きを繰り返していると、訝し気なルッチの睨みが突き刺さる。

「バカヤロウ、おれが下らねぇ嘘を言うとでも思っているのか」
「んぐっ、ま、まだ何も言ってないのに………」
「……今回は、それを伝えにきただけだ」
「あぁ、うん、……ありがとう」

 天竜人への警護任務も増え、人目につく機会も増えるため難しいと言われていたCP0への昇格が叶った。これでカクや他のみんなとも離れる心配は無くなった。なのに、カクと仲たがいをしているせいなのか自分でも驚くほど喜べず、ルッチに返した感謝の言葉もぎこちないものだったのだろう。ルッチが少しばかり意外そうな顔で「……意外だな。馬鹿みたいに喜ぶと思っていたが」とぽつりと呟いた。

「え、あ……」
「……」
「……えーと、ほら、実際に話を聞くと結構…なんだろ、びっくりする、というか…なんといいますか」
「……自分で希望しといてよく言えたものだな」
「うん?希望を上げてくれたの?」
「……さぁな」
「……ふふ、私、ルッチのそういうところ好きだよ」
「ハッ」


 視線を反らしたルッチが、どうだか、と言いたげに乾いた笑いを落とす。

 ただ、眉間に寄っていた皺が薄くなるあたり、機嫌は悪くないようで、私は相変わらず毛布を抱きしめたままではあったが、彼を見上げて「ありがとう、ルッチ」と感謝を述べると、彼の視線は此方を向くことはなかったが、大きな手のひらがぬうっと光を遮って、私の頭を乱雑に撫でるのだった。