五話

 風が凪ぎ、墓地には静寂が漂っていた。空は次第に厚い雲に覆われ、曇り空が広がり始める中、アゼンタイン・バイエルン伯爵の死をめぐって、墓地の一角では悲しみと困惑が交錯していた。

「まさかアゼンタイン伯爵が亡くなるとは…」
「噂では海賊がやったとか……扉は壊されて金品も奪われていたみたい……」
「アゼンタイン様の遺体の傍には、食事をした形跡があったとか…」
「野蛮な海賊らしいですわね……」

 伯爵の一人息子であるキース・バイエルンは、墓石の前に立ち尽くしていた。

 享年七十二歳。海賊という悪がはびこる中での享年と考えると、特に短いわけでもなかったが、このような終わりを迎えることになるとは、どうにも虚しさを覚えてならない。
 これより、意志とは関係なく、バイエルン家の家督は長男であるキースに譲られる。そのせいなのか、いいや、それとも単にアゼンタインの人徳が無かったのか。葬送式に参列した者の多くは、下心を孕ませて媚びへつらうような態度を見せており、本当の意味で悲しみに暮れる者を目にする事は無かった。

 キースは思う。これが、七十二年間の評価かと。彼らはアゼンタイン・バイエルンという一人の人間を本当の意味で好いてはいない。合理的な父同様、彼らもまたこのバイエルンという家柄に好意を抱いているだけだ。

 ああ、なんと虚しいことか。キースは暫くして誰もいなくなった墓石の前で嘆き、胸の奥から深い溜息をついた。すると、突然後ろから声が掛かり、彼はその声に驚いて振り返った。

「キース様、お悔やみ申し上げます。……少し、お話をさせてもらっても?」

 声を掛けてきたのは、随分と背の高い恰幅の良い男であった。キャソックの姿を見るに彼は神官だろうか。愛想の良い顔をして、穏やかな声で丁寧に尋ねてきた。また、その隣には美しい顔立ちをしたシスターと、その背後には訳ありに思わせるベールを被ったワンピースの女がひとり立っていた。

「はあ、ええ……構いませんが」

 その時キースは思う。何故、今回の葬送式に頼んでもいない聖職者が居るのだと。
 なんせ葬送式をするにあたりお呼びした聖職者は、アゼンタインと長く付き合いのあった高位の大司教だ。しかしどうだ。いま目の前にいるのは、多く見積もってもせいぜい四十代の男と二十代の女が二人。どうみたって高位者には見えないし、大司教もお帰りになったいま、個別に声を掛けてくる理由も分からない。

 キースは彼らもまた、何か下心を持っているのだろうかと疑いを向ける。だが、目の前の神官はその疑いにも笑みを浮かべたままで「ああ、感謝いたします。」と感謝を述べると、頭を下げて名乗り始めた。

「我々は、このアゼンタイン様が納める領地の南部にあるラミット教会の者です。私はブルーノ、隣にいる彼女はシスター・カリファ」
「初めまして、キース様」
「あ、ああ。……そこの彼女は」

 キースは、カリファの柔らかい笑みを見て目を逸らす。

 そして、その様子にブルーノは目を細める。

 曖昧な返事に、追及のない様子。良い年齢になっても結婚もしていないような男。指輪のない薬指が目立つ。
 恐らくアゼンタインは、このひとり息子に領地のことを任せられないと思っていたのだろう。それが能力の無さゆえにか、それとも昔ながらの考えで、結婚もしていないから任せられるような責任感が無いと思っていたかは分からない。ただ一つ言える事は、彼は本当にあるのかも分からない教会のこと、を存在するものだと信じ込むような大馬鹿者で、彼はそれ以上を聞くこともなく背後にいるワンピースの女の事を尋ねると、ブルーノは細めた瞳をそのまま線にして、それらしい笑みを浮かべた。

「彼女は、伯爵様……あぁ、いえ、アゼンタイン・バイエルン様に助けられた者で、名はアネッタと申します」

 そう言うと、アネッタと紹介をされた女が丁寧にスカートの両端をつまんで、礼をする。そのカテーシーはそこいらの貴族令嬢と比べても大差がないほどに美しい。キースは思わず、このような令嬢が居ただろうかとこれまでに父が紹介してきた令嬢たちを思い返してみたが、心当たりはない。

 ただ、彼女・アネッタは何かしらアゼンタインに縁のある者のようだ。キースは驚いたような顔を向け、聞き返した。

「父が……助けた?」
「……キース様は竜の夜会のことは……」
「あぁ、勿論知っています。……父は昔から竜のことを追い続けていましたから」
「そうですか。実は……その、彼女はその竜の夜会で竜の子であるという設定で連れて来られた元奴隷でして」
「……設定?」
「ええ。奴隷商が、竜の子と言ってアゼンタイン様に売りつけようとしたのです。それをアゼンタイン様は未然に暴いた上で、彼女を奴隷商から買い取って教会へと預けて下さり…お陰で彼女も、随分と人らしい生活が出来ております。」

 ブルーノがアネッタに声を掛ける。アネッタはそれを受けてベールを外すと、彼の言う通り、彼女はそれらしい見目をしていた。
 爬虫類のような縦長の瞳孔に、左こめかみ付近に連なる縹色の角。確かにこれを竜の子だと言って近付けば騙せる可能性はあるし、仮に彼がそれを信用したならば、いくらでも金を積んだはずだ。

 キースも息子として、その話に違和感を覚えるようなことはない。だが、であれば彼らが自分に近付いた理由が分からない。キースは初めに竜の子でもなんでもないとネタバラシを向けたブルーノを見て「それで、今回は一体どのような件で声を掛けてきたのですか」と真っ向から問い、本題に入ることを薦めた。

「ああ、これは失礼。……アゼンタイン様はこの懐中時計を使って良いと我々に預けて頂いておりまして、今回はそれを返しにきたのですが、……彼女がどうしても挨拶をしたいと言うものですから」

 言いながら、バイエルン家の家紋が入った懐中時計を差し出すブルーノ。その家紋入りの懐中時計は、キースにとっても領地内の重要なシンボルであった。領地内でこの懐中時計を見せれば、いくら小さな教会でも色々と融通をしてもらえるはず。キースはブルーノの説明を聞いて、その懐中時計を手に取りながら見つめると、今度はアネッタの方を見つめて言葉を待った。

「あの……ア、ア、アネッタ、と、申します。ッア、アゼンタイン様が、たっ、助けてっ下さらなかった、ら、わ、私はいまこうして綺麗な服をき、着ることも、……わ、笑うことも出来なかったとおも…思います。っあ、ありがとうございました……」

 吃音が目立つ話し方。それでも途中から涙を流し、声を震わせて一生懸命に話す姿に胸を打たれるのは、それほど今回呼ばれた参列者たちが薄情であったからか。

 キースは一度視線を落としアゼンタインの名が刻まれた墓を見る。それからもう一度手に収まった銀色の懐中時計を見ると、ふっと息を漏らすように笑んで、それをアネッタの手に握らせた。

「……父のことを想って泣いてくれるのは……もしかしたらあなた達だけだったかもしれませんね。……もしよろしければその懐中時計はこのままあなた方がお持ちください。何かと使えるでしょう」

 雲の切れ目から差し込んだ光が懐中時計を照らす。ぎらりと光る白光は、まるでそれを特別なものとして映し出すようであった。

「あ……い、い、いいのですか…?」
「……ッキース様、これはアゼンタイン様から頂いたもので……!」
「だからこそです。今後私はキース・バイエルンとして、このバイエルン家を動かしていかなければなりません、そのためには父がしてきたことを受け継いでゆきたいのです」
「キース様……」
「ほかにも何か支援できそうなことがあれば何なりと言ってください、私に出来ることであれば力になりますので」

 キース・バイエルン。バイエルン家の現当主は心強く言い、胸を叩く。その姿は強く、誇らしげで―――なんともまぁ父のアゼンタインにも劣る阿呆な姿であった。

「いやぁ、この先バイエルン家は大丈夫なのかなぁ。あんな感じて信じきっちゃってさぁ」

 葬送式から数日ほどが経ち、カリファとカク、それからアネッタの三人は、バイエルン家の別館にある図書館に訪れていた。此処にはバイエルン家の歴史だけではなく、彼がこれまで集めてきた竜の情報や、そのほかの情報までが揃っているのだが、キースは懐中時計を持った者には手厚い対応をしなさいと指示を出しているようだ。訪れた際に懐中時計を見せると、彼らは若い聖教者相手にも丁寧に頭を下げ、特別待遇としてこの場を貸切にしてくれた。

 その上なんとティーセット付き。我々にとっては有難い限りだが、よくもまぁこの数日で真偽を確かめなかったものだ。アネッタはソファに座ると、焼き立てらしいスコーンを手に、横にあったアプリコットジャムを塗りながらどこか呆れたような口ぶりで呟いた。

「あら、心配するなんて随分と優しいのね」

 それを聞いて、紅茶を一口飲んだカリファが笑う。彼女はいまだシスター・カリファ役を継続中の身。よって彼女は修道服を着ているのだが、人の目がないことをいいことに、すらりと長く美しい足を組んでいる。

「まぁ、悪い人ではなかったからねぇ。…でもまさか微睡の谷について何の情報も得られないとは思わなかったな」

 スコーンを頬張ってむぐむぐと口を動かす一方で、真面目に本を漁っていたらしいキャソック姿のカクが「お前たち、少しは手伝わんか」と声を掛ける。だがしかし、カリファとアネッタからすれば探し終えたあとだ。アネッタはもう一つスコーンを手にとって「もう私の範囲は見たも~ん」と生意気なことを言ったが、それを見たカクは露骨に口をへの字にすると分厚い本で彼女の頭を叩いた。

「手伝え、いいな?二度はないぞ」
「い……ッた、ぁ……し、神官がそんなことしていいわけ……?!」
「本職ではないしのう」

 色々怒鳴って喚いてやりたいが、ここはアゼンタイン屋敷内にある図書館だ。アネッタは暫くカクを睨み続けていたが、仕方ないとため息を吐き出すと、カクの口にスコーンを押し込み、代わりに受け取った本をぱらぱらと捲り始めた。

 そこにある本は、恐らく竜の夜会でかき集めた情報や、世界に点在する竜の噂を小難しくまとめたものである。しかし、幾ら本を開いたとて、微睡の谷というワードは出てこない。
 まぁ、ツテが広く、社交界から世界情勢まで何かと情報通であるスパンダムも報告を受けて首を捻っていたくらいだ。微睡の谷というのは正式な名称ではなく、何かしらの隠語なのかもしれない。

 ここまでは三人の共通認識だが、であれば今後はどうしたものか。カクは口に押し込まれたスコーンを咀嚼したあと、紅茶でズズズと品も無く流し込むと「もし、微睡の谷が隠語なのであれば、此処を探すのは後にした方が良いかもしれんのう」と呟いた。

「そうね……隠語なのであればいくら探しても無駄でしょうし」

 涼しい顔で紅茶を飲むカリファ。彼女は紅茶を一気に流し込んだあとに、ガチャンと音を立ててカップを置くカクに「品がないわ」と苦言を呈していたが、カクがそれを聞いて謝る筈もない。
 その間もアネッタは目を皿にして本を読んでいたが、最後のページまでを読み切ってパタンと閉じると、口角を吊り上げてにんまりと笑った。

「じゃあネクストアクションは聞き込みだね!」
「いや……聞き込みをするにも微睡の谷では漠然としとるじゃろう」
「えぇ、それに隠語だったら伝わらない可能性もあるわ」
「じゃあ海軍に聞くのは?彼らはよく海に出ているわけだし、情報も一つや二つ出ないかな」
「一概に無しとは言えないけど、今回の任務が極秘であることを考えると、長官は首を縦には振らないでしょうね」
「海賊に聞くわけにもいかんしのう……」

 情報源であるアゼンタイン伯爵も、微睡の谷に関しては方角といった漠然としたことしか言わず、結局先に息絶えてしまった。
 本当に知らなかったのか、それともあえて最後まで情報を吐き出さなかったのかは今となっては分からないが、最後の顔を思い出すに単に情報を持っていなかっただけのようにも思えてならない。アネッタは暫くの沈黙の末、「海の情報通は何も海賊や海軍だけじゃないよ」と零すと続けて言った。

「海賊や海軍のように海を渡り、難しい利権問題も無い組織――輸送船団なんてどうかな」
「輸送船団……」
「そ、大手の輸送船団なら人も多いし一人や二人潜入されても新人と言えば気付かれないんじゃないかな」

 アネッタが語り終えた後、カクは少し考えた後に頷いた。

 輸送船団は、広大な海を航海する貨物船団の集まりで、いわば海の運び屋だ。大量の貨物を輸送するために各地を転々としている彼らならば何か知っているかもしれない。うん、確かに良い考えだ。カクは思わず感動を覚えたように「おお……たまにはいい事を言うのう」と呟いた。

「うん?たまには?」
「……確か、輸送船団であれば近くの港に拠点があった筈よ。それを考えると、乗り込むこと自体はそう難しくはないわね」
「ねぇ、ちょっと、たまにはって何?」
「じゃあその方向で報告をしたほうがよさそうじゃな」
「ねぇ」
「もしかしたら偽の銀時計を持って別邸に向かったブルーノたちが、情報を持ち帰っているかもしれないから一度戻りましょうか」
「ねえってば」

 そうしてなんとか今後の方向性がまとまった三人は、もう一度役を被って涙ながらに感謝を述べて図書館を去ることになるのだが、散々無視をされて一方的に話を進められたアネッタの機嫌は中々戻らず、もう一つスコーンでも食べさせればよかったかとカクはぼんやりと思った。