おろしたての靴がしっかりとした歩きを支え、新しいディアンドルのスカートを靡かせる。
暫く滞在することになった街を歩くアネッタは、ショーウインドウに映る自分の姿を見て、足を止める。――うん、やっぱりこれを買ってもらって良かった。胸元までを止める釦は花の形で可愛いし、スカートにある細かな金の刺繍はきらりと煌めいて美しい。意味もなくその場でくるりと回ると、スカートがふんわりと広がって、まるでお姫様になったみたいだと思ったが、そういえば今はイゾウとフォッサと買い物をしていたんだっけ。
イゾウとフォッサは、同じように足を止めて笑いを落とした。
「はは、やっぱり女の子だな」
「……元気で喜ばしい限りだな」
まるで親戚だとか、家族とか。そんな感じの生暖かい眼差し。それがなんだか、妙に恥ずかしくて、どうにか話題を変えたいと適当な屋台を指さして「あ!!あれがたべたいなぁ!!」と普段よりも大声で言ったが、誤魔化しが下手すぎた。相変わらず二人のホッコリ、みたいな空気が代わることはなかったし、お上りさんという称号に食いしん坊が加わるだけであった。
……まぁ、おねだりの結果、美味しい肉串を買って貰えたのは良かったのかもしれないが。
「ん…!これおいしーい……甘辛っていうのがまたいいなぁ…」
「辛くはないか?」
「うん、これくらいなら平気」
買って貰った肉串の正体は、おそらく牛だろう。ヤンニョムチキン系の甘辛ダレを絡めたそれは、多少噛み千切るのに苦労したものの、その弾力の中には香ばしさとうまみが詰まっている。奢ってくれたフォッサいわく、これで一本三百ベリーということらしいが一本三百円は元の世界においても破格に思えてならない。この土地では、これぐらいが平均価格なのだろうか。
「……、……」
その時、元の世界でお祭りに行った時のことを思い出した。その時に見かけた肉串の屋台は一本六百円。すでにお祭りで散財していた私や幼馴染はお小遣いを合わせても買うことが出来ず、来年こそはあれを一番に買って一緒に食べようね――なんて約束したのに、まさかこの世界で一足先に頂くことになるなんて。
「……お嬢?」
袖を引かれ、我に返る。アネッタは見上げた先にある心配そうな顔に、へらへらと笑うことで誤魔化して、「美味しくてぼんやりしちゃった」と言って最後の一口を頬張った。が、年上の彼らからすれば誤魔化しが下手過ぎたのかもしれない。物静かなフォッサとイゾウはそれ以上追究することもなかったが、代わりに太い親指が口端に残るタレを拭い、柔らかい声が「何か見に行こうか」と奥にある雑貨屋を指した。
なんていい人たちなんだろう。きっと気を遣って提案をしてくれたんだ。だから彼女も「あ、いいね!じゃあ高いものは買えないけどお礼に何か買ってあげたいな」そう言ったつもりだったのに、実際に出たことは「あ、いいね!じゃあ高いものは買えな―――んぶっ!」なんて間抜けな声で、突然、目の前が真っ暗になった。
突然目の前が真っ暗になったなんてゲームじゃあるまいし、一体何なんだ。
ひとまず顔に張り付くような感覚に、おそるおそるはぎ取ると一枚のビラが目に映る。四隅がちぎれているあたり元々は張り紙で、吹き飛ばされたものなのだろう。しかし白黒印刷のそれはどうにも骸骨だとかナイフだとか、とにかく不気味な絵が描かれていて、怖い。そこにある文字は英語表記のみのため、高校二年生の私には読み取る事は出来なかったが、ところどころ【DEAD】だの【DIE】だの書かれているあたり、あまり良い事が書かれているわけではなさそうだ。
現に覗き込んだ二人は露骨に表情を顰めていたし、フォッサにいたっては手にした葉巻の先をビラに押し付けることで一部を焼くと、そのまま穴が開いた紙を奪うようにして握りつぶした。
「下らねェ」
「ん、え、そんなに良くないことが書いてあるの?」
フォッサが此方の意見も聞かずに手を出すなんて珍しい。思わず尋ねると、イゾウは難しい顔をしたまま息を吐いた。
「……あぁ、まぁ質の悪いプロパガンダだな……今回ばかりはお嬢が読めなくてよかったよ」
「ぷろぱがんだ?」
「宗教的思想の宣伝のことだ。…まぁ、本当に良い宣伝だけならば良いんだが、その多くは、人々に宗教や政治的思想が入ったメッセージを見せて、特定の方向に操作するんだ」
「へぇー……海賊は悪!ぶっつぶせ!みたいな?」
「はは、そうだな。そういうものも一種のプロパガンダだな。…まぁ、これはそういったものとは少し異なるが」
「ふうん……」
なんにせよ、タチの悪いものらしい。まぁしかし、あのフォッサが怒り、イゾウも呆れているのだ。見ない方が良いのであれば、それに従っておいた方がよさそうだ。アネッタは早々に追及の選択を捨てる。それから話題を切り替えるようにパッと笑みを浮かべて早くあの雑貨屋に行こうと二人の手を引いたはいいが、その先で行方を阻まれるとは思わなかった。
「あぁ、嘆かわしい…!まさか我々のビラを握りつぶすだなんて!」
そんなことを言いながら、宣教師と思わしきキャソックの男が一人現れたのだ。
胸元に手を当て、意を唱えるように外に払う仕草は演技にすら見えるが、胸元に下がる大振りの十字架を見るに、宣教師であることは間違いなさそうだ。ただ、プロパガンダを行うような人であることを考えると、関わらない方が良い人種だろう。
アネッタは日頃きつくマルコから言われている「何かあったら仲間を頼ること」という言葉を頭に、繋いだままの手に力を籠めると、フォッサとイゾウがアネッタの前に立ち、男を睨みつけながら言った。
「それはすまなかった、飛んできたものだったからまさか人の物だとは思わなかったんだ」
静かな声色に滲む、誠実な言葉。それと、少しの警戒。フォッサはアネッタに向けて「後ろにいろ」と短く落とし、アネッタも彼らの後ろで頷くも、その世間知らずに見える様子は彼らプロパガンダを行う者からすれば餌でしかない。男は目の前にいる二人組が武器を抜かぬことを良いことにずいと近付くと、二人の男には目もくれずアネッタに的を絞っていった。
「ああ、そこのお方は何か悩みを持っているように見えます」
「ぅ、え」
「例えばそう、魂が迷うような――」
「っわかりますか?!」
馬鹿げた問いに、アネッタが身を乗り出して返す。イゾウとフォッサはその様子にアネッタの手を引いて止めるがもう遅い。彼女は自ら釣り針に引っかかったのだ。宣教師はその様子に双眼を細めて、それらしい笑みを浮かべて言った。
「えぇ、えぇ。もちろん分かりますとも、あなたが深く悩んでいたことも、彼らのように手を差し伸べる優しい者がいても吐き出せず、涙していたことも」
一体何を分かっているというのだ。引っかかりの良い言葉を並べているだけで、彼は具体的な事を言いあててはいない。きっと問い詰めたところで彼は何もわかっちゃいないし、アネッタが異世界人であることも理解出来ぬ筈だ。しかし、この世界で元の世界に戻る方法も分からず、途方に暮れる日々を続ける彼女からすれば、またとないチャンスだと思ったのだろう。
それこそ、藁をもすがるような気持ちもあったはずだ。
それでもフォッサは手を強く握ったままで、「アネッタ、こいつの話に耳を貸すな」と言い、宣教師を睨みつけた。
「……どうして?だって、だって初めて私が異世界人って分かったんだよ?帰る方法だって、きっと」
「違う、こいつは」
「あぁ、あぁ、元の国に帰りたいお気持ちはよく分かります。お辛かったでしょう…しかし。私たちには、その元の国に帰るための方法も存じております、そう、私たちならば」
何が、元の国だ。異世界人という言葉を拾っただけで、異国の者と捉えているではないか。大枠で投げかけて、帰ってきた言葉で選択肢を絞る。まさに詐欺の手口でしかないが、若く、追い詰められたままのアネッタは、すっかり目の前の言葉に魅了されている。
精神共に健康な身であれば、揺らがないだろうに、ここまで揺らぐのは、それほどまでに追い詰められていたのだろう。右も左も分からない世界に、ある日突然送られてしまい、元に戻る手立てもない彼女の立場からすれば理解は出来るが、しかし、だからこそこれ以上の話を聞かせるわけにはいかない。イゾウはゆっくりと息を吐き出した後、アネッタを見つめて言った。
「……お嬢」
「え?」
「……彼は、お嬢の言葉を拾っただけだ。彼は本当にお嬢が望んでいることも理解しちゃいない」
「何を言うのですか!彼女を救う方法は」
「黙れ!」
イゾウが分かりやすく怒鳴り、懐に忍ばせた拳銃を向ける。それに続くようフォッサも大剣の柄に手を向けるが、宣教師が怯んだのは一瞬のこと。宣教師は、むしろ男二人が隠すようなこの女が訳アリで、狙い目なのではと睨み、声を大きくして言い放った。
「元に戻る方法は死だ!お嬢さん、すべての救いは死にあるんだよ!さっきのビラにも書いてあっただろう!死は救済だと!」
「――え?」
その瞬間、アネッタは繰り返す。
「死は、救済」
「やめろ、お嬢。聞いてはいけない」
「死んだら……もとに戻れるってこと……?」
驚愕と絶望が混ざる声。
そうだ、どうして忘れていたんだろう。私の世界でもよく言われていたじゃないか。異世界に行く方法のお決まりは、トラックに轢かれるとか、まずは死から始まるんだって。
なら、帰る方法だって。
その瞬間、周りの音が遠ざかる。しかし、引力に引き寄せられた地球が月の周りを巡るように、死は救済であるという馬鹿げた言葉が頭の中を回り続け、耳元で囁きを落とし続け、アネッタはまた独り言ちるよう、呟いた。
「死ぬことが、帰る方法だなんて」