贔屓にしているパン屋さんがある。
「あれー……今日お休みなんだぁ……」
名前は、white whale。白いクジラ。
そのパン屋さんを営むのは若い男性で、従業員は三人ほど。このパン屋さんが出来た時には、「目の横に大きな傷を負った店主が営むパン屋なんて、普通ではない」と恐れられたことが原因で、暫くは閑古鳥が鳴いていたが、それもすぐに店主たちの人柄によって解消し、今ではこのあたりで一番の人気を誇り、愛されている。
それは私も例外ではない。なんせ店主はとても人懐っこい、頼りがいのある性格をしている。閉店間際に行くと「売れ残ったら廃棄になるから貰ってくれ」といっておまけをしてくれるし、テスト期間後なんか「じゃあ頑張ったご褒美だ。好きなの選びな」といって奢ってくれる。
それに、何より此処のパンは美味しい。だからこのパン屋さんのことが大好きで、お小遣いをもらった日には必ず伺うほど贔屓にしているのだが、今日の私は運悪く、店前には本日お休みと書かれた札がかかっていた。
確かにこの店は不定休だと言っていたけれど、なんて運が悪いんだろう。今日は此処でメロンパンを買おうと思っていたのに!思わず下がる肩。だが、店先で立ち尽くしていても店が開くわけではない。私はがっかりと、そりゃあもうがっかりと息を吐きだして、最後に消灯されている店内を覗き込んでから踵を返そうとしたその時、「兄貴、車が来やしたよ」という声が耳に入った。
「……あに、……き?」
聞こえたのはこのお店の裏からだろうか。此処からでは見えないが、口調といい、兄貴という言葉といい、随分と柄が悪そうだ。となれば、面倒な事に巻き込まれる前に立ち去りたいが、此処から自宅に戻るには、この音がした方向へと歩かねばならない。
さあて、どうしたものか。私は意味も無く、その場をうろうろと円を描くように歩いて悩む。だが結局は行かねばならないのだ。ならば走ってでも通り抜けるしかない。意を決した私は、鞄を抱きしめるようにして持つと、一度大きく深呼吸をして足早に歩き出した。
店の裏には想像通り、柄の悪い男たちが立っていた。どれも恰幅が良く、一瞬この店に取り立てにきたヤクザかと思ったが、横を通り過ぎる際に、ふわりと香った洒落た香水の中に、よく嗅ぎなれたパンの匂いがして、私はつい言葉を滑らせた。
「店長さん?」
口に出したあと、私はしまったと口を噤む。ああ、面倒ごとに巻き込まれたくないから足早に歩いたのに、どうして口に出してしまったのか!しかし、いくら自分を責めたとて、時すでに遅しという状況で、言葉を拾った柄の悪い男たちは、じろりと此方を睨むと「あぁ?」と言葉を返す。
それも、男たちは揃いも揃って光沢のある柄シャツに黒いスーツと、どうみても堅気ではない恰好をしており、驚きと恐怖から息を詰まらせていると、男たちの後ろから「どうした」という声と共に、一人の男が姿を現した。
「うん?」
其処に立っていたのは、ほかでもない店長によく似た男だった。
普段の店主は、毛先に緩いパーマがかかった長い前髪を横に流しており、反対は耳にかけてすっきりとさせているが、目の前の男は違う。髪色こそ同じだが、髪はリーゼントのようにオールバックにしているし、恰好だって他の男たちと同じように、黒いスーツを着ている。ただ、そのふわりと香る小麦の匂いと、くるんと愛嬌たっぷりに外に跳ねている襟足は店長によく似ている。
もう一度「店長、ですか?」と尋ねると、男は薄く目を見開いた後、困ったように眉尻を下げた。
「あー……」
言葉を濁らせる男。だが、これが答えなのだろう。
店長は怯えたままの私を見る。それから頭を掻くと「だから此処に迎えを寄越すな、つったろ」と男たちに諭しながらシッシッと手を払い男たちを離すと、いつもと変わらない愛嬌のある笑みを向けて「悪いな、今日は休みなんだ」と呟いた。
「え、あ、はっ、はい……さっきお休みって書いてあるのを見ました」
「そうか」
「は、はい」
「……」
「……」
「……悪いな、怯えさせちまって」
「いえ……」
否定は出来ない。なんせ(恐らく)ヤクザだ。怖いに決まっている。
ただ、ちらりと見上げた店長さんは、それこそいつものように、優しい眼差しで私を見ていた。恰好と髪型が違うせいで、なんだかいつもとは違う笑みに見えるけれど、「今日はその、キマってますね、髪型」と伝えた時に出た愛嬌あるウインクは、いつもと変わらなかったように思う。
「あの……」
「ん?」
「店長さんは…その、ヤーさん……なんですか?」
私は意を決して、問いかける。
だって、まだ彼はヤクザであることを公言したわけではない。だから、もしかしたら、おちゃめすぎるヤクザ風コーデなのかもしれないし、店長以外の男たちが全員強面なのだって偶然で、本当はケーキ屋さんとか、お花屋さんとか、そういったギャップを持った方々の集まりなのかもしれない。
なのに店長と言えば、ふっと息を漏らすように笑うと、「……知りたいか?」なんて意味深に囁くのだから人が悪い。
「………いえ…!いいえ……!」
「んははっ!前々から思ってたけど正直な嬢ちゃんだなぁ……まぁ、おれっちがこんなナリをしている理由は兎も角、パン屋のおれと一緒なのは事実だな」
「……はぁぁ……まさかあの気さくなお兄さんが……」
少し離れたところで「兄貴、そろそろ行かねえと」という声が聞こえる。店長さんはそれを聞いて「おー」とだけ言葉を返すと、私を見て「じゃ、次は開いてる時にきてくれよ」といつも通りに笑う。そうして、彼は最後に大きな手を向けると、頭を一度だけポンと撫でて背を向けるので「あの!次はメロンパン買いにいくので、売り切れないようにたくさん作っておいてくださいね!」と声を掛けると、店長さんはふはっと噴き出すように笑って、「おう!店長にまかせとけ」と言って、黒塗りの車へと乗り込んだ。