よくある喧嘩

「カクの馬鹿!あんぽんたんの足長お化け!」

 幼馴染ともなれば、喧嘩の一つや二つはままあることだが、今回の喧嘩は酷かった。アネッタは肩を上げてぎゃんぎゃんと怒鳴って、対するカクはそれを聞き流して手にした本のページを捲る。視線が向けられる事もなければ、文字を追う瞳が動揺に揺れる事もない。
 それが無性に腹立たしいとアネッタは唇を固く結ぶと、お気に入りの鞄を取って其処に財布に携帯に、それからほんの少しの飴玉を入れて立ち上がる。「もう知らない!」なんて零した声は部屋によく響き、ようやく動揺に揺れた瞳が見上げて手首を掴むが、もう遅い。

「は?なんじゃ、別れるつもりか?」

 カクが訊ねる。
 その問いかけは、どこか執着を感じるものであった。

「別れないですけど?!」
「じゃあ、どこに行くんじゃ」
「どこだっていいじゃない!」
「良くない」
「いい!」
「二度も同じことを言わせるな」
「~~~~っカリファんち!」

 言って、アネッタが手を払って部屋を出る。どうやら今日の怒りは一段と強いものらしい。居場所を聞くに心配する事は無さそうだが、カクは一人残された部屋で小さく息を落とすと、本を閉じる。それから、彼女の出発を報せるように、そよそよと風を受けて揺れるレースカーテンを見ながら「馬鹿はどっちじゃ、阿呆め」と零したが、それは誰にも拾われることもなく、虚しく響くだけであった。

――悪いわね、アネッタ。今日は用事でいないの

 頼みの綱であったカリファからのメッセージは、何とも悲しい報せであった。

 いや、しかし、こればっかりは仕方ない。なんせ、カリファとは前々から約束していたわけじゃない。それどころか突然「泊まらせて!」と言った身だ。カリファだって予定というものがあるし、都合が悪いことだってあるはずだ。ただ、あまりに苛立って外に出た手前、帰る選択は出来ずに足を止めたアネッタは、ひとまずその場で「気にしないで!」と「ごめんね!」と二種類のスタンプを送って息を落とした。

「あぁ~~~……どうしよう……でも帰りたくないよー……」

 さあてどうしたものか。完全に今日はお泊りのつもりで出てきたが、カリファ家のお泊りと考えていたので着替え一式はなんにも持たずに出てきてしまった。何より、あまり一人で出かけたこともないこともあり、アネッタは選択肢の無さに頭を抱えたあと、視線の先にある看板に気付いて、「これだぁ!」と声を上げ、指を指した。

「…駅前徒歩二分、ネットカフェ、開店。……これだ、そうよ、ネカフェなら一泊泊まるってことも出来るし、お財布もあるし、身分証もある……。……、どうしよう、泊まれちゃう……ネカフェでお泊りしちゃう……?」

 看板を前にぶつくさと言う姿は不審者でしかないが、胸がわくわくと弾みだして、口元が緩みだす。アネッタはいまだ未体験の出来事にドキドキワクワクとしながら看板を見る。一人で泊まるだなんて初めての経験だが、もう高校だって卒業した身。であれば許されるはずではないか。そして、そうと決まれば善は急げだ。思い立ったが吉日とも言うしね。

 アネッタはそんなことを思いながらも駅のある方向へと足を向けて数分ほど歩くと、今度は携帯がブーブームームーと鳴り出した。多分、カクだと思う。そう思うと携帯に伸びる手は自然と止まり、手を引っ込めて構わずに歩いてみたが、ブーブームームーと煩いのなんの。スタンプ爆撃をしているのか、それとも過干渉でメッセージを送っているのか。分からないが兎に角うるさい。

 通知を見ればLI〇Eの通知は五十件以上になっていた。しかし、数を見てもゲンナリするだけで、それを無視して、ついでにミュートにすれば、今度はミュートを貫通する電話がかかってくる。なんだなんだ、どれだけ必死なんだ。アネッタは手にした携帯を睨んだ後、電源を切って携帯の底へと押し込んだ。

 さて、これで煩いのはいなくなった。アネッタはそう思った。その筈だった。しかし、背後で「おい、どこにいっとるんじゃ」と声が聞こえ、腕を掴まれると嫌でも相手が分かってしまった。

「カ、カク………」

 案の定、相手はカクだった。一体なぜ彼が此処にいるのだろう。アネッタは急いで追いかけてきたわけでもなさそうな、息を一つも切らしていないカクを見て溢したが、相手はまるで今まで見てきたような口ぶりで「そっちはカリファの家じゃなかろう」と呟いた。

「なんで知って……」

 沈黙。そこでアネッタは気付く。この男、また――

「GPS勝手につけたな!?」

 しかし、ポケットにも、それから鞄にも、以前貰ったドーナツ型キーホルダーのGPSは見当たらない。アネッタはキーホルダーがつけられそうな場所、隠れていそうなところを摩るようにして探ってみたが見つからず「えぇ?でもキーホルダーないんだけど」とカクを見ると、カクは涼しい顔で「残念、携帯アプリじゃ」と言った。

「キイ!勝手にいれないでよ!」
「携帯借りるぞって言った時にしたぞ」
「借りるとは言われたかもしれないけど!!」
「それでどこに行くつもりじゃ」
「~~~っ駅前のネカフェ!今日は帰らないんだから!」
「そうかそうか、じゃあ行くぞ」

 なんだこの男。あまりにも話が通じない。言いながら彼は勝手に歩き出すし、本当に駅前のネットカフェまでついてきた。それどころかカウンターでは「カップルシートでいいな」「わしが半額と端数を出すから、もう半額はお前が出せ」と言って勝手に決めてしまうし、結局気付けばカップルシートと呼ばれる広めの個室にいた。

 なんで。喧嘩していたはずなのにどうしてこうなった!色々言いたいけれど、此処までやってきた彼は「じゃああとはお前の好きにしろ」と言って、ごろんと寝転んでしまう。何がお前の好きにしろだ。これでは家出の意味がないじゃないか。アネッタはじとりとカクを睨んだあと、寝ころんだカクの背中をぐいぐいと端に追いやって、その隣に鞄を置いて呟いた。

「じゃあカクはこっちから出てこないで」
「わしの領地、狭すぎやせんか」
「私がお金出してるんだもん。当たり前じゃない」
「それを言うならわしの方が多く出したぞ」
「う……」

 それはそうだけど。
 それはそうだけど!

 だって端数を出すって言ったのも、半額出すって言ったのだって、カクからじゃないか。しかしごもっともすぎて言い返すことも出来ず、結局隣に置いた鞄は隅へと追いやられてしまい、私も構わずに折角のネカフェを楽しんでやろうとパソコンを起動してみたが、楽しいのは初めだけで、動画をいくつか見て、それから気になっていることを調べ終えてしまうと、なんだかつまらなくなってしまった。

「……あーあ」

 言いながらごろんと寝転がる。隣のカクは相変わらずの状態で、アネッタの様子に気が付くと、息を漏らすように笑って隣を叩いた。

「なんじゃ、もうお終いか?」
「だって、もう調べることないんだもん……」
「漫画は?」
「そんな気分じゃないというか」
「映画でも見るか」
「んー……このままでいい」

 招かれるがまま近付いて、腕枕を受ける。ついでに頭を撫でる手のひらは暖かくて、心地良い。それがどうしてだろうと考えてみたけれど、そういえば昔から事あるごとに彼は私の頭を撫でていた。だから、そう、おばあちゃんの握った塩むすびが美味しいように、彼の手も心地よいものであると、そう体に刷り込まれているのである。だから彼女がついつい絆されてしまうのだって仕方のないことで、手が離れると「もっとちゃんと、心を込めて撫でて」と我儘を言うのだって、仕方のない事なのである。

 まぁ、頭を撫でていた手のひらが頬をすりすりと撫でたあとに頬を摘まむのは余計ではあるが、「そうか。じゃあ…そうじゃな、あとでアイスでも見に行くか」という言葉は魅力的で新しい発見だ。

 アネッタはぱあっと表情を明るくすると、「え、ネカフェってそういうものもあるの?」と訊ねた。

「あぁ、食べ放題らしいのう。他にも注文すれば持ってきてくれるらしい…ま、カラオケみたいなもんじゃな」
「おお……なんかワクワクしてきた……じゃあ少しだけお昼寝したあとにアイス取って…あとは何か頼んで、映画見たりして……ああっ、もしかしてネカフェって凄い…面白い場所なのでは…」
「わはは…そうかもしれんのう。あとでメニューも見んとな」

 果たしてわくわくの彼女は眠れるのだろうか。寝るのであればと毛布を引き上げたが、わくわくのアネッタは「美味しいのかなぁ…」と目を爛々と輝かせており「昼寝するんじゃろ、さっさと寝らんか」と零すと、アネッタは「ワクワクして寝られないかも…」と言っていたがぎゅーっと強く目を潰り、そのまま黙り込むと、数分と立たずに寝落ちるのであった。