三話

 アゼンタインは、急ぎ足で奴隷の手枷に繋がる鎖を引いて、屋敷の奥深くへと歩く。壁にはどこかで見たことのあるような絵画や絢爛豪華な装飾品が掛けられ、古き良き時代の面影が色濃く残っている一方で、アゼンタインは突然足を止めると、壁に掛けられた鹿の頭を撫でる。

 奴隷演じるアネッタは一体何をしているのかと注視したが、どうやら何か意味合いを持った行動のようだ。鹿の頭を撫でるとカラコロという軽い音が響き、鹿の目玉が中で回転して瞳の色を変える。アゼンタインはそれを見て、一つの装飾が施された壁に手を置いてゆっくりと押すと、壁が地響きを起こしながらゆっくりと開いていった。

 なるほど、これは隠し通路か。

 そこには暗がりが広がり、アネッタは薄く目を開く。アゼンタインは側近からカンテラを受け取って灯りをつけ、明るさを取り戻すと、側近を先頭に隠し通路の中を進む。
 通路は狭くて暗く、それでいて表の絢爛豪華さを疑うほどに何も手入れをされていなかった。壁は石壁がむき出しになっており、時折、微かな水音が聞こえるあたり地下水路の横に位置しているのかもしれない。

 暫く隠し通路を歩くと、やがて一つの木製扉に辿り着く。アゼンタインは扉を開けると、そこには表と同様にロココ様式の美しい部屋が広がっていた。部屋には贅沢な家具が配され、壁には貴重な絵画や彫刻が飾られている。アネッタは息を飲み、その美しさに圧倒されて辺りを見回すと彼は静かに笑い、「ここは私と彼しか知り得ない部屋だ。さあ、君を歓迎しようじゃないか」と呟いた。

「……まさかルードベキアの娘に会えるとはな」

 美しい彫刻が施された椅子に座りながらアゼンタインが零す。一方のアネッタは少し離れた位置で、彼がべらべらと喋ってくれる態度は生意気か、それともスパンダムのような媚びた姿勢かを考えたが、相手は何か自分に心当たりがあるらしい。彼は「こちらに来なさい」と指示を向けた。

「……、……」
「ああ、素直でいい子だ」

 アゼンタインの前に立つと、彼はそっと外套を止めたボタンを外して外套を足元に落とし、悪意に満ちた笑みで、アネッタの奴隷服を見下ろす。彼の目には冷酷な輝きが宿り、彼女に対する傲慢さと支配欲がにじみ出ている。アゼンタインは彼女を手玉に取るような態度でぞんざいに肩をつかんで引き寄せると、耳元へと唇を寄せた。

「ルードベキアは逃してしまったが…もう逃がしはしない。……いいか、ここでただの奴隷だ」

 地を這うような低い声。言葉には嘲笑が含まれ、アネッタは底知れぬ執着心のようなものを受けて恐怖を滲ませるが、彼の言うルードベキアという者に記憶はない。事前に仕入れた情報にも無い辺り、新しい情報であると取っても良さそうだが、虫が這うような手つきで向けられた手のひらがとにかく不快で仕方がない。

「……ルードベキア、って誰ですか」

 アネッタは今後の対応を考える。一度露骨に嫌がることも考えたが、素直でいい子だと褒める辺り従順であることを求めていたように思えた。彼女は従順を装い、寄せられた手の平に頬を摺り寄せて問いかけると、彼は驚いたように目を見開いた後、「ルードベキアの子ではないのか」と尋ねた。

「……さあ、……父と母の顔や情報は、一切知らされていないので」
「成程、そういうことか。……いいや、しかし、その顔とその目だ。先ほど見せてもらった岩竜の性質を持つあたり、十中八九ルードベキアの娘だろう」

 アネッタは、生まれて間もない頃に雪山で拾われた孤児である。そのため、両親の顔はおろか、両親の情報やルーツも知らず、希少種族の竜人族であるという情報だけで今日まで生かされてきた。その為、アネッタからすれば何ら嘘はついていないのだが、アゼンタインはどこか懐かしむような目を向けたあと、視線を背後にある肖像画へと向けると、「あれは彼女を描いたものだ。……ルードベキア。……実に美しく、聡明な女だったよ」そう静かに呟いた。
 肖像画に描かれたのは、椅子に座った一人の女性であった。菫色の長い髪の毛に、左右にある闘牛のような角。彼女の姿は優雅でありながらも凛とした風格を持ち、爬虫類のような縦長の瞳孔を持った金色の目には、知性と優しさが宿っていた。

「……ルード、ベキア」

 アネッタは肖像画を見つめながら、彼女が自分の母親である可能性を考えた。肖像画の女性の優雅さと、アゼンタインの言葉から、自分の出自に対する新たな興味と疑問を抱いたのだ。
 しかし、今宵の目的はそれではない。アネッタは抱いた興味を飲み込んで、「それで、彼女はどこに?」と尋ねると、彼は眉間に皺を寄せて、大きく息を吐き出した。

「……古竜に会いにいくといって消えおった」
「古竜…ですか?」
「あぁ、何か用があるといってな…くそ……あの時行かせなければ今頃……」

 ルードベキアという女が本当にアネッタの母親だとしても、古竜に会いに行くといって戻ってこなかったのだ。元々この男への愛情などなかったのだろう。出て行った先で、別の男との子供をこさえたのだから分かりそうなものだが、こうして竜の夜会まで開いて、今もなお情報を集め続けているのだから、なんとも滑稽な話である。

「……でも、こうして私がいるじゃないですか」

 アネッタはにこりと微笑んで、アゼンタインの手を取る。
 老人の手は肉も痩せ、指先には年月が刻まれていた。皮膚はしわくちゃになり、その間からは青白い静脈がくっきりと浮かんでいる。現在のアネッタは二十三歳。そう考えると、最低でも二十三年間も執着していたのだ。彼は今後も自分を離したくないはず。アネッタはそう踏んで、手のひらへともう一度頬を寄せて尋ねた。

「……でも、どうしてそんなに愛されているのに、探されなかったんですか?」
「勿論探したさ、……しかし、微睡の谷には私はいけないからな」
「微睡の谷……?」
「あぁ、古竜の住処とは微睡の谷にあると聞いたことがある」
「それも彼女に?」
「あぁ」

 微睡の谷。これまで幾多の任務にもついたことのあるアネッタだが、微睡の谷という土地は聞いた事が無い。何かの隠語か、それとも地図にも明記されていないような場所か。アネッタは暫くの沈黙の末、答えを求める。

「……微睡の谷、……は、どこにあるんですか?」
「……なんだ、やけに聞きたがるな、えぇ?」
「あー……母親の行った場所ですから」

 だが、それが悪かった。相手からすれば、自分が手放した先というのは地雷ワードなのだろう。アゼンタインは露骨に機嫌を損ねて、摺り寄せていたアネッタの頬を弾くと、「二度と此処から出られないお前に言って何になる」と凄み、そして髪を掴んだ。
 しかし、そこでアゼンタインは怯む。アネッタの目が少しも恐怖で怯えていないのだ。

「な、なんだその目は……」

 金色の瞳の中央にある縦長の瞳孔がキュウと線になる。その瞬間、アゼンタインは堪らなく嫌な予感が背筋を這って、椅子を倒す勢いで立ち上がったが、アネッタはいつしか忘れてしまったように敬語もなく「あぁ、いや、教えてくれないのなら聞き出すしかないなぁって」と零すと、スパンダムを真似るように愛想よくにこりと笑った。

「な、にを……」
「まぁ、でも、聞きだすのは私のお仕事じゃないから……あ、ほら、丁度よく来てくれたみたい」

 次の瞬間、どん、どん、どん、叩かれる扉。

 ゆっくりと、どん、どん、どん。
 もう一度、どん、どん、どん。

 アゼンタインはびくりと肩を震わせて、共についてきていた側近は、腰に下げた華美な拳銃を取り出して扉へと向ける。ああ、可哀そうに。戦闘経験が無いのか、構えた拳銃の先がぶるぶると震えているではないか。

「一体誰だ……いや、そ、そもそも、ど、どうしてここが……」
「いやぁ、歩く時はちゃんと側近と貴方で私を挟まないと」
「な、何を言って……」
「……じゃなきゃこうして、手がかりを落とされても分からないでしょ?」

 アネッタはにこりと笑ったまま、手を見せる。その手のひらには確かに何もなかった。しかしアゼンタインが数度の瞬きを繰り返すと、彼女の手の内からは小さな石がゆっくりと現れる。恐らくは夜会で見たように岩竜の特性を使ったものだと思うが、その石は特に価値のあるような鉱石には見えない。

「そ、それが一体なんだと言うのかね」
「あら、竜は好きでも岩竜に成る鉱物にはご興味がない?……これは蛍光鉱物と言って、暗い場所によく光るものなんです」

 ね、二人とも前にいたから気付かなかったでしょうと、アネッタ。アゼンタインは咄嗟に近くにあった拳銃を取ったが、引き金が引かれる前に扉が吹き飛ぶようにして開き、二人の男が現れた。一人は闘牛のような角を持った男で、もう一人は左目に傷を負った男。どちらも恰幅の良い男で、二人の瞳には隠し切れぬ獰猛な光が宿っている。

「失礼」
「なんだよ、やっぱりいるじゃねえか」

 左目に傷を負った男――ジャブラが上げた足を降ろす。恐らくは彼が扉を蹴り飛ばしたのだろう。幸いなことに扉は側近にクリーンヒットするだけで、アゼンタインを巻き添えにすることはなかったが、まぁ、扉が吹き飛んでくれば良い印象付けにはなったようだ。アゼンタインは警戒心を強め、拳銃を構えて二人の男を見据えた。

 彼らの姿からは何か言いようのない危険さがにじみ出ており、部屋には緊迫した空気が漂う。
 アゼンタインは身体を倒した側近に向けて、捨て駒のように「オ、オイ!何をしている、さっさといかんか!」と言ったが、扉を真っ向から受け止めて、壁とサンドイッチになった側近が使い物になるわけもない。

「ギャハハ!アイツはもう使い物にならねぇだろうよ!」
「此方としても、協力してくれるのであれば手荒な真似をする気はない」

 表情なくのそりと近付いたブルーノは、銃を構えるアゼンタインへと手を向ける。その瞬間、アゼンタインは構えたままであった拳銃の引き金を引いて、ブルーノへと放つが、相手は彼が知らぬだけで世界政府の諜報員だ。弾丸は身体の表面を硬化することのできる鉄塊にて弾かれて、「ヒ」と息を詰まらせるアゼンタインの肩を掴み、バキン、と渇いた音を響かせた。

「……馬鹿な真似を」
「っぎゃあああああ!!!か、っかっ、肩が、肩があ……!!」
「おーおー、容赦無えなぁオイ」
「うーん…鮮やかな手つきだ……」

 体を倒して喚くアゼンタインとは対照的に、賞賛するばかりのジャブラとアネッタ。
 一方で、アゼンタインは相変わらずいま起きている出来事を理解できていなかったようだが、肩を折られては拳銃を扱うことも叶わない。落ちた拳銃は床を跳ね、それをゆっくりと踏みしめたブルーノは「どこまで聞けた」と短くアネッタに問いかけた。

「古竜が居ると思われる場所が微睡の谷というところ…ぐらいかなぁ。あ、でもまだ情報は持ってると思う」
「なんだよ、長官の言うとおり当たりじゃねーか」
「この分だと任務も早く終わるんじゃない?」

 アネッタはアゼンタインを任せて、執務机に備え付けられた椅子に座りながら笑う。これから必要になるのは紙と羽ペンとインクだが、どちらもこの机には用意されている。羽ペンに関しては本当に実用しているのか疑いたくなるほど、悪趣味な装飾がされていたが、まぁ、金持ちとは皆ゴテゴテにデコりたくなるものなのかもしれない。

 今時の若者であるアネッタからすれば全くもって理解できず、こんな重たいものを持っても手首を痛めるだけではないか、と思ったが、そういえば金持ちとは三徹も四徹もしないし、ましてや事務作業なんてしないのだった。

「よーっし、書記作業は私の方でするよ」

 アネッタが言い、ジャブラが「おお、拷問嫌いがさっそく書記業務を取りやがった」と囃し立てる。

「っ長官……ス、スパンダムくんのことか、そうか、お前たち世界政府の関係者だな…?!」
「なによお………ジャブラが書記してもいいんですけど」
「わ、わかった、金を出そう。今回の給料よりも出してやる、だからこれ以上のことは」
「おっ、なんだ…じゃあお前が拷問やるか?いいぜ、こいつは中々気骨がありそうだしよ」
「分かった!金なら好きなだけや――」

 その瞬間、アゼンタインの床に伏せた掌が、硬い靴底で踏みつぶされる。ゴリゴリとすりつぶすような音が響いたことで、彼は痛みに喚いたが、大胆に股を開くようにして座ったジャブラのペンチが口の中に押しこまれる。それにより頬が膨らみ、硬く冷たいペンチが歯列をなぞる。品定めするように歯の上を滑るペンチ。やがて金歯を挟んだジャブラは双眼を細めながら、面倒くさそうな顔を向けた。

「うるせえ爺さんだな、テメェとの話はこれからだ」
「ぅお゛……っむ、ぐ……」

「大体よ、おれ達が金で寝返るわきゃねェだ狼牙」

 大方、今までは金で解決してきたのだろうが、彼らからすれば金は腐るほどある状態だ。それに彼らCP9は失敗が許されない。つまりはお得意のお金で解決するというのはどだい無理な話なのだが、アゼンタインは未だ金が足りないとでも思っているらしい。

 ジャブラは大きく息を吐き出してアゼンタインを睨みつけた後、「痛みを堪えて金額を吊り上げるよりも、さっさとゲロっちまった方が楽になるぜ、爺さん」と金歯を挟んだペンチをギチギチと締めながら、白い牙を見せて笑った。

 そうして古竜を追うための尋問が始まるが、相手は元より殺しの許可を得た者だ。優しく問いかけるだけの尋問が始まるわけもなく、問いかけに答えを迷うと、容赦なく一本、また一本と歯が抜かれて、殴られて、気の遠くなるような尋問が始まる。
 途中、アゼンタインはみっともなく命乞いをしてアネッタに助けを求め、ルードベキアの名を零すが、アネッタはにっこりと笑ってひらひらと手を振るだけ。ならばとブルーノの裾を掴むも、ブルーノは愛想も見せずに見下ろすと「夜はまだ長い。……執着してきた年数分、まだ語ることもあるだろう」と静かに言い、二日目の夜が、明ける。