なんだかんだ優しいよね(🐆🦒)

 北の海でもひと際気温の低い海中は、深い青色が広がっていた。海の表面には幾つもの氷山が漂い、深海の底には氷のような透明度の高い海水が広がっている。海中に潜ると、広がる静寂が耳を包むが、遠くで聞こえる甲高い音は鯨のものか。幻聴か。
 北の海の冷たさは、まるで身を引き締められるような感覚をもたらす。ただ、その氷のような世界に身を委ねられるのは、人間とは異なる人外の体を持った者の特権なのかもしれない。アネッタは呼吸が続く限りの寒中水泳を楽しんだあと、光が差し込む氷雪の隙間から顔を出してゆっくりと息を吐き出した。

「はぁ……っつっかれたぁ……」

 白い息を吐き出し、大量の水を落としながら陸へと上がる。ケロリとした顔でぼたぼたと雫を落とす様子はさながら真夏のようだが、先のとおり此処は寒風吹きすさぶ北の海。その姿を見てカクとジャブラは上等な毛皮を使ったコートを着込んだままぶるぶると震えながら「見ていて寒い」だの「さっさと服を着ろ」だのと言うが、好き勝手言ってくれる。彼ら人間の体が弱く、寒さに耐えきれないから、代わりに潜ってやったんだろうに。

「えいっ」

 アネッタはキンキンに冷えた両手でカクの頬を包むことで罵倒の元を一つ潰すと、「どうだった」と尋ねるロブ・ルッチに向けて、呟いた。

「酷いもんだよ、目標の船は沈んでいたけど死体がどれも荒されてた……多分、海王類の仕業かな」
「……物は」
「所有者の証明が出来ればいいんだよね」
「あぁ」

 アネッタは少しの間を開ける。何か悩むような素振りではあったが、カクの頬を包んでいた手のひらは漸く温もりを取り戻した。彼女は濡れて張り付いたポケットに手を突っ込んだ後、ルッチのもとでそれを差し出した。

「……ギミックコインと、銀時計か」
「そう、お望みとあらばもう少し潜るけど、船体と遺体の損傷を見るに期待しない方がいいかもね」

 彼の手のひらに乗せられた、細かな模様が描かれた銀時計と一枚の硬貨。氷のように冷たいそれは煌めきを放つ一方で雫を落とし、銀時計の頂点にあるリューズを押して表面の蓋を開くと内側には持ち主の名前が刻まれていた。ルッチはそれに視線を滑らせた後、静かに言った。

「いいや、十分だ」
「そう?」

 語る言葉は無いものの、話を終えた彼の瞳がご苦労と語る。アネッタは彼の瞳に双眼を細めて笑った後、流石に寒いかもしれないと水を含んで重くなったポニーテールを絞るが、氷が張り氷山が出来るような場所だ。先の悪戯で一時は温もりを取り戻してもすぐに奪われてしまい、アネッタは指先が赤くなり、冷え切った手のひらに意味もなくハアと息を吐くと微かに聞こえた舌打ちが袖を引く。見ればロブ・ルッチがコートを差し出している。それも上質な毛皮を使ったものだ。それには思わずアネッタも瞬きを繰り返し、戸惑いを露わに「あの、ええと」と言葉を滲ませるが「いらねぇのか」と急かされてしまえば受け取らざるを得ない。

 よって、アネッタは自分よりもはるかに大きなコートを受け取る事になったが、彼とはうんと身長差があるせいでコートを着ているというよりもコートに着られているような見た目だ。カクもそれには肩を揺らして「まるで白い獣じゃの」と笑い、アネッタはたまらずカクを叩く。しかし手も出ないせいで、もふもふぱんちが攻撃となることはなく、アネッタはルッチに向けて「ルッチ!カクが!」と言いつけるが、当然のように「うるせえ」と一蹴されてしまい、アネッタはしょんぼりと頭を垂らしながらもコートに着られ、ぬくぬくもこもこと体を温めた。