お給料日のあとに

 アイスバーグさんの予定を見ると、毎月二十五日は綺麗な余白になっている。

 毎月二十五日は、彼が代表取締役を務めるガレーラカンパニーのお給料日だ。未だ銀行機能が普及していないこの世界での引き渡し方法は手渡しで、給与の計算から封入作業、仕分けなどの準備作業は、全てガレーラカンパニーの事務方である人事部給与係が担当している。その為、毎月お給料日が近づくと準備作業によるバタバタとした様子が事務部門に漂うようになる。

 アイスバーグさんはそれを見るたびに「もう少しこの辺りがオートマチックに出来れば良かったんだが……」と申し訳なさそうな顔で息を落とすが、ここで批判が出ないのはアイスバーグさんの人徳があるからだろう。

「よし、……では次」
「はい、次は…ええとヒューストンさん、こちらへどうぞ」

 私は名簿を見て、声を掛ける。

 会社の従業員たちは総勢数百人にも及ぶため、お給料日には朝から時間で区切っての手渡しが行われる。場所は本社の広い一室を臨時の給料受け取り場として使用しており、その日は時間通りに集まった従業員たちが列をなして待ちわびた表情で順番を待っており、アイスバーグもまた、給料日というものを大切に考えている。

 それは、自らが給料を手渡しすることで従業員たちへの感謝と尊敬を示すことが出来るからだ。彼は洒落たスーツに身を包み、穏やかな表情で給料を手渡しする一方で、従業員たちとの短い会話を楽しむ。内容は仕事の話から私生活のちょっとした雑談まで。それを見ていると、なんだか此方まで心が暖かくなるようで、つい眺めすぎていたらしい。目の前にいるアイスバーグさんと従業員の一人が不思議そうな顔で私を見つめていた。

「〇〇?」
「へ、あ、す、っすみません!」

 不思議そうにするアイスバーグさんに向けて、その日最後にやってきた従業員の名前が書かれた給与袋を渡す。アイスバーグさんはそれを見てクスリと息を漏らすように笑ったが、彼は此処で茶化す事も、話題を其方に向けることもなく従業員としっかりを目を合わせると「ヒューストン。先月もよく働いてくれた、ありがとう。ンマー…最近はお前に任せた設計図の出来が良いとよく聞いている」と声を掛けた。

 しかし、ヒューストンさんは手渡された給与袋が期待以上に分厚かったのだろう。彼は給与袋を受け取る一方で頭を下げると、「あ……っで、でも、おれはこんなに貰えるほど仕事をしてないというか……」と小さな声で呟いた。

「うん?」
「だっておれ……まだ入社したばかりですよ?それにカク職長よりも年上なのに、カクさんほど仕事も出来てないですし…」

 突然、ぽつりと出た言葉。確かに彼は先々月に入社したばかりの若手職人だ。しかし、給料が少ないと嘆くわけでもなく、まさか給料が多いと嘆くだなんて。

 アイスバーグさんはその様子を見て、ふっと息を漏らすように笑うと、ヒューストンさんの肩を優しく叩いた。

「おれは世辞を言ったつもりもなく、正当な評価としているが……ンマーそれがどうしても受け取れねえのなら、先行投資と捉えてもらっても構わねえ。」
「……先、行投資、ですか……?」
「あぁ。……いいか、お前は確実に成長している、……そりゃあ周りを見ればお前よりも年下のカクが活躍をしているんだ。歯がゆい面もあるかもしれねぇが、比較すべきはカクではなく昨日や少し前の自分だ」

 だから日々研鑽を積み成長を続けているお前に先行投資がしたいし、これが正当評価だと思っている。とアイスバーグさん。その言葉を受けたヒューストンは、唇を噛みしめ、給与袋を大事そうに抱えると、「はい…はい…っありがとうございます…!」と少しばかり声を震わせながら頭を下げた。

 きっとアイスバーグさんの言葉は、彼にとって新たな気づきをもたらし、心に希望と励ましを与えるだろう。そして彼はアイスバーグさんの信頼や期待に応えるべく、さらなる成長と努力を誓って尽力してくれる筈。

 まさに理想の関係性がそこにあったように思えた。

 そうして暫くの会話の末、最後の一人が扉を閉めると一気に力が抜けた。なんせ朝からやっていたのだ。いくら昼休憩は取ったとは言え、一日金額ミスはないか、そのほかのミスはないかを考え続けるのは中々きついものがある。私は、「終わりましたねアイスバーグさん……」と零すと、アイスバーグさんは疲れた顔を見せずにゆらゆらと肩を揺らして笑うと、「まだ残っているだろう」と言って私の方へと体を向けた。

「え?」
「まだ、〇〇が残っている」
「あ……」

 言いながら、アイスバーグさんは机の上に残っていた給与袋を手に取る。そしてそれを私に向けて差し出して、文字通りに手渡すと「今月も、よく頑張ってくれた」と笑みを向けた。

「は、はいっ、ありがとうございます」
「以前から〇〇の働きぶりは目を見張るものがあると思っていたが、此処最近は下の者へのマネジメント業務も良くやってくれている。……〇〇が入社してもらって効率化が出来たことも増えたとよく聞いている」
「そ、そんな……」
「ンマー、おれたちは職人だから事務方に関しちゃ専門外だ。しかし、お前たち人事部門をはじめとした事務方がいると心強い。だから、引き続きこのガレーラカンパニーに力を貸してもらえると有難い」
「そ、そんな、恐れ多いです…!」
「はは、そうか?」

 一人一人への声掛けは一日聞いていたが、自分にそれが向くとこうも嬉しく、それでいて気恥ずかしいのか。胸が暖かくなると同時に、なんだかこそばゆくなるお腹。頬が緩むのを感じて給与袋を手にしたまま口元を覆うとアイスバーグさんは目元を和らげるように笑って「それで」と言葉を続けた。

「仕事が終わったんだ、……ンマー、おれの懐が温かいうちに食事でもどうだ」
「え?」
「給与係も落ち着いただろう?」
「え、あ、はい。……あ、じゃあ給与係の皆にも聞いてきますね」
「あー……」
「?」
「……おれはお前ひとりを誘ったつもりだったんだが」
「えっ」

 思わず驚き瞬く瞳。アイスバーグさんはそれを見て、肩を揺らしながらくっくっくと、普段よりも悪戯に笑うと「そうか、今日一日お前と仕事が出来ると喜んでいたのはおれだけだったか」と零し、それの意図も語らずに私を見下ろすと「それで、誘ったことについての返事は?」と穏やかに尋ねた。