二話:家紋入りの懐中時計

「いいか、お前たち。入場のタイミングは、場が温まった頃合いだ」

 竜の夜会が始まって、一時間が過ぎようとした頃合い。美しいシャンデリアが招待客を覗く中、ドアマンによるスパンダムの入場を告げる声が響く。その瞬間、招待客たちの視線は入り口へ。視線は驚きや疑念、歓迎と様々ではあったが、その視線を一手に引き受けた夜を纏う男たちは、足元にある高級な敷物を踏みしめながら悠然と歩いていく。

 先頭を歩くスパンダムは、光沢感のあるダークグレーのスーツに身を包んでおり、その襟元には繊細な金の刺繍が煌めいていた。緻密に縫われた模様は、夜会に相応しい竜の鱗を彷彿とさせるもので、光に当たる度に輝きを放つそのシルエットは、彼の威厳を際立たせている。そして、その後ろでウェーブがかった髪を束ねた男と、長鼻男の従者二名がスパンダムの足跡をなぞるように、優雅に歩みを進める。

 二人が纏った黒いスーツの袖口には金の模様が巧みに縁取られ、その輝きはまるで宝石をちりばめたように見える。会場の人々はその華麗さに思わず息を飲んでいたが、従者の後ろを歩く者に気付くと、驚きをその顔に滲ませた。

「あれは一体……」

 招待客の一人が呟く。彼らの視線はまるで、この煌びやかな場にはふさわしくはない。そのようなことをもの言いたげな視線であった。

「アゼンタイン伯爵!」

 無論、それらの視線をまるっと流したスパンダムは、竜の夜会の主催者であるアゼンタイン・バイエルン伯爵へと声を掛ける。アゼンタインはそれを受けて「おお、スパンダイン君のところの」と言葉を返したが、後ろに控えた小汚い外套を被った者をちらりと見ると、「……して、君は招待した覚えはないのだが」と拒絶の姿勢を見せた。

 アゼンタイン・バイエルン。由緒正しい領地持ちの伯爵貴族だが、彼もまたスパンダムと同じく合理的な男であった。そのため、スパンダムのような領地も持たず、苗字すら無い成り上がりの貴族とコネクションを持つことに価値を感じていないのだろう。見れば招待客の殆どは由緒正しい貴族たちで、彼らの衣装はスパンダムと比べても非常に華美である。――が、これも計算の内。
 周りが華美であるからこそ、浮いて見える姿は印象として強く残る筈だとスパンダム。彼は笑い、小物感を見せるよう手を擦り合わせると「えぇ、今回はどうしても見せたいものがありまして」とアゼンタインと同じように布を被った者を見た。

「……ほう?」

 僅かに興味を乗せて、アゼンタインはその小汚い外套を被った者を見ると、興味深げな視線を向ける。

 その者の外套は、足首まで覆うほどの長さがあった。しかし、汚れによって元の色が不明瞭になっており、明らかに使い古されたものだと分かる。その上外套から伸びる手足は細く、傷だらけ。顔はフードで覆われており、今の立ち位置から伺えるのは何もない暗い陰影だけであった。

「……彼女は竜人族の末裔です」

 スパンダインが耳打ちをしたその瞬間、僅かにアゼンタインの瞳孔が開く。しかし、良い反応に見えたのはほんの一瞬のことで、帰ってきたのは「証拠は」という何とも愛想のない硬い言葉であった。まぁしかし、予想外ではあれど、想定内ではある。スパンダインは薄く目を開いた後にこりと笑うと、長鼻の男が外套へと伸びる鎖を引いてアゼンタインの前へと連れていき、外套から伸びる腕を見せた。

「こちらが証拠です」

 外套から伸びる腕には、岩を模した鱗のようなものが浮かんでいた。それも、一つや二つでは無い。手首から手の甲にかけては殆どその鱗が覆っており、近くに立つアゼンタインの側近はおぞましいとも言える光景に「ひ」と息を飲んだが、それは確かな竜人族である証拠。特に、竜の生態を良く調べているであろう竜の夜会の主催者ならば理解できる筈。スパンダムはそう踏んでいたが、その予想は外れることになる。

 アゼンタインは驚くわけでも、悦ぶわけでもなく、「それで?これが一体なんの証拠になると」と鼻で嘲笑ったのだ。

「え?」
「話にならんよ、スパンダム君。……さあ、帰ってくれ」
「ど、どうしてです?!あなたが求めていたものでしょう!」
「……、……君のような下心を覗かせて偽物を連れてくる輩はごまんといたさ。……中には奴隷を買って、手に石を埋め込んだやつもいたよ、君のようにね」

 それは明確な軽蔑であった。彼は早々にスパンダムも同じ部類だと見切り、これ以上の会話を望まぬ姿勢として側近に「スパンダムくんがお帰りのようだ」と静かに呟いた。――が、此処で終わらせるわけにはいかない。

 スパンダムは気付かれぬほど小さな音で舌を打つ。それから無理に奴隷の腕を掴んでぐいと引くと、後ろに控えた男たちは周りの視線を遮断するように隣へと立った。アゼンタインはその行動に薄く目を見開いたが、「っで、では!これならばどうでしょうか!」と明らかに焦りを滲ませながら提示したそれに、今度こそ目を丸くして驚きを見せることになった。

 スパンダムが指を食いこませるほど握っている手が、目の前で形を変えたのだ。それも、人間とは思えない、岩を纏う竜のような前足に。

「うう……っ」

 不自然に腕だけが変わったことで体勢を崩す奴隷。確かに顔は見えないが、ただの人間では無いように思う。しかし、これだけでは疑念は拭いきれない。
 アゼンタインは動揺しながらも「……!いや、しかし能力者という可能性も」と疑念を向けると、今宵は従者となったロブ・ルッチがウェイターの持つ氷水を入れたバケツ型のワインクーラーを取って、それを奴隷の腕へとかけた。

「……能力者であれば、水を受けて状態を維持することは出来ません」

 従者は言う。確かに、悪魔の実の能力者は、水を掛けられるだけでも能力が解ける筈。であれば、目の前で何ら変化を見せないこの奴隷は、本当に。

 アゼンタインは震える手を伸ばす。その手はフードを降ろし、ようやくそこで露わとなった奴隷は小麦色の髪を揺らして長い前髪から金色の瞳を覗かせる。そうして奴隷と目を合わせたアゼンタインは独り言ちる。

「ルードベキア……」

 その時、奴隷役のアネッタが僅かに動揺を示す。彼女は無意識に後退り、背後に立つカクにドンッとぶつかると動揺の色を見せた瞳が彼を見上げ、カクもその違和感を汲み取ったが、此処で役目を外して尋ねるわけにはいかない。カクは後退った分を戻すように背を押すと、彼女しか聞こえぬほどの音で「気を抜くな」と囁いた。

「……、……スパンダム君、一体何が望みかね。」
「はい?」
「わざわざ慈善活動として彼女を引き渡しにきたわけではないだろう」

 アゼンタインは驚きを滲ませたまま、静かに問いかける。
 アゼンタインは知っているのだ。この男は自分と同類で、無償の慈善活動を行うようなタマではないと。

「いえ、いえ…私は何も。…ただ、アゼンタイン伯爵様がうちの家門に手を貸して下されば、それで」

 スパンダムは白々しく言い、にっこりと笑う。

 これで一資産築くのも良いが、それは結局のところその場限りの臨時収入だ。であればその場限りのものよりも、今後の繁栄にや資産に繋がるものの方が良いに決まっている。アゼンタインは渋る様子を見せたが、もう一押しだと睨んだスパンダムは「加えて、彼女はこういった能力もあります」と言って奴隷が着た外套の足元を捲ってみせた。

「これは……一体……」

 鱗を帯びた素足には、エメラルドやルビーと思われる美しい鉱石が顔を覗かせていた。岩の鱗についたそれは光を受けてきらきらと確かな煌めきを放っており、「…彼女は岩竜ですから。……彼女が居れば、アゼンタイン家は半永久的に資産が枯渇することは無いでしょう」と薦めると、アゼンタインはううむと唸ったあと、自分の腰に下げたバイエルン家の家紋入りの懐中時計を今回の褒賞として渡しながら言った。

「……分かった、これは前払いだ。……ただ、まだ信じられん。一度部屋へと連れていってもいいかね」

 この場では周りに見られてしまうとアゼンタイン。彼は余程焦っているのだろう、先ほどまでは此方を見下して、高圧的な態度をとっていたと言うのに、いまは此方に向けて乞う立場へと変わった。それを見てスパンダムは受け取った懐中時計を緩く握ると、にっこりと愛想の良い笑みを浮かべて「えぇ、勿論」と言って、彼らの後ろ姿を見送った。