二十年後のハッピーエンド

ことの始まりは一本の口紅から。

時刻は二十時頃、比較的早めに仕事も終わり食事も終えた仲間たちは各自に割り振られた自室へと戻る中、いつものように隣の部屋に足を踏み入れた。しかし、部屋の主である幼馴染であり恋人の姿は無く、代わりにベッドの横にあるサイドテーブルに”私がやって来ることを想定した書き置き”を見つけると、思わず笑ってしまった。

「…なんでもお見通しなのね。」

書き置きに指先を這わせて彼の綴った文字をなぞれば、その書置きは丁寧に隅を合わせて折りたたんで、懐にしまおうとポケットの入口に紙を差し込んだ。が、うまくいかずに足元へと落ちたそれは、ベットの下へと吸い込まれてしまった。おっと、落ちたのに気付いて良かった。

私は床に手と膝をついてから、ベッドの下を覗き込んで、少し奥まで入ってしまった書き置きに手を伸ばす。

こうして難なく書き置きを確保することはできたのだが、メモの奥にまだ黒いシルエットがあるように見えて私は興味心で、書き置きのメモを握ったまま手を伸ばして、黒いシルエットのそれを掴んで此方へと引き寄せた。

「………あら、見たことのない袋」

 それは高級ブランドのロゴが中央に入った真っ白な紙袋だった。中を覗くと何やら統一感のない小さな小箱などが乱雑に入っており小箱の中には何か入っているのか、持ち上げると程よく重い。一体これはなんだろう。まぁでもベッドの下にあるということは見られたくないものかもしれない。私も小さい時には見られたくないものをベッド下に隠していたし。なんだカクも案外可愛いとこあるじゃない。そんなことを思いながらベッド下に戻そうと、視線を紙袋に落とした時、よく見知っているものを見かけて私は目を瞬かせることになる。紙袋に乱雑に入れられた小箱の中に、箱から出された口紅が入っていたのだ。
 その口紅はまずカリファが愛用しているお気に入りのブランドではないし、私が好きなブランドというわけでもない。更によくみたらその他の箱にも女性向けブランドのロゴマークが印字されている。
 もしかしたら、彼は私ではない、誰かと付き合っている?
それに気づいたとき、私はぞっと背筋を震わせて、絶句した。
私の知らないカクが居る。それが無性に腹立たしくて、嫌で、気持ちが悪い。というか、そもそも私たちは付き合ってなかったんだろうか。カクとこの先も一緒にいられるんだと喜んでいたのは私だけだったんだろうか。
 そう思ったらたまらなく悲しくなって、気付けばコップをひっくり返したみたいにぼろぼろと涙が溢れていた。まるで小さな子どもみたいにひっきりなしに溢れる涙は、手元にある女物のプレゼントが入った袋を濡らし、私は今までに感じたことのない身悶えするような嫉妬に包まれた。

「……アネッタ?」

 そこに、いつのまにか帰ってきていたカクが、扉に背を向ける私の背中に問いかける。床に座り背中を丸めて肩を震わせる姿はおそらく異様だったのだろう、違和感を感じて近寄ってきた彼は、私の顔を見るや否や酷く狼狽して肩を掴んだ。

「ど、うしたんじゃ…一体何が…」

 カクの真っ黒な瞳に映る私は、醜く竜化しはじめていた。頬に浮き出た岩肌のような鱗に、獣のような縦長の瞳孔。恐らくは不安定な精神面が顕著に出た結果なのだろう。しかし今更抑えるにも、涙が止まらぬ状況で抑える事なんてできる筈もなく、心配そうに私を見つめる彼から視線を落とした。

「……っか、く…、…っ私だから、私だから良いっていってたのは嘘だった?……ひ、っ……す、好きって言わなかったから?だから、だから…っ」
「な、え、どういうことじゃ、一旦落ち着くんじゃ、な?」

 カクが困惑するのは当たり前だ。けれど、頭はまるで毛糸がぐるぐると絡まってしまったみたいに言葉がうまく纏まらないのだ。たしかに私と彼の間に明確な好きという言葉はなかったと思う。でも私達は小さい頃から一緒にいる幼馴染だから、だから言葉が無くてもお互いに通じ合っていると思った。なのに、明確な好きという言葉がなかったから首を絞められているだなんて。彼を取られたくない。彼に触れられたくない。自分の中で生まれた明確な嫉妬心は理性などを全て押さえつけて、私は肩を掴んだ彼の手を振り払うと手に持った口紅を彼に押し付けた。

「…っ、この口紅、なに?……っわたしたち、付き合ってなか、ったの?………っ私浮かれててばかみたいじゃん…ッ、…ッカクのばか!!大っ嫌い!!!!!」

 あまりにも子どもじみた言葉だったと思う。しかし、私の言葉を受けたカクはよた、と後ろによろめいたので私はその隙に部屋を出て走り出した。

 私の自慢は足が速いことと、それからとても力が強いことだった。足の速さなんてカクよりも早くて、唯一彼に勝てるところだったのに、彼は私の腕を掴んでいた。

「待て!アネッタ…ッ!待つんじゃ、話を聞け!」
「やだぁ!!聞かない!!!」

 私はもう理性もなく、ただの子供のように喚いた。彼から別の女の存在を聞く事も、付き合ってないと言われることも、私には何のメリットもない話ではないか。しかしカクは話を聞く事ばかりを進めて話にならない状態で、手を振り解こうにも、握られた手はあまりにも強く振り払うことは叶わず、それどころか手を引かれた私は彼の胸板にすっぽりと収まってしまった。

「…やだぁ…!……っう、く…カクなんてやだよー…離してよぉ…」
「…嫌じゃ。……話したらアネッタはわしの言葉なんて聞かずに逃げてしまうじゃろう。」
「だ、って、話なんて…っ、う、……く、ひ、っく……」

 涙が止まらない。この場から逃げ出したい。なのに問題のカクはそれを許してはくれず、私を強く抱きしめたままで、私はたまらずに彼の上着をぎゅうと握りしめた。そうして少しばかり私の涙が落ち着いて、カクの上着をびしょびしょにした頃、カクはどこかおそるおそるという様子で抱きしめる力を弱めた。

「………おぬしからの嫌いは、しんどいのう」

 それはもう、しみじみと呟いた。

「……」
「…でも、嫌いと言わせたのはほかでもない、わしなんじゃよな。すまん、悪かった。…………少し、話を聞いてくれるか?」

 カクがじいっと詰めてくる。彼の瞳は本当に申し訳なさそうで、どこか、不安も孕んでいるようにも見えた。そんな彼を見たら、それを断ることも出来ずにこくんと一度だけ頷くと、そうか、と彼は少し安堵したように笑んで、私の手を取るとそこにあの白い紙袋の持ち手を通した。

「勘違いさせて申し訳ないが、これは全てアネッタのものなんじゃ。」
「……どういうこと?これ、私もってないし、カクから貰ってないけど…。」

 思わず眉間に皺が寄る。

「だから…あー……、…っ、これは、毎年渡し損ねた誕生日プレゼントなんじゃ」
「…?」
「わしらは誕生日が近いじゃろう?おぬしが8月5日で、わしが8月7日。じゃから毎年の誕生日プレゼントはお互いに食べられるようなものを渡すことが恒例となっておったが、………おぬしが成長していくにつれて、このままで良いのかと思って買っておったんじゃ。」

「……初知り、だけど、……本当?」
「本当じゃ、初知りなのも言っておらんかったからな。なんせ毎年妙に気恥ずかしくて渡せず、かといって捨てることもできなかったものじゃし。」
「…じゃあ、…………これは?」

私が一つずつ問いかけると、彼は誠実に答えてくれた。

櫛は毎朝髪を解くのに困っていたから。しかしなんだか押し付けがましい気もしてやめた。
帽子はいつも帽子を被っていないから。髪留めは渡そうと思ったが、前日に髪をばっさり切ってしまったから。ピアスは似合うと思って買ったはいいものの、穴が開いてなかったから。などなど、一つずつ答える彼は、何十年と隠し続けていた恥を暴かれて、気恥ずかしそうなそんな表情を浮かべていたし、私も現金なもので、彼の言葉を聞いているうちに、あれだけ溢れていた涙は蛇口を捻ったようにぴたりと止まっていた。

「……………じゃあ、カクは私のこと好きってこと?」

 たくさんのプレゼントを前に問いかける。カクは改めて問われた内容に少し面食らったような、そんな表情を浮かべたが、眉尻を下げて穏やかに笑うと私の体をもう一度、いや、今度は逃げられないようにする目的ではなく、宝物みたいに大事に優しく抱きしめるのだ。

「……はは、大好きじゃよ。どれだけ片思いしていたと思っておるんじゃ。」

カクの言葉があんまりにも優しいから、安心のあまりにまた目頭が熱くなって、不意に涙を落とすとカクは目尻に口づけを贈るので、少し恥ずかしくなってしまった。
気恥ずかしさを隠すために話題を変えようと数十年分のプレゼントが入った紙袋を彼の前に出した私は

「あ、ねぇ!あの、ということは今年のプレゼントもあるの?」

と問いかけてみる。

この言葉にカクは「あることにはあるんじゃが…」と歯切れの悪い言葉を零されるので、用意していなかったかと話題チョイスをミスったことに後悔していると、カクは無言で私の左手をとって薬指の根本をすりすりと、まるで労わるように撫でると視線をちらりと此方に向けた。

「……受け取ってくれると、嬉しいんじゃが。」

そういって少し上目遣い気味に問いかける彼に、小さく笑った私は答えの代わりに口付けを送った。

その日の夜風は穏やかで、月明かりも柔らかい夜だった。私たちはお互いに身を寄せ合って、今ある幸福にとこれからの幸福に夢を描きながら、談笑を続けるのであった。