※ルッチとジャブラは肉体的、カクは精神的暴力を行うため注意。
※「親戚の子」に関連した話です。
「じゃあお前は鼻が変だから8月7日が誕生日だ」
グアンハオに入れられて、わしの生活は180度変わってしまった。
食事は一日三回決まった時間しか出ないし、少しでも遅れてしまったら食べられないこともしばしば。時間に遅れなかったとしても最年少であることを理由に上級生に取られることも多いし、何より日々の鍛錬は痛みの連続だ。親の行方が気になって大人に声をかけるとこの島でその類の話題は禁じられているという言葉を繰り返すだけ。
ふと寂しくなって泣いてみれば、大人たちは目を吊り上げて鬼のような形相で頬を叩くではないか。
もはや地獄だった。なんにも楽しくない。なんにも面白くない。苦しいだけの日常が続くだけ、こんなことならいっその事―――そんな限界が近づいていた頃、一人の候補生が入ってきた。名前は〇〇。わしと同じ背丈、わしと同じような小麦色の髪、わしと同じ年齢。その他は性別も違うし、何より竜人族だとかでわしとは生まれも境遇も全く異なるようだったが、たった三つの共通点がわしの中に光を与えたのだ。なんせ〇〇はわしよりも劣っていた。不器用で、泣き虫で、弱虫で。だから、〇〇よりも少し先に候補生に入ったわしが彼女を守ってあげなければいけないと、そう思ったのだ。
「んふふ、耳かして」
竜人族特有らしい”竜の暴走熱”が治って三日後の夕方。久しぶりの鍛錬を終えた〇〇と共に、他の候補生に混じって部屋に戻っている最中、にまにまと何かを企むような表情を浮かべる〇〇がわしの小指を握って引き留めてきた。幸いなことに部屋に戻る候補生の列の最後尾だったこともあり、気兼ねなく足を止めると、〇〇はわしの方に身を寄せて耳元で声をひそめながら囁いた。
「あのね、今日ね、外に行こうと思うんだ。」
「は?外、って………いや、外は禁止されておるじゃろう」
「そうなんだけど、この間竜の暴走熱になったときに氷のおじさんがきてくれたでしょう?そのときにお外は楽しいんだぞって教えてくれたから、みてきたいの!あ、でもカク、内緒にしててね。絶対みんな怒るでしょ?」
何を言っているんだこいつは。この地獄から抜け出せるからずるいとか羨ましいとかそういう類の感情ではない。わしから平気で離れようとする彼女に向けた、純粋な怒りだったと思う。今までに抱いた事のないようなどす黒い感情を腹に溜めたながら彼女に見えぬところで拳をきつく握りしめると、わしは愛想よく笑みを浮かべて彼女に否定も肯定もせずに問いかけた。
「でも…グアンハオは島じゃぞ?どうやって外に行くというんじゃ」
「ふふー、実は最近自由に飛べるようになったんだ。ちょっと疲れるけど、島の外を見て帰るぐらいだったら出来るんじゃない、かなぁ」
そう呟く彼女の声色はどこか自信満々だ。確かに、今でこそ彼女は左目の生え際に小さな角を生やしているだけで、他は何ら変わらない見た目をしているが、竜人族の持つ”竜化”という特殊スキルによって竜になるだけではなく、見た目を然程変えずに翼を生やすことの出来る彼女は逃げる術を持っている。今までは竜化しても飛び立つことは出来なかったはずなのに、一体いつ出来るようになったのだろう。
「……仕方ないのう、わしが此処で引き留めても〇〇はやめないんじゃろう?」
「へへへ~」
「はぁ…、わしは止めたからな?」
「うん!ありがとう、カク!」
にこにこと嬉しそうに頬を綻ばせる彼女は、わしの体にぎゅうと抱き着いて頬を摺り寄せる。わしはその背中をぽんぽんと優しく叩いてやりながら、さてどうしたものかと恐ろしく回りまわって回転する頭の中で最善策を捏ねるのだった。
*
「いいかい嬢ちゃん、外の世界ってのは広いもんだ。嬢ちゃんくらいの年だったらまず外で遊んで、昼になったら昼寝して、おやつを食って、また遊ぶ。それが仕事みたいなもんだな」
「ええー、でもグアンハオでは鍛錬ばっかりだよ?」
「そりゃあグアンハオにいるからだ、嬢ちゃんも外の世界に出たら分かるさ、外の方が楽しいって」
竜の暴走熱でなかなか熱が下がらない中、暇つぶしにと話してくれる氷のおじさんの話は、私にとって希望みたいなきらきらしたものだった。おじさんはここの大人たちとは違う。いつも優しい目で私を見て、大きな手のひらは私の頭を撫でてくれるのだ。
熱が下がった後、氷のおじさんはすぐに帰ってしまったけれど私の中に残るきらきらは消えることなく居座り続けていて、私は鞄の中にお気に入りの洋服と、髪飾りだけを入れるとそれを背負って部屋を出た。冷たい石畳を進んで階段を上がり、ぽっかりと穴が開いただけのような窓に足をかけてよじ登ると、まるで私の門出を祝うような満天の星空が瞳に入る。
嗚呼、今日はきっと特別な日になるぞ。外に出たらどうしよう、一体何をしよう。氷のおじさんはえらいなって褒めてくれるだろうか。胸がどきどきと弾んで、心臓が胸の外へと飛び出しそうなほど激しく鼓動を打つ。私は小さく息を吐き出すと外に向けて足を踏み出した。その時のことだった。後ろから突き刺すようなひやりとした声が響いたのは。
「そこまでだ。」
心臓が警告の早鐘となって胸を突き続ける。
「ル、ッチ…」
「……おいおい、まさかここから逃げるなんて言わねぇよなァ、〇〇」
「ジャブラ…」
「ち、ちがうの、あの、ただ外を……」
後ろに立っていたのは自分よりもずっと年齢が上で優等生と言われているルッチとジャブラと、それからここを管理している大人だった。嫌だ。怖い。ルッチもジャブラも月明かりを受けて瞳が獣のようにぎらぎらと光っている。声を上ずらせながら誤魔化しの言葉を並べたが、それが嘘であることなんか歴然としていて、恐怖から手も、足も、がたがたと壊れたおもちゃみたいに震えるのだ。
「お前は候補生として規則を破った。よって、お前は規則に則って捕縛させてもらう。」
しかしルッチはそんな私を見ても顔色一つも変えずに、後ろに立っている大人の代わりとばかりにつらつらと私に下された罰を読み上げる。横で、じり、と石を踏みしめたジャブラが此方へと近付くのが分かる。どうする。どうすればいい?目の前には大人と、優等生が二人。年が離れた相手に、ましてやルッチとジャブラに勝てる筈がない。であれば残された道は一つしかない。膝はがくがくと情けないくらいに笑っていたけれど、私は唾を飲むと意を決して彼らに背中を向けるよう踵を返せば、背中に翼を生やしながら屋根を駆けて自殺志願者よろしく空に飛び込んだ。
「あう、う!!」
―――筈だった。気づけば私は髪の毛を掴まれて、冷たい石壁に押し付けられていた。打ち付けられた衝撃は相当なものだったんだと思う。ぶつけた額ががんがんと激しく痛んで、目がちかちかと点滅を繰り返し、泣きたくないのに涙がぼろぼろと零れていく。
「ぎゃはははは!ほらお前もこれ以上痛い目を見るのなんか嫌だろ?泣き虫のガキが無理すんなよ」
髪の毛と鷲掴みするジャブラは、ぼろぼろと泣きじゃくる私を見て耳元で酷く愉快そうに笑う。頭を動かそうにも体格さもあってびくともせずに、ぶらんと浮いた足をじたばたと動かすがジャブラはそれを見て笑うだけだ。
「で、でも氷のおじさんが、外は楽しいって……!」
「氷のおじさん?誰だよそれ」
「あの海軍の、竜の暴走熱が出た際に派遣された男だろうな」
「あぁ~なるほどな、それでお前は外に憧れを抱いて逃げようとしたわけだ」
「……ッ」
「馬鹿だよなァ、そんなの子供騙しの話だってのによォ!」
夢を崩すような言葉が階段に響いて、積み木だ立てたお城ががらがらと崩れるようなそんな感覚が広がると同時に、ルッチが「ジャブラ、もう終わらせるぞ」と言い、「あぁ、わァってるよ。おら、泣き虫〇〇。抵抗すんなよ。俺たちも別におまえをいたぶりてぇわけじゃねェからなァ」と笑ったが、その声はもう私には届かなかった。
神様、どうして私は夢も希望も抱けないのでしょうか。
彼らの指が私の腹を貫いて。そこで私の意識は途絶えた。
*
〇〇が懲罰室に入って21日が経った。
グアンハオにある懲罰室というのは地下にあり、石畳みと石壁で出来た其処は窓も明かりもない真っ暗な密室だ。ひんやりと冷たい石造りは身体の体温を奪い、そこで決められた日数を過ごすことになるのだが、真っ暗な密室で今何時で、何日が経ったのかも分からない其処は子供たちに怯えられていたし、あのジャブラやルッチでさえも酷く嫌悪している場所であった。
そんな懲罰室に〇〇が入って21日目。21日目の彼女は少し痩せたように思う。
ああ、でもそれもそうか。食事は毎食パンと少しのシチュー。栄養なんか殆ど考えられていないメニューの連続でどう体系を維持しろというのか。両手足には竜化を許さぬ頑丈な手錠をされており、わしがカンテラを片手に食事を持ってくると、〇〇は石壁に凭れたまま力なくわしを見つめた。
「〇〇、ご飯をもってきたぞ」
「カ、ク…?」
「あぁ、そうじゃ。……どうじゃ、腹はまだ痛むか」
わしの問いかけに〇〇はびくりと肩を震わせたが、少しばかりうつむくと顔を左右に振った。
「……そうか、ほら、食事じゃ。〇〇も一日の愉しみなんじゃからしっかり食べんとな」
言いながらわしは彼女の前にカンテラと、それからシチューとパン、それからスプーンが乗った銀トレーを置いたが彼女はちらりと一瞥するだけで手を動かそうとしない。懲罰室ルールによって一日に一度しかない食事だというのに食べないだなんて、一体何を考えているのだろう。いや、もう何も考えられないのか。仕方ないと変わりにスプーンを取ってほかほかと湯気を上げるシチューにふうふうと息を吹きかけて、彼女の口元に差し出した。
「食べんといかんぞ。どれ、…ふー、ふーっ、ほれ、あーんじゃ」
「……ん、……」
シチューを顔の前に差し出してやれば、〇〇は少し困惑したような表情を浮かべたが、口を近付けるとそのままぱくりと口に含んだ。それがなんだかひな鳥のようで、やっぱり彼女にはわしがいないとダメなのだと思うと、思わず頬が緩んでしまった。
「うんうん、良い子じゃのう。ほれ、パンも食べるか?シチューに浸してもうまいと思うんじゃが」
ひな鳥のように口を開ける彼女に餌付けをしながら、掠れて声の出ない彼女にかわって一人でピエロ演じて話を続けてわしは彼女に向かって笑みを向ける。だって今の彼女が一番求めているのはこの部屋にない優しさと暖かさであることは間違いないのだから。
「カ、く……ッ、ふ、…っう、うう~~…ッ」
話している最中、まだ食事中だというのに、〇〇はひっくとしゃくりを上げながらぼろぼろと涙を流しはじめた。きっと泣く事でしか気持ちを抑えることができないのだろう。掠れた声はわしの名前を呼び、縋るように泣く彼女をみたわしは、一度トレーに食器やスプーンを置くと、彼女の細い腕を掴んで思い切り抱きしめた。
「また泣いておるのか?……大丈夫じゃ、ほら、わしは此処におるじゃろう?」
「だ、って、ここ、怖いよ、ぉ…っ、ここに一人にしないで…ッ」
「……〇〇。……しかし、これで分かったじゃろう。外になんかいってはいかんと、悪さはするものじゃないんじゃ。……それにここならわしがおる。それでいいじゃろう」
「………ひっく、…カクは、…っ、カクはいなくならない、で」
「あぁ、勿論じゃ。おぬしがおるのに、わしが離れるわけないわい。」
ろくでもないことを吹き込んだ男と違って、わしはずっと〇〇といてやれる。
啓蒙を続けて毎日毎日似たような言葉で慰め続けたこともあり、21日目にして彼女はわしの頭に頭をぐりぐりと押し付けて「カクと、ずっといる…」と小さく、小さく零した。
ああ、大成功だ。縋る〇〇を一人残して懲罰室を出たわしはトレーを返却するために食堂へと向かう最中、にやにやと笑うジャブラと出くわしてしまった。ジャブラは階段の途中で壁に凭れてまるでわしを待っていたかのようだった。
「いやァ、お前も怖ぇな。アイツのことを密告したってのに、自分は密告なんかしちゃいないって立場でアイツを仲良くやってんだろ?」
怖ぇなぁ。と笑うジャブラの声は酷く不愉快だ。脅しのつもりかは分からんが、それを無視して通り過ぎると舌打ちと共に可愛くねぇと背後で聞こえた気がしたが、わしは聞こえないふりをして食堂へと急いだ。