ラッコ肉騒動

「アイスバーグさん、ご馳走様でした。」
「すいませんおれまで。」
「ンマー、〇〇の受注祝いだ。気にするな。」

 パウリーを引き連れてガレーラカンパニー本社へに受注報告を行って、そのままアイスバーグさんの奢りで昼食を済ませた帰り道。アイスバーグさんも様子を見に行くと言うので三人でガレーラカンパニーへと向かうと、何やら門前は職人たちによる人だかりで塞がっており、職人たちが私たちに気付くと塞いでいた門を開くよう左右に分かれて、「た、大変なんです!」と声を上げた。

「どうしたんだ。」
「じ、実は昼食にラッコ肉が使われていて……」

 アイスバーグさんがと問いかけると、職人は少しばかり言いづらそうにと零す。ただ、事故でもなければ、怪我でもない、ただの肉の報告に私たちは目を瞬かせていたと思う。パウリーなんか報告をしてきた職人の胸倉を掴むと「ふざけてんのかぁ!!」とか声を荒げながら揺さぶっている。

「ち、ちが…こ、このラッコ肉というのが……よ、よ、よ、欲情効果があって!!」

 揺さぶられる職人は目を回しながらも最後まで言い終えると、やっぱり私たちは目を瞬かせる。
 つまりはええと。

「職人たちがみんな欲情してる……ってこと?!」

 話をまとめるとこうだ。昼食で大衆食堂へと向かった男たちが食べた料理に入った肉が、欲情を促すラッコ肉だったとか。いや、そもそもなんでそんなものを使ってるんだと思ったがそれはもう何も言うまい。そんなこんなでラッコ肉を食べた男たちは、軒並みガレーラカンパニーに帰るや否や欲情しているとかで、街へと出ないよう食べていない素面の男たちで塞いでいたようだ。
 しかしまぁ、なんだ。そんな中私が結論づけた言葉は、思いのほか大きく声が出ていたようで、敷地内にいる欲情した男たちの欲情の滲んだ視線が一斉に此方を向いて、男たちは手に持った仕事道具を足元に落とした。

「ええ、っと……?」

 あ、色々と選択を間違えた気がする。なのにアイスバーグさんは呑気にも私の肩を叩くと、「ンマー食後の運動だな、〇〇、追いかけっこは得意だろう。」と笑うので、全く酷い話だと思う。

「そんな子供じゃないんですから!」
「はは、まぁ、一時間もすれば収まるようだから一時間逃げ回ってくれ。外に出たほうが大変だろう。」
「いや、捕まらないって信頼してくれてるんでしょうけど、その言い方だと私だったら何されてもいいって聞こえるんですが…?!」
「うん?そうか?」
「〇〇、おれたちはこの門を守るから頼むぞ!」
「パ、パウリーまで!……っアイスバーグさん、また何か奢ってくださいよ!」
 

 とはいえ、正直、サイファーポール在籍の私からすれば一般人を避けるのなんて容易いのだが、サイファーポールのカクとルッチが相手なのであれば話は別だ。ルッチの姿は見えないがカクはすぐ目の前まで迫ってきている。
 伸ばされた一般職人の手を右上に払って、それにより生まれた右脇の隙間を潜ると、両手を前に出して前傾姿勢で突進してくる職人を跳び箱の要領で飛び越える。ラッコ肉を食べたらしい男たちは「くそ、全然掴まらねぇ!」と言い、ガレーラの敷地内から出ることが出ないよう門を守る素面の男たちは「〇〇悪い!そのまま逃げてくれ!!」と声を上げたが、「いいぞー!」だとか「逃げきれー!」だとか随分と楽しそうな声を出すじゃないか。私はそれに「了解!」と言葉を返しながら手を振ると、目の前に迫る彼とばちりと目が合って思わず口端が引きつった。ううん、私、逃げられるかな。

 カクもまたラッコ肉を食べた被害者の一人だが、欲情に飲まれているとはいえ、ガレーラカンパニーの敷地内で剃や月歩は使わない筈。だとすれば純粋な追いかけっこになるわけだが、なんせ彼とは身長が違いすぎる。身長が高い分、長い彼の手が私を捕えようと伸びてきたが、此方に触れる寸前のところで彼の手首を掴んでは、そのまま勢いを利用して一本背負いを試みたが、彼は身体を地面に叩きつけられる前に、猫よろしく体を反転させて綺麗に着地をすると舌を打った。

「厄介だなぁ……!」

 返答が返ってこないあたり、カクは本当に余裕が無いらしい。
 取り合えず彼らを撒くために、ピラミッド型に積み上げられた丸太を駆けあがった私は、腰に下げた小さな作業鞄からナイフを取り出して、丸太を纏める為にシートの上から被せられた縄を手早く切ると、大きなシートを掴んで、男たちに向かって網漁のようにシートを広げて放り投げた。シート大きく広げたことで、もし彼らがシートに捕まらずとも、一瞬だけ此方の姿が見えなくなる筈だ。その隙をついて私は丸太を下りると、辺りの男の視線がない事をいい事に剃を使って、少し離れたところにある倉庫へと逃げ込んだ。
 ただ想定外の事があるとすれば、倉庫の奥に―――ルッチが居たことか。

「ルッチ………」
「……。」

返事はない。

「ねぇ、……ルッチは大丈夫だよね」

 道具の入った箱の上に座るルッチの顔色は見えないが、彼がラッコ肉を食べたからといってそれに翻弄されるところは想像できない。それに何より、外で追いかけっこに勤しんでないあたり彼は大丈夫だったのかもしれない。奥の方に座る彼へと近付いて、声を掛けながら手を伸ばした瞬間、彼の普段とは異なる色の鋭い瞳が向けられて、私の手首を掴んだ。

「…………」
「…ルッチ」
「……、………犯されたくなければ、さっさと此処を出るんだな」

 二人きりであることを良いことに、ルッチはハットリを通さずに低い声で脅しを零す。それがらしくない発言と行動であることを肩に止まるハットリは知っているのだろう、ハットリが小さく心配を滲ませながら鳴き声を零す。

「う……、分かったわよ……退散すればいいんでしょ」

 そう呟くとルッチの大きな手のひらが掴んでいた手首を離したが、私の手首には余裕の無さを物語るよう真っ赤な痣が残っている。犯す犯さないはともかく、彼までもこの騒動に参加するのは厄介だ。取り合えず彼の警告を聞いて、倉庫を出ようと彼を離れた私は、倉庫を出る前に「ルッチ、無理しないでね」そう呟いたのだが、扉を閉める瞬間、乾いた笑いが聞こえたような、そんな気がした。


 さてどうしたものか。遠くでラッコ肉を食べた男たちは諦め悪く私の名前を呼びながら探している。


 ううん、借金取りに追いかけられるパウリーはこんな気持ちなのか。倉庫を出た私は、日の入らない倉庫裏に入ると、月歩で地を蹴り空を蹴り、高く飛び上がって一般職人では到底上る事の出来ない、背の高い倉庫の切妻屋根のに上がると、想定通り男たちは此方の姿に気付かずに私を探していたが、此処でも想定外のことが起きた。屋根の上に、まるで待ち構えていたかのようにカクが立っていたのだ。
 私の性格を考えて此処に先回りしたのか、それとも上から見つけるために上がったのかは分からないが、なんにせよいま此処で会いたくはなかった。

「さっすが山嵐さん、お高いところが好きなようで」

 いま此処にいることを気付いている者がいないからか、愛想の良さなんて無く此方を睨むように見つめるカクを見つめて、私は小さく嫌味を零す。愛想の良い大工職職長の彼はどこへ行ってしまったんだ。まぁそれだけ余裕が無いということなのだろうが、それを私にぶつけるのだけは勘弁して頂きたいものだ。

 しかし、余裕が無いということは手段を選ぶほどの理性は残っていないということで、他に見られていない事を良い事に遠慮なく剃を使った彼が、一瞬にして私の前に現れる。咄嗟に背後に後ずさったが、遠慮のない彼が両腕を伸ばしたので、体を仰け反らせて下から手首を掴むと、そのまま彼のやたらと長い足の隙間に滑るようにして潜る。そうして屋根を蹴って距離を取ることを試みたのだが、彼は踵を返すと剃をもう一度だけ使って私の背後に回ると、そのまま抱き着くようにして腹に腕を回して私の体を捉え、逃げ出すことが出来ないように足が浮くほどに持ち上げた。

「ちょ、ぉ…ッ?!剃は狡いって…!仮にもガレーラカンパニーの敷地内だよ?!」

 一応、いや、念のため声を潜めて呟くと、耳元で「お前もシートを放り投げた後に剃を使ったじゃろう。」とカクが比較的冷静に言葉を返すので、私は言葉を詰まらせる。

「そ、それはそうだけど」
「じゃあお相子じゃ」
「うぐ」
「……やっと捕まえたんじゃ、少し付き合ってもらうぞ」

 そうして彼は私を持ち上げたまま、此方の返答なんて待たずに「良い場所がある」といって屋根を飛び降りると、武器保管庫として使用している倉庫へと入って、鍵を閉めた。倉庫の中には船に取り付けるための様々な種類の大砲が並んでおり、それを横目に相変わらず持ち上げられたままの私は、彼が歩く方向へと進んで、彼がそこらへんに置いてある箱に座ると硬い膝の上に招かれた。

「………付き合ってもいない若い男女が、倉庫でこういうことをやってるのって良くないと思うんだけどなぁ。」

 彼は私を離す気なんか更々ないようで、腹には腕を回したままでぎゅっと腕に力を込めると私の肩口に顔を埋めて小さく息を落としたが、その吐息が熱いのなんの。

「緊急事態じゃろう。」
「ルッチは頑張って耐えてたよ。」
「わしはルッチよりも若いんじゃから仕方ない。」
「そうかな。」
「そうじゃ。」
「…あと、カクさんさぁ…お尻になんか当たってるんですが。」
「………緊急事態じゃ。」
「セクハラで訴えます。」
「それは困るのう。」

 膝の上に招かれた私の尻には何やら固い棒のようなものが当たっている。気持ち悪さはないものの、その硬さや尻に当たる範囲で大きさだとかそういうものが分かってしまって、幼馴染のそんなこと知りたくなかったなぁと乾いた笑いが落ちる。他愛のない話の延長戦で訴えると言ってみると、彼もまた僅かに乾いた笑いを落としてはまた腹に回した腕にぎゅっと力を込めた。

「…………〇〇。」

 彼が小さく、耳に囁きかけるように名を零す。

「うん?」
「……こう見えても余裕がないんじゃ」
「あぁ、そうでしょうねぇ。お尻に当たってるものでよく分かってますが。」
「じゃから許してくれるじゃろう?」
「え?何が―――。」

 その瞬間、首筋に鋭い痛みが走る。しかも一度ならず何度も続けば痛みに呻きたくもなるわけで、小さく吐息を落とすと、背後から伸びた手のひらが私の口を押えてそれを許さず、それどころか肩と首の境目あたりに激痛が走り「ん、う」とくぐもった声が落ちる。それが噛まれたことによる痛みだと分かったのは、噛まれた其処を労わるように舌が這ったからで、暫く其処を愛でるように触れた彼の唇が離れると「……これ以上は我慢をする」と零して、さも自分は我慢してますって素振りを見せたが、どこが我慢をしているというのだ。


 手のひらを離されたときに「やっぱりセクハラで訴えます……。」そう零したが、カクは「みんなの前で、わしに噛まれて舐められましたって言えるのか」と意地悪く笑ったので、私はやっぱり訴えてやると心に強く誓いながらじくじくと響くように痛む感覚を堪えるのだった。

 なおこの騒動が終わったときに、「いやぁ、〇〇。なんだかんだ一番安牌なところに捕まったな。」と言われたが、じくじくと痛み続ける首を摩った私は本当にそうかなぁと返事が出来ずに愛想笑いを返すことしか出来なかった。