一人の女の子として


 あの子は丸い瞳孔を持ち、角がない。
 それに暖かな体温を持っている。

 だって、あの子は人間だから。

「貴方には私とカクが付き合えるよう、応援してほしいの。いいでしょ?私たち、友達だもんね?」

 彼女が向けた笑みに、牽制や悪意が含まれていることには気付いていた。それでも断らなかったのは、いや、断れなかったのは、少なからず普通ではないことにコンプレックスを抱いていたからなのかもしれない。

「どういうつもりじゃ」

 茜色が射す時間帯。仕事を終えて宿舎に戻る私の腕を掴んで、カクが問いかける。その声は普段よりも低く、手には力が籠っている。

「何が?」

 腕を掴む手を見た後、彼を見る。湾曲描く帽子の鍔により、彼の目元は陰となって見えなかったが、薄い唇はへの字に固く結ばれており、「あの女をわしに差し出して、一体何のつもりだと聞いとるんじゃ」と続く言葉は、彼の機嫌を測るには十分であった。

 腕を掴む手を宥めるように、己の手を重ねて指の節をなぞる。固い指の節は力が入っているせいで、皮膚が固く突っ張っており、何を力を込める必要がと思ったが、これまでの対応を見るに、あの女に対して好意を抱いていないのだろう。迷惑なら迷惑と言えば良いのに、随分と遠回りな質問だ。常日頃、口酸っぱく言っている結論ファーストとはなんだったのだ。

私は言いたい事をぐっと堪え、代わりにニコリと笑って「差し出してるなんてそんな」と答えたが、まぁ、幼馴染相手に愛想笑いだなんて、煽るだけの行為だったようだ。腕を掴む手に一層力が入り、骨がミシリと軋んで悲鳴を上げた。

「……ふざけとるんか」

カクが問いかける。
その声には、明確な怒りが孕んでいた。

「いいえ、ふざけてないよ」
「アネッタ」
「なあに」
「……アネ」
「だから、なあに」
「……、……あの女と付き合ってほしいのか」

 彼の言葉に、睫毛を伏せて考える。

私は彼にどうしてほしいのだろう。牽制をかけるあの子の恋路を応援したいわけではない。なんせあの女は傲慢ちきで、評判も悪い。そんな彼女が彼に相応しいとは思えない。しかし、かといって誰かの恋路を応援したいわけでも、無理やり恋人を作って欲しいわけでもない。ただ、相手がどうであれ彼が好きだと言える相手ならば応援しようと思っていた。他でもない、幼馴染が幸せになってくれたらそれだけで良かったのだ。

 ざあっと木々を揺らして頬を撫でる風が、高く結んだポニーテールを揺らす。耳元で煌めく金のピアスにそっと手を添えた私は、静かに、でも厳かに言った。

「……付き合う付き合わないは、……私が決めることじゃないでしょ」

 だが、彼はそれを呆気なく打ち破った。

「ああ。よく分かっとるじゃないか。じゃから、わしが誰と付き合うかも、誰のそばにいるかもお前が決めることじゃあない」

 続く、「……一体どうしたんじゃ、お前らしくもない」という言葉は僅かに心配を滲ませているように聞こえたが、会話が続くほど心臓が掴まれたように痛む。ヒュウと言葉にならずに落ちゆく掠れた呼吸は、彼に聞こえただろうか。兎に角、私は彼の腕を払い「なんでもないってば」と返す。その言葉は自分でも驚くほど素っ気なく、我に返って彼に謝ろうと思ったが見上げた頃には遅かったようだ。隠れていた筈の彼の瞳が、悲しさによく似た色を滲ませて此方を見つめていた。

「……、……分かった。丁度あの女に付き合ってくれと言われておったから、お前がそう言うのなら彼女に返事をしてこよう」
「っ、」
「それで、いいんじゃろう」
「……っっ、………わかった、……うん、いいと思うよ。へへ、そっかあ、カクも遂に恋人が………」

 彼の問いかけに、ひ、と喉が笑い、心臓がいやに痛む。まるで心臓から手が伸びて、直接締め付けられているようだ。

 嫌だ。最早何が嫌なのか分からない。けれど私は兎にも角にもこの場に居たくなくて、「あ、え、っと、そうだ!お祝いのプレゼント用意しなきゃ」なんて適当な嘘をついてへらへらと笑うと、無理に話を切り上げて踵を返す。だが、彼は追ってこなかった。
腕を掴むことも、言葉で引き留めることもなく、ポニーテールを揺らしていた風が私の背をどんと押すだけであった。

 じくじくと掴まれた腕が痛み、本当にこれで良かったのか、と問いかける。良いも悪いも、こうするしかないじゃないか。だって私は人間ではない人外で、この世界にたった一人しかいない竜人族だ。結婚がこの世の全てではないと理解はしているが人並みの幸せを築くことはあまりにも難しく、それでいて困難だ。そんな自由もない女が、先の明るい彼を茨の道へと引きずり込むだって?そんな事出来るわけがない。そんな事、あってはならないのだ。

 なのに、思いに反して足は止まる。胸が痛む。本能が、胸の奥に潜む幼い私が、本当にこれでいいのと袖を引く。

 いやだ。いやに決まっている。

だってあの女は傲慢ちきで、いやしくて。

いいや、違う。あの女がどうこうではない。彼が他の女の隣にいる事自体が我慢ならないのだ。
 私は勢いよく振り返る。自分で他を指したのに「カク、…っ、行かないで」と縋る様はきっと情けなかったと思う。だが、私は此処で言葉を失い、そして息を詰まらせる。

「……、……カク」

 カクは、口ではああ言いながらも、その場から動いていなかった。まるで、私が振り返ることを期待するように。振り返ることを願っていたように。彼は、一歩も動かずに立っていた。

 彼の目と視線がばちりと絡む。でも、彼は何も言わず、かわりにふっと息を漏らすように笑うと両手を広げ、気づけば私は彼のもとへと走り出していた。

「……安心した、お前がわしを求めてくれて」

 暖かな体温が包み込む。腰に回された腕は、私自身を求めるように力が籠り、耳元で囁かれる言葉は安堵が滲んでいた。どうして彼はこんなことを言ってくれるのだろう。分からないふりをした彼の眼差しの意味を、私は己惚れてもいいのだろうか。私が欲しいと思っていたものが、彼の胸にあると思ってもいいのだろうか。そんなことを考えていると、途端に鼻がツンとして、目頭が熱くなった。

「…っごめ……ん……ごめん……っだめだった、私じゃきっとしあわせにできないのに、でもっ、隣にいるのが私以外の女の子じゃ嫌なの…っ!」
「……言ったじゃろ、わしの隣はわしが決める。…ああ、全く、もう泣かんでいい、…わしの隣は、他でも無いお前がいいんじゃから」

 カクは力強く抱きしめてくれた。それが、いまこの時は現実なのだと示すようで、なんだかたまらなく泣きたくなってしまって、抗う術もなく落ちた涙が頬を伝った。

 ああ、彼の傍にいると、私は私でいられる。たった一人しかいない竜人族ではない、ただのアネッタでいられる。

 抱きしめ返すよう背中に回した腕には、きっと力がこもっていたと思う。それでもカクは嫌がらなかった。それどころかゆらゆらと肩を揺らして笑うと「全く、いつまで経っても泣き虫なのは変わらんのう」と、そのまま涙を零す目尻へと唇を寄せた。