開かない扉

 森林奥深くに佇む、おんぼろ屋敷にて。
 物証探しに訪れた幼い二人は、監督者のジャブラと二手に分かれて廊下を歩く。埃を纏い、蜘蛛の巣を這った廃墟同然の屋敷は、到底人が住んでいるようには見えない。ただ、何か言いようのない不気味さが背中を撫でるようで、アネッタは隣に立つカクの手を握ると、彼は痩せた肩をビクリと揺らした後「な、なんじゃアネッタ…驚かせおって」と普段よりもぶっきらぼうに呟いた。

「あ、ご、ごめん……なんか…こわくて…」
「……怖い?なにがこわいんじゃ」
「わかんないけど……こわいの。…カクは怖くないの?」

 ちらりと、アネッタがカクを見つめる。

「ふん、わしは怖くないわい」
「……、……でも、さっき肩がびくってしてたよ?」
「そ、それは驚いただけじゃ!」

 怖がりで、泣き虫で。そんな劣等生のアネッタが怯えるのは、まぁいいとして。
 この屋敷にある奇妙な違和感は、カクも感じ取っていた。前情報ではこの屋敷に人は居ないと聞いている。けれど、何かに見られているような気がしてならない。カクはつい語気を強めて言い返したが、ドッドッドと不自然に弾む心臓を落ち着けるように手を握り返すと、「行くぞ」と言って、ゆっくりと歩き出した。

 此処で探し出すのは、つい先日おきた役人殺しの物証だ。何かこの屋敷が関係しているとの噂だが、こんな廃墟同然の屋敷に一体何があるというのか。適当に入った部屋も埃が降り積もっており、誰かが此処を使ったような形跡はないが、念のためと足を踏み入れた部屋には小さな足跡が残ることにはなった。

「アネッタ、何かありそうか」
「ん…うーん……」

 辺り一帯を見渡したカクは人一倍目が良く、妙に勘だけは良い彼女に尋ねたが、アネッタは変な顔をしている。それこそ、何か、違和感を感じ取っているような。カクは彼女を見て、眉間に寄った皺を伸ばすように、親指を眉間にある皺に宛ててぐいーと上部に伸ばす。それは単に気が紛れるかと思っての行動だが、「やめてよぉ」なんて力ない言葉が返ってくると、その間の抜けた声が想像以上に自分を落ち着けてくれたように思う。

「どうしたんじゃ、ぶっさいくな顔になっておったぞ」
「ぶ、ぶさいく…?!」
「ん、ぶさいくな顔じゃった」
「ひ、ひどい…!」

 アネッタは唇を尖らせて、露骨にいじけたような表情を見せた。ただ、それでも幾つかの不満を溢した後には、己が感じ取ったものを伝えるよう口を開いたが、「なんかねぇ」と言いかけた瞬間、窓から差し込む光に照らされた瞳がぎらりと光り、丸かった筈の瞳孔がスウと縦長に伸びる。
 それが異常事態の報せであるとカクはすぐに分かったが、一体何が起きたのか。自分は異常を察すことも出来ず「どうした」と尋ねたが、彼女はドアの方を睨みながらカクの手を強く握る。獣のように唸る彼女の額にはじわりと脂汗のようなものが滲んでおり、此処に尋ねてくる者が只者ではないと分かったが、どう対処したものか。

「あっ」

 言葉が落ちると共に、アネッタの瞳が大きく揺らぐ。何かに驚いたようなそれに、付け加えるような「カク、こわい」という言葉。一体彼女は何を感じ取ったのだろう。彼女は慌てた様子で辺りを見回して「か、隠、かくれ、ないと」と取り乱し始めたので「部屋を出るか」と尋ねたが、彼女は勢いよく首を振って「それじゃあおそいの!はやく、はやく、きちゃう」と言葉を繰り返す。

 しかし、この部屋は執務室だ。そんな部屋においそれと隠れられる場所はなく、カクは部屋の隅に放置されたクローゼットを見ると、アネッタの手を引いて其方へと走った。


 ぎい、ばたん。

 本棚と壁に囲まれたクローゼットの中は、意外にも奥行きがあった。しかも衣類がぎっしりと残されていることもあり、カクとアネッタはハンガーにかけられた衣類をかきわけるようにして奥に潜り込む。それから、びくびくと肩を震わせるアネッタの体を抱きしめて「大丈夫、大丈夫じゃ…」と背中を摩ったが、震えは止まらない。

 摩った背中はじっとりと濡れていた。何を彼女は怯えているのかは分からないが、ひとまず彼女を抱きしめていれば敵に見つかったとしても、アネッタが先に殺されることはないはずだ。

 そうして息を潜めた二人は、がたん、と響いた音に息を飲む。

 それは、明らかに誰かが入ってきた音であった。

 ああ、くそ、貧乏くじを引いた。人もいない場所での物証探しと聞いたのに、まさかこんなことになるだなんて。暗殺任務も増えた頃合いでの任務。アネッタもようやく任務に慣れて、怯えることも少なくなってきたのに、相変わらず抱きしめたアネッタはがたがたと震えたままで、このままではろくに使えそうにもない。

 二人は息を潜めたまま、互いに抱きしめる手に力を込める。どくどくと、心臓の音が外に聞こえるのではないかと思うほど煩く鳴り響き、カクは抱きしめた体を離すと、小さく声を潜めてアネッタに声を掛けた。

「……アネッタ」
「……?」
「…アネ、いいか。よく聞くんじゃぞ。……、……もしもこのドアがあきそうになったら、一気にこちらから勢いよく出るぞ」
「で、でも」
「でもも、ヘチマも無い。このままじゃむざむざと殺されるだけじゃぞ?……じゃから、相手が此処を開けようとした瞬間に此方からクローゼットドアを蹴る。……何者がおるのかは分からんが、そうすれば開いたドアにぶつかって隙が生まれるじゃろう」
「……」
「…いいな」

 カクは小さな声で、けれど、しっかりと言った。

「……う、うん」
「…よし、わしの言うタイミングで行くぞ」
「……ん」

 抱きしめないかわりに、アネッタの小さな手を握る。彼女の手はひんやりとしていて、安心させるようにぎゅっと握ったあと、親指ですりすりと手の甲を撫でると、アネッタはがたがたっと揺れ始めたクローゼットドアを見た。

「……」

カク。そう名前を呼ぶ用に、アネッタの口がはくはくと動く。

「…あぁ……アネッタ、いくぞ。いち、にの……」

 さん。

 そう呟いて飛び出す寸前、クローゼットが激しくガタガタと揺れ出した。まるで地震を感じるような揺れは、縦と横の振動が入り交じり、まるでおもちゃを持った子供が振り回しているようであった。

 凄まじい揺れに、体制を崩すアネッタの腕を掴んで自分の方へと引き寄せたカクはぎゅうと抱きしめたが、意外にもドアが開くことはない。ただ、それから続くは誰かの声で、「おや、変わったものがいるね」「懐かしいね」「ああ、懐かしい」「ねぇ、見せて」「見せてよ」「見せて」「美味しい其れを見せて」と複数の声がクローゼットドアの先で聞こえる。それも此処に居ることを理解しているようで、ガチャガチャガチャガチャとドアノブが上下に動くような音と、クローゼットドアと側面を複数名で叩く音が響く。

 確かに気配は感じなかった。なのに、複数名がこのクローゼットを囲んでいる。

 こいつらは一体誰なんだ。何故此奴らはジャブラに見つからず此処までこれたんだ。疑問は浮かべど、答えに行きつくことはない。抱きしめたアネッタもぶるぶると震えて、人の言葉を忘れたように「きゅう、くうう」と喉を鳴らして涙を零す。恐怖で上手く人の姿を保てないのだろう。彼女の顔には岩のような鱗が浮き出て、カクは「だめじゃアネッタ…っ、っおさえろ!」というが、その間も「入れない」「入れない、どうして」「グーノッゲルバランティア」「グーノッゲルバランティアと唱えてごらん」「難しくて分からないかな」「分かりやすく言うのはどうだろう」「ぐーのっげるばらんてぃあ」「となえてごらん」「ぐーのっげるばらんてぃあ」「となえてくれるだけでいいんだ」と抑揚のない声が幾つも重なって、頭の中に響く。

それは直接脳に響くようで、あまりの情報量に気持ちが悪くなったカクは「う゛、っえ」と呻き、アネッタの体を強く抱きしめながら瞼を閉じた。


 それから暫くして、音がぴたりと止んだあと、すんなりとクローゼットドアが開いた。しかし、其処に立っているのは、お化けでも海賊でも、不審者でもない監督者のジャブラで、腕で衣類を押し退けたジャブラは二人に気付くなり「うお」と短く声を上げると、「お前ら何遊んでんだ」と問いかける。

「ジャブラ……?」

 カクとアネッタは不思議に思う。

 そういえば、いつのまにか揺れが収まっている。しかし、揺れが収まったとしてもあの正体不明の声はどこにいったのだ。今だ心臓はどくどくばくばくと鳴り響いており、カクはどこか呆然とした様子で「人は…」と尋ねると、ジャブラは口をへの字に結んで「人なんかいるわけねえだ狼牙。此処の住人は随分と前に全員殺されてんだからよ」と零した。

「まー、しかし物証なんて無かったな、此処は外れだ」

 二人はジャブラから引っ張り出されて外に出る。確かに外の姿に人はいない。それどころか足元に残る足跡も二人の小さな足跡と、ジャブラの大きな足跡しかなく、それどころかクローゼットは本棚と壁に挟まれていて、とてもじゃないが側面を叩けるような状態ではなかった。
 だとするとあの音は一体、あの揺れは一体。

 なんだかとんでもない出来事にあってしまったような気がして、カクとアネッタは顔を見合わせた後、そっとジャブラの太ももをつねったが、次に帰ってきた拳骨が、今しがたの経験は夢ではないと裏付けるのであった。