待ってましたと言わんばかりに

 ある日ぽっかりできた島
 そこにあるまどろみの谷には、ようせいとリュウリュウがいる

 そんな書き出しから始まるリュウリュウとまどろみの谷。まさか古竜が居ると言われている微睡の谷に関する手がかりが絵本にあるとは思わなかった。どうりでアゼンタイン伯爵の家や、小難しい本だけを集めた図書館になかったわけだ。

 アネッタはすっかり日焼けして黄ばんでいる絵本を手に、最後のページを見る。発行日、印刷会社、それから作者。そこに記された文字を見て、状態が悪い理由に納得しつつも、作者の捜索を飛び越えて船に乗り込んだのは何故だろうか。
 彼女は港を発つ前に購入してテーブルの上に転がしていた飴玉を一つ手に取ると、包みを開きながら訊ねた。

「ねぇ、この作者は探さないの?」

 それに言葉を返したのは、向かいに座り珈琲を啜るブルーノだ。

 彼は視線を寄越すことなく、資料のある手元を見たまま「数十年前にすでに亡くなっている」と静かに言う。アネッタはフウンと鼻を鳴らしたあと、しばらく口の中で飴玉をカロカロと転がして、鈍く広がる甘味を楽しんでいたが、次に質問をしようと口を開いた時には「製販会社も随分と前に倒産している」と口に出してもいない答えを出して、先手を打ってきた。

 恐らくは静かにしろ、あるいは黙っていろと言うことだろう。邪魔ならそう言えばいいのに。

 アネッタは口の中で飴玉を転がして、彼を真似るように小難しい資料――ではなく絵本を見て大人しくしていたが、そこに海図を手にしたカクが入ってきた。

「おおい、ブルーノ。最新の海図は知らんか」
「最新のものは無いと聞いているが」
「ああ、どうりで見当たらんわけじゃな……」

 カクは丸めた海図を手に息を落とす。アネッタは手にした海図のことを尋ねてみたが、これは古い海図だと肩をすくめ、テーブルの上に転がっている飴玉を拾い上げた。

「その海図じゃダメなの?」
「いいや、これでも十分に使えるが絵本に書いてあったじゃろう。ある日ぽっかりできた島、と。見比べたらどの島が増えたのか特定できそうだと思ってのう」
「ほー……あったまいい~」

 思わず感動したように呟くアネッタ。そんな純度の濃い褒め言葉に帽子の鍔を下げたカクは、手にした飴玉の包みを取って口に放り込んだが、今の行動に断りは無い。彼女は途端に機嫌を損ねたように唇を尖らせると「ちょっとぉ、それ私のなんだけど」と小さな抗議を溢してみせた。

「別に沢山あるんじゃからいいじゃろ」
「せめて食べていい?って聞いてくださいってことですうー」
「ケチな女じゃのー」

 カクは丸めた海図でアネッタの頭をぽこぽこと叩く。

「その絵本を入手したのは誰だと思っておるんじゃ?」
「海図が読めんお前の代わりに仕事をしてやっとるのにのう」
「それなのにお前は飴の一つも寄越さんと」
「全く、ケチな女じゃのー」

 そんなことを言いながら。

 だがしかし、本の入手だって、それから海図を読み解くことだって別にカク個人にお願いをしたわけではない。アネッタは楽器のようにぽこぽこと頭を叩かれたまま、カクを見上げて口を開くと、突然アネッタやカクの背中側から沈み込むように船が大きく傾いて、目の前の視界がぐるりと回った。

「わ、ぁ…ッ?!」
「ム……!」

 特に座っていたアネッタは踏ん張ることが出来ず、ぐらりと体が傾いたがそれをカクが大きな手のひらで背中を支えて、テーブルを片手で掴む。いつ何時、時化が起きても大丈夫なように釘を打ち付けられて固定されたテーブルはこんな状況でもビクともしない。そうしてどうにか揺らぎが収まると、二人は顔を見合わせたが一体何が起きたというのか。天井から下がったランプはいまだ揺れ動いている。

「……」

 今この場にいる年長者のブルーノは、揺らぎ波打つコーヒーを片手に息を吐くと、落ち着き払った様子で伝声管の蓋を開きながら「何があった」と先にいる者へと尋ねた。

「おぅ、ブルーノか。礼儀のなってねえ馬鹿が喧嘩を売ってきたらしい」

 暫くの沈黙の末、声が返ってくる。
 声から察するに、相手はジャブラか。少し楽しげに話すあたり、彼は玩具が出来たとでも思っているのかもしれない。ジャブラは伝声管の先で、「結構人が乗ってそうだぜ、でけえ船だ」と前置いた末に「カクとアネッタがいたら上に寄越せ」と声を掛けると、ブルーノは「だそうだ」と視線を向けた。

「じゃあカクがいきまーす」
「おい、お前も指名貰っとったじゃろ」
「私は手がかりとなる絵本を見て、推理をしている最中だから」
「馬鹿が推理をできるようには思えんのう。さ、行くぞ」
「なんでよお……!」

 そんなわけで、拒否権のないアネッタは半ば引きずられて外に出る。外は北風が荒々しく吹きすさび、船首に立ち込める海しぶきが、日光を受けて銀色に輝いていた。加えて、甲板上ではクマドリが舵をとり、帆を張り巡らせる一方で急な動きで船を襲ってくる砲弾に備えている。

 敵船は一つ、サイズは大型。帆に描かれたものを見るに、恐らくは五千万ベリーの賞金首が束ねた海賊船だろう。此方から見える海賊船の甲板には三十から五十ほどの海賊たちが、手にした武器を掲げながらワアワアと言っている様子が分かる。

「おうおう、全く礼儀のなっとらん奴じゃのう」

 カクは言いながら二本の長ドスを手に鞘を落とす。しかし、先に甲板にいた者たちは彼を見たが止める事は無い。ただ、「傷をつけるなよ」とだけ言って、カクはその野次に笑うと、遠くからヒュルルルル…と口笛を吹くように空気を切り裂きながらやってくる砲弾の到来に、甲板を蹴って高く飛び上がった。

 潮風に混じる火薬の匂い。向かってくる砲弾の中で此方に命中する砲弾の数は二つ。カクは六式・月歩を使って空を蹴り、向かってきた砲弾に向けてギラリと銀光に光る長ドスを振るい、船の外側へと弾いた。それにより細切れとなった砲弾は海の中へ。しかし、後を追ってきた砲弾が迫ると、カクは「アネッタ!」と声を上げた。

「はーい、よぉー!」

 次に飛び上がったのは、指名通りのアネッタだ。

 彼女は外で干していたシーツを広げて両端を持つ。ああ、折角干していたというのに火薬の匂いで洗い直しになってしまうではないか。彼女はそんな恨み言を胸に、先陣きったカクと同様に空を蹴る。それから砲弾と目線を合わせると、両端を握ったシーツで優しく受け止めるようにして包み込んだ。――が、当然受け止めて終わりではない。彼女はシーツの両端を合わせて両手で持つと、そのままの勢いを借りて腰を捻る。そうしてハンマー投げよろしく、勢いよく回転した体はもう一度海賊船を向き、丁度良いタイミングで放したシーツの上を滑って、砲弾は勢いを落とさずに海賊船へと帰っていった。

「ばーいばーい!」

 古巣へと帰った砲弾が海賊船へと直撃し、バキバキと音を立てて崩れ落ちた帆柱が海へと落ちて、水しぶきを上げる。それにより船体は激しく揺れ動くことになり、合唱のように悲鳴が響いたが、それを聞くにそれなりの一撃となったらしい。アネッタは甲板へと降り立つと、煤で汚れたシーツを掲げるようにして喜んだ。

「やったぁ大当たり!」

 その場でぴょんぴょんと飛び跳ねる様は子供だ。その様子に先に甲板に出ていた者たちは「お前にしちゃあやるじゃねーか」「チャパパ~、珍しくノーミスだぞ~」とめいめいに言っていたがどうにも褒められていないような気がしてならない。アネッタはそれにオヤ…?と不思議そうな顔を向けていたが、考える間も与えずに話に割り込んだカクは、この場を取り仕切るルッチへと指示を仰いだ。

「さて、次はどうするんじゃ?」
「ちょうど最新の海図が欲しかったところだ。あれに貰うとしよう」
「あら、元よりそれを狙って停泊していたのに悪い大人ね」
「ギャハハ!悪はあっちだろうよ、おれたちは正義の名のもとに潰してついでに利用できるもんを貰うだけだ」

 カク、ルッチ、カリファ、ジャブラ。それぞれが順に話し、クマドリへとそのまま海賊船へと近付くようにと指示が向けられる。言っている事は確かに正論で、対峙する海賊はいわゆる悪党なのだが、こうしてどうしてくれようかと話している彼らの方がよっぽど悪党に見えて仕方ない。

 そんなことをアネッタは思いながらも、出かけた言葉をお利口に飲み込むと、船の帆を押すほどの風にポニーテールをなびかせながら敵船を見た。

 船はゆっくりと海賊船に近づき、大きな船影がますます大きくなっていく。CP9は、晴天の中で迎える緊張感とはまた異なる高揚感を感じながら、船に乗り込むためにと海賊船から降ろされた縄を見る。あの船べりに立ち、にやにやと下世話に笑う大男はこの船の船長か。船長は挨拶も無しに銀光煌めくサーベルを此方に向けると「野郎共!全てを奪っちまえ!」と声を上げたが、それが最期の言葉かと思うと、彼らは笑えて仕方がなかった。