おてんば坊主は混血児!①

「わしの部屋じゃ~!」

 海鳥が空を滑る港街の片隅で、屋根裏部屋の窓から声を弾ませる少年の声が響く。此処は大通りに面した二階建ての一軒家。海の見える街とだけあって景観は良く、潮の混じる爽やかな風は部屋の中へと吹き込んで、暫く閉じこもっていた空気を全て入れ替えていく。

 窓から覗く外の世界は、港街の活気が広がっていた。大通りには商店が軒を連ね、賑やかな市場の様子が垣間見えるが随分と治安が良いのだろう。不安な色はなく行き交う人々は笑顔で挨拶を交わしている。少年は初めての光景に胸を躍らせてその様子を見ていたが、先の言葉を拾った人がいたようだ。「ボクくん、引っ越しかい」という声が少年の袖を引いた。

「うん?」
「おおい、こっちだ、こっち」

 見下ろした先には老年の男が一人。彼はハンチングキャップのツバを手に、軽く脱ぐようにして挨拶を交わす。それを見た少年は真似るようにツバを後ろ向きにして被った帽子を外して帽子を持ったまま手を振るう。これが挨拶の礼儀だと思ったのだ。

 それから、少年は先の問いを思い出して「ああ!今日からここでくらすんじゃ!」と声を弾ませた。

「そうかい、そりゃあ素晴らしいことだね」
「爺さんはここらへんに住んでおるのか?」
「あぁ、そこのパン屋の主人さ」
「パン!わしはパン好きじゃ!」
「はは、それじゃあ後で店に来るといい。引っ越し祝いということで何かご馳走しようじゃないか」

 老年の男は向かいに建つ店を指す。少年は一度店を見た後、「本当か?!」と興奮気味に言葉を返したが、彼らが会話をしている事を知らない両親からすれば、屋根裏部屋の騒がしさが不思議でならなかったようだ。彼の母親であるアネッタが屋根裏へと上がってくると「ハル、誰と話してるの?」と言って、窓の先にいる男を見ると驚いた様子で頭を下げた。

「別に悪い事なんてしとらんぞ!」
「何も言ってないじゃない」

 男は二人のやりとりを微笑ましそうに見ていたが、パン屋の主人と言うことはあまり長居をするわけにもいかない。「おおい、ボクくん」男はハルに声を掛けると「お母さんと、お父さんと一緒においで」そう言って最後に母親であるアネッタに向けて会釈をすると、 彼はそのまま背を向けてゆっくりと歩き出し、ハルは興奮した様子でアネッタの手を引いた。

「いま行こう!」
「え?!」
「じゃって、お母さんとお父さんとおいでって言っておったじゃろ!」
「いや、あの、そりゃあそうだけど、まだ荷ほどき出来てないでしょ」
「う………」

 図星にも程がある。ハルもそれを理解しているのか小さく呻く。それから「でも」とか「だって」とか実に子供らしい様子で自分の服を握りしめて理由を探していたが、後から階段を上がってきた父親の姿を見れば、自分の仲間になってくれるとでも思ったようだ。彼はぴゅんと父親の元へと行くと、父の手を引いて口を開いた。

「父さん!あのな、わし、パン屋、に……げほっげほげほ…ッ!」

 しかし、彼はあまりに興奮していた。目を輝かせるのは良いが、途中で言葉を詰まらせたハルは顔を真っ赤にしながら咳を繰り返す。げほげほと胸からせり上がってくる咳は酷いもので、膝を折って背中を摩るカクは体を抱き上げるがそれだけでは中々収まらず、胸元を握るハルの拳には随分と力が籠っていた。

「おっと…いかんぞ、あまり興奮しては。……ハル、少しお茶でも飲もうか」

 アネッタ、用意してもらえるか。とカク。アネッタも頷いて階段を降りてお茶をいれに行ったが、――ああ、どうやら数日がかりでやってきたこの環境も駄目だったらしい。
 今回家族総出でこの街へとやってきたのは、彼の咳にある。突如三歳頃から始まった原因不明の咳。はじめは単なる風邪かと思ったが、いくら医者に見せても異常はなく、「ただ喉が乾燥しただけでは」と言われる事も。しかし、風邪が酷くなった日には喉が苦しいと訴えており、明らかにただの乾燥だけの原因だけではないと分かるのだが、いかんせん彼らは医者でも、医療従事者でもない。

 加えて彼の母親であり、竜人族と呼ばれる人外のアネッタもそのような症状を起こした事はなく、結局二年が経ってしまった。その頃には彼もグアンハオに入所して日々鍛錬をこなしているが、竜人族の子孫繁栄を繋ぐ大事なキーパーソンを失くすためにはいけないのだろう。あのロブ・ルッチから「有給を使ってバカンスにも行ったらどうだ」なんて言われた時にも、一体何を企んでいるのだと疑ったものだが、またとないチャンスだ。そうして家族三人で遠い異国の地へとやってきたのだが、環境変化での好反応は見られない。

「ハル、ゆっくり飲んで」

 階段を下りた先で、アネッタがコップをハルに渡す。ハルはけへけへと咳込んでいたが、こうやって咳ごんでいる最中の水を飲むことも二年目だ。彼は咳のたびに震える手でしっかりと持つと少しずつ飲んでいき、コップの中身がなくなると小さく息を吐き出した。

「ふう……」
「あ、咳収まった?」
「ん、でもまだ喉がいがいがするのう」
「そっかぁ……じゃあ蜂蜜も買いに行かないとね」

 まさか、自分の子供が病弱になるとは思いもしなかった。それを彼や、ましてやアネッタも責める気はないが、自分自身が丈夫であるゆえに、どうしてやることが一番なのか分からない。カクはただ幼い子供を気遣うように背を撫でると、「パン屋は落ち着いてから行くとしようかのう、それから蜂蜜も買いに行こう」と穏やかに言うと、ハルは腕の中で少しばかり嬉しそうに足を揺らし「へへ、嬉しいのう。父さんと母さんと一緒じゃ」と笑みを溢した。