夜の紺碧に、朝焼けの赤色が混じり始めた早朝。木箱に置いた携帯から流れる音楽を耳に、甲板端の船べりへと凭れる。潮風を吸い込んでから口ずさむ歌は、これまでの人生で何度も聞いては口にした曲ではあったが、広大な海を前にして歌うといつだって新鮮で、壮大に感じる。
「今日もいい天気になりそうだなぁ……」
海賊たちがはびこる世界にやってきて、暫くが経った。ある日突然、制服姿にスクールバック一つで投げ出された時には、圏外と表示された携帯を片手に頭を抱えたが、あのとき白ひげ海賊団に拾われたのはかなりの幸運であったように思う。お陰で暫く経ったいまも怪我は無く体調も良好。この船に保護をされるきっかけとなった山賊の暴行行為でスクールバックのショルダーベルトは切れてしまったが、今となればショルダーベルトの損傷だけで済んだのも幸運だったのではないだろうか。
「おぉい、アネッタ!」
歌を遮るようにして声が聞こえ、振り返る。そこにはサッチが立っていた。彼は此方に近づくや否や、携帯から流れる音楽に
「お、その曲おれも好き。よく歌ってる奴だろ?」と笑いながら隣にやってくるが、肩に担いだ大きな麻袋を見るに声を掛けたのは純粋な朝の挨拶だけではないようだ。よって、アネッタが先手を打って「仕込み?」と尋ねると、サッチは驚き、目を瞬かせた。
「うん?あぁ、ちょっと昼の仕込みに向けて芋の皮むきでもしようかと思ったんだが…なんだ、よくわかったな」
「だって、その麻袋に入ってるのはたいていお野菜でしょ?」
「はは、そりゃそうだ。こりゃあ食糧庫の手伝いをやらせて正解だったな」
「それで、お手伝いも頼もうって?」
「いや~話が早くて助かるぜ」
どすんと勢いよく置かれた麻袋には、大量のジャガイモが入っていた。勢いによってころんと飛び出したじゃがいもは、随分と身が大きいように思う。そういう品種なのか、それともこの世界のじゃがいもは全てがこのサイズなのかは分からない。ただ、これだけ大きいと毒性となるじゃがいもの芽を取ることは簡単でも、その分剥くのは大変で、ちょっとのお駄賃でやるには重労働だ。
アネッタは引き受けるか、引き受けるにも交渉をしようかを考えているとサッチはそれを見透かしたように「お駄賃弾んでやるからさ」と言うが、調理用の小さな包丁を差し出すあたり、断られる事はないと踏んでの発言に見える。
狡い大人だと思う反面、それが一人になって寂しく思う瞬間を無くすために話しかけてきたのだと理解しているアネッタは、向けられた厚意を無下には出来ない。よって、彼女は包丁の持ち手を取り、近くにあった木箱に座りながらサッチを見上げた。
「お駄賃、期待してるね」
「おう!」
しかしながら、いくらお手伝いとはいえ、皮むき初心者に木箱いっぱいのじゃがいもというのは多すぎるように思う。このモビーディック号にいる船員の人数を考えれば、これだけ必要だというのも分かるが、これだけの量で一食分ならば、はたして次の港まで食糧は足りるのだろうか。
というか、これだけ調理した場合にでた生ごみは普段はどこで捨てているのだろう。普段は船の中で生臭い匂いがしないだけに、疑問を抱いたアネッタは、膝上に置かれた麻袋に剥いた皮を落とし、じゃがいもの芽は別の麻袋に落としながらサッチに尋ねた。
「ねぇサッチ。こういった調理をする間に出た生ゴミってどうするの?」
「生ゴミ?」
「例えば……こういうじゃがいもの皮とか」
「じゃがいもの皮が生ゴミ?いやいや、これは立派な材料ですとも」
「そうなの?」
「お前のいた世界じゃ、皮はゴミ扱いだったのか?」
手慣れた手つきで薄く皮を剥きながら、サッチが尋ねる。
「うーん……確かに野菜の皮は栄養も豊富だっていうから、捨てずに使う人もいるとは思うけど、殆どの人は捨てちゃってるんじゃないかなぁ」
「ははぁ、随分と豊かな国だったんだなぁ……まぁでも、アネッタが認識しているとおりで芋の皮や野菜の皮ってのは、栄養がいっぱい詰まったところだからな。ほら、昨日の夜に出たキンピラあったろ?あれだって芋や人参の皮で作ったものだし、スープだって大根なんかの葉物部分を使ったものだ。だから、じゃがいもの芽みたいに有毒性がない限りは基本的に捨てるものがねぇよ」
「へえー……」
そこまで言って、ふと思う。であれば、この野菜たちを生ゴミと言ったのは大変失礼な発言だったのではないかと。そう思った瞬間、なんだか酷く後悔が押し寄せて、アネッタは思わず手を止めた。
「あ、あの、サッチ」
「うん?」
「ごめんね……生ゴミって言って」
だってそうだろう。彼らが普段口にするようなものを生ゴミと言えば、馬鹿にされているのではないかと腹立たしい気持ちになる筈だ。アネッタは思慮の浅さと申し訳なさに頭を下げると、今度はサッチが手を止めて汚れのない手の甲でするりと頭を撫でた。
「はは、大丈夫だよ。悪気があったわけじゃねえのはすぐに分かる。……それに、それだけ豊かな国だったってことだろ、うらやましい限りじゃねえか」
穏やかな声が語る、許しの言葉。彼からすれば先の通り怒ってすらいないのだが、安心させるためには十分すぎる言葉だ。
「ごめんねぇ……あ、でもね、昨日のご飯は、というか昨日のご飯もすっ……ごく美味しかった!だからその美味しい元を今まで捨てちゃってたのかと思うと勿体ないことしちゃってたなぁ……」
「お、そうか?嬉しいこと言ってくれるねぇ。じゃあ今日はこの野菜クズでポタージュを作るつもりなんだけどよ、野菜クズのポタージュは結構うちでも人気メニューだから楽しみにしてな」
「わあ、楽しみすぎる……よし、頑張って剥くね!」
「はは、心強いよ」
しょりしょりと、しょりしょりと。皮むきと他愛のない雑談は続く。
気付けば陽は昇り、辺りは明るくなっていた。続々と起床した船員たちがサッチに向けて挨拶を交わし、アネッタの頭を撫でていく。これも可愛がられている証拠だとサッチは言うが、彼ら海の男はあまり手加減がない。よって撫でられるうちに整えた髪もぼさぼさになっていき「もお!」と怒った頃には、すっかり髪型は崩れてボサボサヘアーになっていた。突然自分の番で怒られたラクヨウは「なんだよ、反抗期か?」なんて言っていたが、この髪を見て、少しは察してくれたっていいのに。
そう思いはしたが、これを不憫に思ったらしいイゾウから「お嬢、髪を結ってやろうか」と言って髪を梳き、結ってもらったので良しとすべきだろうか。ただ、そこに何も知らないマルコが朝の挨拶にと手を伸ばすと、アネッタはアリクイよろしく両腕を開く。まさに威嚇だ。その姿にマルコは訳の分からぬままに表情を硬くしていたが、ひとまずその頭に手刀を落とし、アネッタは「ぎゃん」と小さく鳴いた。