遠くでガアガアと鳥が騒ぎ始めた。現在の天候は雲一つ無い晴天。しかし、いつになく肌に触れる風が湿っぽく感じる。その日、アネオスは海軍本部へ届け物をした帰り道に足を止めて外を見ていた。誠実な白を基調とした海軍本部で、全身黒ずくめの男はよく目立つ。男はさして気にもしていないが、爬虫類のように縦長に伸びた瞳孔を持つ瞳が細くなったあと、湿った風に混じるオイルの匂いに尋ねた。
「この匂いは?」
「匂い、ですか?」
「……あー……っと、なんつったか、サングラスの……飛行機とかいうのを作ってる」
「飛行機……あぁ、カイルさんですか?カイルさんなら整備場にいるかと」
「整備場……」
飛行機を作るためだけに整備場を用意されていると言う事は、それだけの成果を期待されていると言う事だろうか。まぁ役職付きの人間だったから、権力に物を言わせた可能性もあるだろうが……そのあたりの事情はどうだっていい。アネオスは横で解説を挟む海兵の話を「へぇ」と適当に流して其方へと歩き出すと、これより出発だと乗り込む様子のカイルへと声を掛けた。
「なあ」
「……なんだ、見世物じゃねえぞ」
声を掛けたは良いものの、アネオスとカイルはあまり仲が良くなかった。それは、未だこの世界には存在しない飛行機という奇抜なものを作るカイルに向けて「人間てのは強欲なんだな。無いものを欲してわざわざ翼を作るだなんて、烏滸がましいとすら思うよ」と言って渡された模型の飛行機を折った事から始まる。
「無いものを作り出していける人間様の成果物に乗っかって何言ってやがる。今お前が着ている洋服や美味い飯も元々はねぇもんだぞ」
「無いものを作り出していけるのが人間様?ははは、随分と視野が狭いんだな。そのサングラスも外した方がいいんじゃないか」
「ああ?」
「なんだよ?」
結局、その場は両組織のトップが割り込む事で収まったが、それ以来初めての会話だ。よって声を掛けるアネオスに対しても、カイルはどの態度で返せばよいかも分からないといった具合で返答をしたのだが……少しばかり素っ気なかったかもしれない。アネオスは自分の頭を掻いて、一つ呟いた。
「もし南東に行くなら、迂回していった方がいいぜ」
意外な忠告に、カイルが瞬く。
これから向かう先は南東だ。であれば南東に何があると言うのだ。険悪な仲である事も忘れ、興味の袖が引かれたカイルが理由を尋ねると、アネオスは表情を顰める。説明を面倒臭がっているのではない。説明が苦手なのだ。
「なんで、って………、……おれ、説明苦手なんだよな」
「苦手でもいいよ、勘でもいい。兎に角お前がなんでそう思ったのか聞きたいんだ」
なんせ、南東に行くなという情報は海軍に入ってきていない。ましてや世界政府の諜報員である彼が険悪な仲ともいえるカイル相手に機密情報を流すとも思えない。……であればいまの忠告は、アネオス独断ある筈。
「なぁ、頼むよ。アネオス」
目を合わせて軽く頭を下げると、アネオスは暫く言葉を迷ったあともう一度頭を掻いて言った。
「……晴天なのに鳥たちが騒がしいだろ、それに、風が湿ってる」
「鳥は兎も角、風が?」
カンカンに乾いているとは言わないが、湿っているとまでは思わない。しかし、元は人間ではなく竜人族と呼ばれる竜の心臓を持つ彼の事だ。人間では感じ取れないものを感じ取っているのかもしれない。
「それに、南東は元々天候が荒れやすい上に風向きが変わりやすいんだ」
「海陸風では無く?」
「海陸風は日中と夜で風向きが変わる事だろ?……それよりも、もっと細かく変わるんだよ」
おれは航海士でも無いし何が原因かは分からないけど。言葉を濁らせるのは、自分が切り出した割に勘頼りでまるでエビデンスが無いからであったが、カイルからすれば、その裏付けのない予期できない勘ほど頼りになるものは無い。カイルは彼の言葉を最後まで聞いたあと彼を手招いて、飛行機に乗せた地図を広げて場所や方向、それから迂回ルートを細かく教えてもらうと口角を吊り上げて笑った。
「成程なぁ……。……助かるよ、ありがとう」
「……変な人間だな、勘頼りのことを信じるなんて」
「ははは、言われ慣れてるよ。それに信じるかも分からないのに、わざわざ言いに来てくれたわけだしな」
「……さぁ、たまの気まぐれかもしれねえよ」
まぁ、勝手に良い旅を。言いながら出発に向けてアネオスが離れる。やがて飛行機は飛び立って、青いキャンパスの上に線を引いていく。暫くその様子を眺めたアネオスは「いつかはアレが当たり前になる時代が来るのかねぇ……」と、独り言ちるよう呟きを落としたが、その言葉は誰にも拾われる事なく風に吹き飛ばされていった。