「旦那様、スパンダム様より賜りました紅茶をご用意いたしました」
「ああ、先にスパンダム君とその側近の方へ出してくれ。君も一杯飲むといい。私は最後に頂こう」
絢爛豪華なシャンデリアの麓。とある侯爵邸にて。侍女は用意した四つのティーカップに、美しい赤琥珀の紅茶を注いでいた。
秋島名産の最上級茶葉。白くほどける湯気は、どこか熟れた秋の気配を運ぶ。現ゾルタン家当主のタランテ・ゾルタンは、その移ろいを掬いとるように瞳を細めた。
「……いやぁスパンダム君。実に美しい色だ。私は紅茶には少々うるさくてね。まずは香りと最初の一口を、客人に楽しんでもらうことにしているんだ」
賄賂を忍ばせた手土産付の交渉に、何か裏がある。
ゾルタン曰く、視線の先で側近を横に立たせたスパンダムは、“そういう男”だった。決して手土産無しの来訪は無く、手土産がある日には決まって何かの厄介事が付いている。
「ははは、では一口目をいただきましょうかね……ルッチ、お前も飲むんだ」
「はい」
含みを持たせた物言いにも、スパンダムは笑みを崩す事は無い。実に世界政府らしい狡猾な態度だ。ゾルタンは頂戴した紅茶を先に出す事で、自身が抱いた警戒を報せたのだが――スパンダムも。それからその隣に立つ端整な顔立ちの男も、侍女に差し出されたものをためらいもなく口にしている。
「おお、これは……! やはりゾルタン様には、これほどの茶でなければ。どうしてもお口に合うものを、と探させていただいたんですよ」
へらへらと笑うスパンダムに続いて、侍女がカップを取り口に含む。……特に異常は無いようだ。湯気が落ち着いた頃合い。ようやくゾルタンはカップを取って口に含んだ。
「あ、が………ッ」
呆気ない終わりだった。ゾルタンの表情が曇って、青ざめた体がゆっくりと落ちていく。呼吸が出来ないのか、しゃっくりのように短く痙攣して喉を震わせる男は、唇を震わせる。
同じ紅茶だったはずだ。
それなのに──。
引きつるように息を吸いこんで、力なく手が垂れ落ちる。室内が静まり返り、──侍女がいった。
「お亡くなりー……ですねぇ」
そんな、砕けた口調で。
「おいアネッタ、死後硬直が始まる前に指輪を確保しとけ」
「はぁい」
スパンダムの言葉に、その侍女――諜報員のアネッタは従順だった。品良く足を揃えてしゃがみこみ、男の手を取る。脈はなく、ダランと脱力した手。その中指には紋章を刻んだ印章付きの指輪が鈍く光っている。
その指輪――シグネットリングを抜き取ると、アネッタはまじまじと見つめて言った。
「こーんな宝石も無いシグネットリングに、殺すほどの価値があったんですか?」
「そりゃあな。その指輪は、この家の決を下す印章だ」
「てことは、これがあれば偽造し放題……?」
「ま、平たく言やぁそういう事だな」
確かに――そのシグネットリングの印章には、それだけの力があった。
平らに削り出された印章面に刻まれているのは、この家の紋章だ。契約書の末尾に押され、あるいは封蝋に刻まれたその印は、当主自らの意思を示す証として扱われる。
署名と等しく、いやそれ以上の効力を持ち、その一押しで金も、人も、命すら動く。
スパンダムは後からやってきたカクから書類を受け取ると、紙面に目を落とし――次に、アネッタが差し出したシグネットリングへと視線を移した。
「ククク……これでおれ様の成果が揃うってもんだ……」
わずかに口元が歪む。
それが意味するところを、理解している顔だった。
「オイ、お前たち。おれはこれから別室で作業をする。ルッチはおれについてこい、その間お前たちは帰還の準備でもしておけ」
言い残して出て言ったスパンダムは、いやに上機嫌だった。それにご指名を受けて部屋を後にしたルッチの表情は、色々と察するものがあったが、ふたりの背中が扉の向こうへ消えて張り詰めていた空気が緩む。
アネッタは憐れむような声色で呟いた。
「ルッチ、嫌がってたねぇ……」
「まぁ、お守りなんてしたくもないじゃろ。……しかし、うまくいったようじゃな」
対して、振り返ったカクの顔には、初めから結果を知っていたような余裕が浮かんでいる。
「へへ、私がねぇ毒入りとそうじゃないお茶を取り分けたんだよ」
アネッタは得意げにポットを持ち上げ、くるりと傾けて見せた。陶器はずしりと重く、注ぎ口の奥には細い仕切りが走っている。
「中が二重構造になっててさ、ほらココにある弁を指で塞ぐと、こっちの“普通の茶葉”の方から流れて……」
「で、上の弁を押さえると、毒入りの紅茶が出るの!」
言いながら、楽しげに指先で弁を切り替えてみせる。その仕草は軽やかで、まるでただの遊び道具でも扱うかのようで、どこか自慢げにも見える。
しかし、アネッタの予想に反し、カクの反応は冷静だった。
「“暗殺者のポット”じゃろ」
「え、知ってるの?」
「知ってるも何も、それを用意したのはわしじゃからな」
馬鹿なお前でも扱いやすいじゃろ。
カクにとって彼女は同僚であり、──出来損ないの妹だ。数カ月に及ぶ長期任務を、台無しにするわけにはいかない。普段通りを装って、軽く頬を摘まみながら言うと彼女は唇を尖らせた。
「ぶう……! 完璧にやれたと思ったのに、お膳立てされてたなんて!」
「……わはは、しかしよくやってのけたのう」
彼女は不満げだが、あくまで手助けしたのは“暗殺者のポット“だけだ。潜入から侍女に上り詰めるところまでは、一切手助けしていない。その成長と成果にカクは笑むと、頬にあった手を放すかわりに彼女の手を取り、そこへふわりと布を落とした。
「なあに?」
「ちょっとしたご褒美じゃ」
白いハンカチーフが花のように開く。中には数枚のクッキーがあった。
「おお、クッキーだ」
「この辺りを漁っておったら見つけてのう、いくつか拝借してきたんじゃ」
一枚を取って、「ほれ」というカクがアネッタに向ける。彼女はそれを見て、戸惑いもなく口にすると、口の中にほろりと崩れるほんのりとした甘さに頬を緩めた。
「ああー…サクホロで美味しいー……」
「そりゃあ良かった」
「うーん……なんかまたお茶飲みたくなっちゃったな……。えーと、ポットは下の穴を塞ぐんだっけ?」
「ばか、上の穴じゃ」
いつもの間抜けと、いつもの会話。
即座に返される声に、彼女は「あっ」と声を漏らしてヘラヘラと笑っていた。それに息を吐き出すカクは呆れていたが、陽だまりの下での休憩は和やかに続いた。