その日は、いつもと変わらない暖かい日であった。田畑が続く農村の外れにある、古い家屋を訪ねた先で、三白眼の老人が二人を睨む。一人は長躯の男、一人は小柄な女であった。此処は少子高齢化問題で悩む過疎地帯。其処に若者が訪れる事自体が珍しく、唐突な訪問を受けた老人は、中にこそ案内はしたものの、どかりと板張りの床に腰を下ろすと「それにしても腑に落ちねぇ話だな」と零した。
「はぁ、腑に落ちないとは?」
長躯の男――カクが問いかける。
「ああ。どうしたってまた、この嬢ちゃんに短刀を?」
老人の視線は、もう一度小柄な女へと。その女は随分と特徴的な目をしていた。縦長に伸びた瞳は、まるで猫や爬虫類のそれだ。だが、気になるのは其処だけではない。短刀を打ってほしいと言うわりに、女は随分と華奢な体格をしているのだ。袖から伸びた腕は健康的な色身をしているが、いかんせん細い。到底刀を握るほどの筋力を持っているようには見えず、老人が用途を尋ねると、カクは「依頼に理由が必要か?」と素っ気なく言葉を返すではないか。
老人は眉間に皺をよせ、怪訝そうな顔を向けたあと、フンと鼻を鳴らした。
「フン、そりゃあおれは刀鍛冶だ。御洒落だかなんだか知らねえが、飾りのつもりで刀を打つ気は無えな」
「ふむ……御洒落のつもりでわざわざこんな過疎地に来る阿呆もいるとは思えんが」
「なんだと?」
まさに、一触即発であった。
「あーあーあー!ごめんなさい、ガンドウさん。彼…気難しくって。ええと、それで、私が刀を扱うように見えないから、疑問を持たれているんですよね。であれば、これでどうでしょう」
流石に此処で刀を振るうわけにもいかないだろう。女は隣にいるカクに向けて肘で小突くと、「アネッタ、やめんか」という声を無視して、老人――もといガンドウに向けて手を差し出した。
ガンドウはじろりとアネッタを見たあとに差し出された手を見る。女の手は見た目通り細く、それでいて肉がない。隣にいる男の手と比べても随分と小さく見える。だが、指の付け根にはタコが出来ており、手を取ってそこを親指の腹で押すと硬く、確かな弾力があった。
成程、ガンドウはそう言いたげに鼻を鳴らす。それからもう一度女を見ると「ちったぁ出来るようだな」と愛想無く言って、手を離した。
「嬢ちゃんが出来る事は分かった。短刀を選ぶ理由が分からねぇが、まぁいいだろう」
「本当ですか?!」
「あぁ、男に二言は無え。そうだろ、坊主」
「わしゃ坊主じゃないが……まぁ、そうじゃのう」
「……ただ、一つ条件がある」
「条件、ですか?」
「あぁ、刀ってのはただ打てばいいだけじゃあねえ。刀ってのは鞘や柄もあるだろう。其処に何の色を乗せ、なんで締めるかも決める必要がある。うちは一人で全てを担っているからな。」
「はぁ」
「条件ってのは、それを嬢ちゃんに決めてもらう」
つまりは、フルオーダーないし、セミオーダー品なのである程度の事は決めろと言う事だろう。職人肌で気難しいガンドウが提示する条件だ。てっきり難問かと思いきや、猿でも出来るような条件に、アネッタはぽかんと口を開いて、「え、あぁ、はあ」と零す。その煮え切らない返答に、ガンドウはじろりとアネッタを睨むと「なんでえ、これが飲めねえのか」と問いかける。
ガンドウ自身、この条件は難しいとは思っていないようだ。
「あぁ、いえ、……むしろそれだけでいいのかなー…って。あ、いえ、勿論やらせていただきます!」
ああ、これは失言だったかもしれないとアネッタ。こんなことを言って条件とやらが変わっては大変だ。今度はアネッタがカクに肘打ちをされ、ぴしりと背を伸ばした彼女は慌てたように言葉を訂正すると、今度こそ元気よく言葉を返す。
だが、ガンドウは鈍くはなかった。ガンドウは愛想も無くフンと鼻を鳴らすと「じゃあ話は決まった。坊主は席を外しな」と言い、じろりとカクを睨みつけた。
「なんじゃと?」
「あくまで今回刀を打つのは坊主にじゃねえ、この嬢ちゃんにだ」
「……、……」
「うん?何か言ったか坊主」
「いいや、何も。……、……アネッタ、何かあればわしを呼ぶんじゃぞ」
「え?あ、うん」
いま、カクの唇が明らかに動いていたような気がする。しかし、それを口に出さずにいたのは、恐らく彼が呟いた言葉が、明確な苛立ちを現した言葉だったからだろう。幼馴染のアネッタにはそれがなんとなく分かってしまい、カクの言葉にぎこちなく返事を返すと、席を立つ彼の背を見送って、そして息を落した。
ガンドウから提示された条件は容易であった筈だった。なんせ用意された選択肢の中から鞘の色や柄を巻く紐などの色合い等選ぶだけだ。そう難しい事ではないはずで、それこそ条件を出したガンドウも簡単な条件だと認識していた。
だが予想は大きく外れることになる。何を問いかけてもアネッタは「ええと、確かカクが黒の方が目立つって」だとか、「カクはこっちの色が好きだって」「カクが」と口を開けばカクの意見ばかりで、アネッタの意見がちっとも出やしないのだ。
「ちょっとまて、さっきからあの坊主の事ばかりだがお前の意見はどうした」
そう問いかけたものの、アネッタは不思議そうに首を傾げるばかりで埒が明かない。訳が分からないという表情だ。
「だからよ、お前はどうしたいんだ」
「?、え……っと?鞘はカクがいっていたように黒で…」
難しいことは行っていない筈だ。それがなぜこうも伝わらない。
ガンドウはその異常さに息を飲む。彼女の年齢は恐らく二十代前半だろう。まだまだ年も若く、興味心も高い年頃だろうに何故自分の意見が出ないのかと。それも、この女は自分でそれを理解していない。あの隣にいた若い男とは随分と対照的だ。
「……、………嬢ちゃんよ、ああ、アネッタといったか。好きな色は無えのか」
ガンドウは、分かりやすく、まるで小さな子供に言うように問いかける。
「カクは金色が好きだって」
「それはアイツの意見だろう」
「……ええ、と………私の、……私の好きな色、は」
元気なように見えたアネッタの頭が下がる。まるで萎れていく花のようだと息をついたガンドウは、頭を掻いたあと「ちょっと待ってな」と言って体を横に傾けると、近くにある押し入れの戸を開く。其処には箱のようなものが乱雑に押し込められており、その中でも一際大きな木箱を引っ張り出すと、アネッタの前に倒した。
ガラガラガラっと雪崩を起こしながら流れてきたのは沢山の鞘であった。白に赤に黒に、深緑それから金。色被りがなく、どれも擦れたような傷がついているあたり、全てサンプル品なのだろう。アネッタは手を伸ばしたが、触る直前で手を止めると「触ってもいいですか」と問いかける。
「元より見てもらうために出したものだ、構わねえ。それよりも、お前はこの中でどれが良いと思った?」
「……良い……」
「一つぐらいあるだろう、自分の中でビビビとくるもんがよ」
アネッタはその言葉に、手の内にある鞘を見る。鞘は擦れた傷こそあるが、どれも美しい線を描いている。それから暫くの沈黙の末に出した答えは「………こ、これ……?」というなんとも情けない言葉だったが、ガンドウはアネッタが指を指した鞘を見ると、少しばかり意外そうな表情を向けた。
「ほう、白か。そりゃあどうしてまた」
「えっ、あっ、………き、綺麗……だか、ら?」
「そうか、じゃあ紐はどうする」
「ひ、紐?!ま、まだあるんですか?!」
「紐に鍔に兜金、猿手。選ぶものはまだあるぜ」
「そ、そんなぁ……」
ガンドウは、毎回サンプルを出しては問いかけていた。もちろんアネッタが他の者の名前を出そうものなら「それはお前の意見じゃねぇ」と止めながら。
アネッタも、止められるたびに言葉を詰まらせ、それはもう申し訳なさそうな顔で何度も頭を下げていた。言葉の意味は理解できても、上手く自分の意見が出てこなかったからだ。ただ、ガンドウは見た目とは裏腹に決して怒鳴ることはなかった。ただ静かに問いかけて、アネッタの意見を聞きだしては「いいじゃねえか」「それがお前の好きな色ってことだろうな」と肯定で包んだ言葉を返す。約、二時間の出来事であった。
それから二週間が経った。刀が出来たという報せを受けて、ふたたびガンドウの家に訪れたカクは、囲炉裏の前に座る。ガンドウはアネッタの姿が無い事に「嬢ちゃんは」と尋ねたが、ぱちぱちと小ぶりの薪が爆ぜる音に耳を傾けたカクは「外で待っておる。そろそろ帰る頃合いじゃからの」と短く返事をして、渡された刀を見た。
刀は注文した通り小ぶりな短刀で、白に統一した其れは清廉さを表したような代物だった。一方で鍔や頭といった金属部分は全て明るい金色のみで、二色で構成されたそれはいかにも女性が好みそうな色合いをしている。
カクは思う。はて、彼女はこういった色を好んでいただろうかと。
「ほう、随分と美しい刀じゃのう」
「フン、上っ面の誉めはいい」
「わしには手厳しいのう、……それでは、試し切りは」
「いいや、まだだ。試し切りは本人が…あの嬢ちゃんがやったほうがいいだろう」
その瞬間、「そうか」という静かな返答と共に血しぶきが上がって、ガンドウが膝から崩れ落ちた。ガンドウは、一体いま何が起こったのか理解出来なかった。頭で理解するよりも前に膝が崩れ落ちたのだ。ただ、途端に首に激痛が走り、焼けるような熱が首に響いた。咄嗟に首に触れると、其処からはだくだくと血が溢れて手を濡らし、意志とは関係なく膝から崩れ落ちたガンドウは、冷えた床に体を倒す。ヒューヒューと隙間風のように落ちるのはパックリと切れた傷口からか、喉からか。最早、それも分からない。
かたやそれを見るカクは「おお、仕留めるつもりで殺ったつもりじゃったが案外しぶといのう。切れ味は流石といったところじゃが、……ふむ、短刀は慣れんのう」と笑ったが、助ける気など更々ないのだろう。血濡れとなった刀を、上から下に振るって血を払うと、懐紙で刀を挟み、丁寧に拭きとりながら言葉を弾ませた。
「いやぁ、助かったわい。巨匠ガンドウが最後に手掛けた刀か――うん、名実共に悪くないのう」
「…っこ、っこ、小僧……せ、かい政府…か……」
「わははっ、随分と察しが良いのう!何故すぐに気付いたかは分からんが……そうじゃ、わしは世界政府諜報機関CP0……ああ、死にゆく者に挨拶は不要じゃったか」
言葉を弾ませるカクは瞳を細めた後、広がりゆく赤い水溜まりを避けるように足を引く。まるで汚らわしいとでも言うかのような行動であった。
「っはぁ……あの子は……あの嬢ちゃんは知ってんのか………」
ヒューヒューと隙間風が響くなか、ガンドウが声を振り絞るようにしてカクに尋ねる。今わの際だというのに、自分ではない者の心配をするとは随分とお人よしなことだ。
「うん?」
「初めて会った日にどうにも腑に落ちなかったのは、はー……っ……っ嬢ちゃんが、お前とは違う臭いがしたからだ……あの、嬢ちゃんは何かが違う……大方お前が…小僧が…仕組んだことだろう……!」
「……」
「小僧…っからは腐り切ったドブみてえな匂いがする、…へ…へ……刀鍛冶だから分からないと思ったかおれは……」
ダン!という音と共に男の声が途切れる。
それは、カクがガンドウの頭を踏みつけたからだ。
「……おうおう、何を喋るかと思えば勝手なことをべらべらと」
「ぐうう……ッ」
「刀鍛冶なのじゃから依頼人の言うことはすぐに聞いておればよかったのに、ぐだぐだぐだぐだと。下らんプライドを掲げてわしに歯向かうことも気に入らんかったが、まだ言うか。ああ、腹立たしのう……」
このまま踏みつぶす事は容易いが、さてどうしたものか。
カクは暫くガンドウを見下ろしていた。ガンドウは痛みに呻いていたが、いまだ納得しきれていないのだろう。睨みは治まる事なく、「あの子が、自分の意見を持たねえのも…っぐう……っはぁ……坊主の仕業か」と問いかける。
何がどうして、たかだか二週間会っただけの女のことを心配しているのか理解は出来ないが、こうして誰彼構わず懐に潜り込んでしまうのは、彼女が持った才能か。乾いた笑いが落ちる反面で、どうにも腹立たしく、カクはそれを発散させるように頭を踏みつけた後、足裏で頬を擦ると、首を押さえる手を踏みつける。
じわじわと、じわじわと。踏みつける力は彼の手の甲に沈み込んでゆく。
「……そうじゃのう……まぁ、刀を打ってもらった礼として最期に教えてやろう。いいか?………あいつはワシが躾けた女じゃ。……たかだかお前如き老いぼれが死んだところで、あいつが涙を流すことはないから、安心して死んでええぞ」
カクは静かに言った。お前なぞ、あの女の事なんて何もわかっちゃいないと。そう言いたげであった。
ガンドウはその言葉を受け、何か言いたげに口をはくはく動かしていたが、首を深く切られた男にそう時間は残されていない。「ああ、クソ……」と最後に悔しさを混じる言葉を落としたガンドウはそのまま動かなくなった。
パチパチと、囲炉裏の中で薪が爆ぜる。それは、夕刻時の出来事であった。
「さて、そろそろ戻るとするかのう」
外に出て、飼い犬と遊んでいたアネッタに声を掛ける。アネッタと犬は僅かに纏った血の匂いに気付いたのだろう。犬は唸り、アネッタも一瞬眉間に皺をよせ、あの男と同じように何か言いたげな表情を浮かべた。だが彼女は躾けたとおり、不用意に問いかける事なく唸る飼い犬を宥めるように頭を撫で、それからぎゅうと抱きしめると「お疲れ様」と零した。
それから体を起こしたアネッタの視線はカクの脇に。視線がそれは一体何なのかと尋ねている。
「どうした、これが気になるか?」
「うん……だってそれ、仏像でしょ?」
「おお、分かっとるじゃないか」
「いや、うーん、分かってるんだけど……仏像……好きだっけ?」
「いいや、特には。」
その言葉に、アネッタが不思議そうな顔を向ける。頭上には疑問符が沢山浮かんでおり、「仏像好きじゃないのに……持ってきたの?」と尋ねる彼女の顔にはどういうこと、という文字が書かれているように見える。
とはいえ、彼女が不思議に思うのも無理はない。なんせわしの部屋には船の模型を含め、皿や絵画などの美術品が幾つか飾られているが、そのコレクションの中に仏像は無い。それゆえに、それを隣で見ている彼女にとっては、違和感でしかないのだろう。仏像が気に入ったと言うのならば彼女は止めることはないだろうが、別に好きじゃないときたもんだ。彼女が不思議に思う気持ちも理解できるが、それにしたって間抜け面で此方を見つめるので、たったいま人を殺したというのに心は綻んでしまった。ああ、これも彼女の才能がなせる業なのだろうか。
「これは腹ごもりの仏像でのう……説明するよりも触った方が分かりやすいじゃろうか。ほれ」
「はらごもり?」
「そう、それを少し振ってみろ」
彼女はわしの言うとおり、疑う事なく仏像を振るう。すると微かだが、カラコロ、と中で何かが転がるような音が彼女の耳に届いたようだ。彼女は金色の瞳を大きく瞬かせると顔を上げて「何か入ってる!」とわかりやすく声を上げた。
「こうやって中に何かが入った仏像のことを腹籠りと言って、非常に縁起が良いとされておるが、恐らくこの中にわしらの欲しいものが入っとるじゃろうな」
「機密文書…ってこと?」
「あぁ。……あの男…わしらが世界政府の者であることにすぐに気付きおったわ」
「………ふうん」
「アネッタ?」
「あ、ううん。なんでもないの」
まぁ、おおかた彼女が考える事は分かっている。カクは瞳を細めた後、アネッタのその考えを取り払うよう「じきに家全体に火が回る。その前にここから離れるぞ」と伝えると、アネッタは「うん」と短く返事を返すと、犬の首から繋がる縄を解いてやって、頭を緩々と優しく撫でた。
「ばいばい、コタちゃん。怪我のないよう逃げるんだよ」
「ワンッ!」
「行くぞ、アネッタ」
「ん」
仕上がった刀を渡すのはこの後でも良いだろう。出来ればあの男への感情が無くなった頃合いを見て渡したい。わしは静かに頭を巡らせながら、名残惜しい様子で頭を撫でる彼女の手を取ると、そのまま繋がりを無理に解くように、彼女の体を抱き上げて地を蹴った。