冬の寒さが沁みるから

 そろそろ、冬支度が必要になってきた。現世とは異なり、便利な暖房器具の無い妖の世。気温は現世と比べてもいくらかマシだと聞くが、それでもビュウビュウと吹きすさぶ風は冷たい。吐き出した息は白く凍り付き、風に吹かれて消えていく。
 その日は、普段よりも上等な羽織りを重ねても凌げない寒さであった。こういう時ばかりは現世に焦がれてしまう。アネッタは手を擦り合わせてハァと息を吹きかけたあと、丁度よく帰宅したらしい烏天狗の胸に飛び込んだ。

「カク、お帰りなさい」

 その声は喜々としていたように思う。しかし、滞在時間は三秒満たずで、離れ行く彼女の顔は渋い。

「つめたぁい……」

 温かいと思っていたのに、外出していた彼の表面はキンキンに冷えていた。触れた箇所から体温を奪われていくようで、渋い顔のまま離れたつもりがそれを拒むように伸びた腕が腰を抱き翼が身体を包み込む。

「なんじゃなんじゃ、随分と寂しいことを言うのう」
「ぎゃ!だってカクの身体ってば冷たいんだもんっ」
「そりゃあ仕事に行っておったからのう」

 ほれ、頑張った褒美として抱かれんか。言いながら、子供のようにぎゅうぎゅうと抱きしめるカク。身長差のせいで彼が抱きしめると踵を浮かすことになり少し体勢が辛いのだが、それでも彼はお構いなしだ。
 ぎゅっ、ぎゅっ、ぎゅ。まるでぬいぐるみでも愛でるように、抱きしめる力は強い。

「ん……ふふ、カクって結構甘えん坊だよね」
「なんとでも言え、甘えん坊で許されるのならワシャそれでええわい」
「いいんだ?」
「好いた女を抱くことは、恥ずべき事では無いしのう」

 まぁ、それにしたって「おー、わしの嫁はいつ見てもかわええのう~」「はぁ、もちもちで柔らかいのう……」と続けるのはもはや幼児だとか、愛玩動物扱いをされている気がしてならないが……まぁ、頬を摺り寄せる彼はどこか至福そうだ。それを止める必要はないかとそのままの恰好で「そういえばね」と話の主導権を取り返して呟いた。

「うん?」
「ちょっと…というか結構寒くて……何かこう、もう少し温かくなれるようなものってないかな」
「おお、寒いんか」
「うん。我儘だっていうのは分かってるんだけど、もしかしたら私が知らないだけで解決する術はあるかもと思って」
「はは、我儘なわけないじゃろうに。そうか、そりゃあえいことじゃ。……ふむ、その羽織りでも寒いのであれば……アレを出すか」
「アレ?」

 そうしてともに向かった奥座敷。玄関から一番離れた奥の座敷は客も居らずにしんと静まり返っており、突然上から蹴鞠が落ちてきたのは新しく住み着いた妖の仕業か。くすくすと此方を笑う声にも慣れてしまったなと蹴鞠を拾う間、先が曲がった棒を手にしたカクは手慣れた様子で曲がった先を天井へと向ける。曲がった先端は天井の端にある窪みを引っ掛けて。グイと引くと隠し扉が開いて梯子が降りて来る。
 ……こんなもの、あったっけ?この屋敷にやってきて初めてみたもの。アネッタは目の前にある梯子を目に「何これ、こんなのあるなんて聞いてない!」と大興奮で言うと、カクは笑いながら頭を撫で、ちと待っておれと棒を預けた。
 梯子を上って天井奥から取り出したるは、昔話に出るような玉手箱。「ほれ」と渡されたものは赤い紐で結ばれており、試しに床に置いてはみたもののなんだか開けるのが怖い。カクはその様子に不思議そうにしていたが、彼はこれを自分では開け気がないらしい。せっつかれて紐を解き、万が一ぼわぼわと煙が出ても大丈夫なように蓋を盾にして勢いよく開くと煙が出ぬかわりにカクが呆れたように呟いた。

「なーにをしとるんじゃ、お前は」
「だって玉手箱にそっくりなんだもん…」
「玉手箱って…お前が昔よう言っとった、カメの爺さんが貰ったやつか」
「カメの爺さんではないけども……って、アレ洋服だ……」

 恐る恐る見ると、そこには素人目に見ても分かる白銀に光る羽織りが入っていた。なめらかな手触りに、繊細な光沢。天井裏に置かれていた割に状態の良いそれは、決して寒さに打ち勝てるほどの厚手には見えないが、兎に角美しかった。

「綺麗……」

 思わず見惚れてこぼれ落ちる言葉。なんだかこれを広げてしまうのは……いいや、自分には分不相応に思えて手が出ない。それを察したようにカクがひょいと取り上げて広げると、着てみんのかと誘い首を傾げた。

「う、うん」
「なんじゃ、白無垢でも着るわけじゃあるまいに」
「そうかもしれないけど、…でも、私には勿体ない気がして」

 だって、これはいいものでしょう?とアネッタ。
 確かに、この羽織りは鑑定士から最上級品であると太鼓判を押されたものであった。少なからず正味十七歳の女が着るには高価すぎる代物。だが、それが一体何だと言うのだ。彼女が寒いと言うからその防寒対策になるものを与えただけ。彼女の夫であるカクからすれば、その程度の事だと「たかだか羽織り一枚じゃろ、お前が寒くないのならそれが一番じゃ」と言って、彼女に袖を通すよう急かした。

「……わあ、これ……じんわり暖かいし全然寒くない!」
「じゃろうな。これは火鼠の皮衣と言う代物で、耐熱性、耐火性に優れておるんじゃ」
「かそ?」
「火の鼠とかいてカソじゃな」
「へぇ……耐熱性、耐火性に優れてるなんてすごいねぇ」
「あぁ、炎に飛び込んでも全く問題ない代物でのう……まぁ、寒さ対策にはうってつけじゃろうて」
「なんか……聞けば聞くほど私にはもったいない気がするけど、……でもありがとう。これなら冬も大丈夫そう」
「そうか、そりゃあよかったわい」

 出した甲斐があったと笑うカクは、嬉しそうに新しい羽織をパタパタと揺らすアネッタを見る。その様子はただ微笑ましい限りなのだが「これで寒さ知らずだね」と笑う彼女には、少しばかり懸念を抱く。……火鼠の皮衣があるということは、冬場は寒くないわけで。
 カクは彼女の腰をぐいと抱き寄せて、黒翼で体を包み込みながら言った。

「眠るときには着てはいかんぞ」
「どうして?」
「わしに近寄らんようになるじゃろう」

 なんとも幼い嫉妬心。けれども彼は知らないのだ。寒いだけが同じ布団で眠る理由ではないということを。アネッタは複雑な表情を見せる彼を見て笑うと、「寒く無くても、一緒に寝たいよ」そう言って彼の胸へと身を預けた。