彼女は何かを隠している

 ここのところ、アネッタの様子がおかしい。

 そう思いだしたのは、断り知らずの彼女が「今日は用事が」と断るようになったからであった。はじめは何か買い出しかと思っていた。なんせ彼女は、職場外に友人がいない。となれば、職場を出た先には遊ぶ相手もいない筈で、休日に用事ができる筈がないのだ。しかし、彼女の休日は必ずといっていいほど用事が入っており、一度世界政府関係かと尋ねた事もあったが、どうやらそういうわけではないらしい。

 そして今日。普段はポニーテールにしている髪をさらりと下ろし、それから赤縁眼鏡と何やら変装しているらしい彼女が、知らない男と親しい様子で歩いている姿を見かけた。自分と同じような背丈で、細身の男はにこやかで。彼女を気遣うように少し前を歩いてリードする様は、さながらデートのように見える。

 男の顔を見てもを見覚えは無く、華奢で小綺麗な恰好を見るに船大工ではなさそうだ。ましてや世界政府の関係者であれば、何を変装する必要があるのか。であれば本当に、職場外で知り合い、交際まで発展した男とか──。そんな馬鹿げた考えが頭を過るも、これに関してはそうではないと信じたい。

 ただ、楽しそうに談笑しながら歩くふたりを見ていると、腹のあたりがやけに渦巻くように重くなり、気付けば彼女の手を掴んでいた。

「わ……っ、…っぅ、ぇ?!カ……ッ?!」
「……何しとるんじゃ」
「カ、…ッ、カ……ちょ…な……」

 いまだ理解が追い付いていない様子で、単語にすらならない音を落とすアネッタ。明らかに動揺を示す彼女の頭には、沢山の疑問符が浮かんでいるが、その隣に立つ男は違う。わしの顔を見るや否や、ぱあっと表情を明るくすると「あなたはガレーラカンパニーの……?」と問いかけてきた。

 此処でサイファーポールの名前が出ないあたり、彼が世界政府の関係者ではないと分かるが、なにかうっとりと崇拝するような目で此方を見られると調子がくるって仕方がない。思わず、「お、おう」と半ば押され気味に答えると、男は拳を握ってガッツポーズを示すと「ああっ、やっぱり!」と言葉を弾ませた。

 と、その瞬間、手を掴んだ筈のアネッタがわしの腕をぐいと引く。

「もお…っ!なんでカクがいるの…!」
「お前こそ、どうして此処に」
「わ、私は……っ~~~~~っ!!!」

 彼女は言いづらそうに言葉を濁らせる。何かを隠していることは間違いないが、世界政府の関係者でもない男を前にして彼女を躾けることはできない。ならば彼女の答えを待つことになるが、彼女は隣の男を気にしており、彼女の視線を受けた男は、何やらハッとしたような顔を向けると「あ、では一緒に行かれますか?」と尋ねた。

「え?!」

 驚くアネッタ。どうやらそういうことではなかったらしい。だが、こちらにとっては好都合だ。わしは愛想よくにっこりと笑って「おお!ぜひ頼む」と言うと、男はそりゃあもう嬉しそうに笑うと「そうですよね、お二人で決めた方が…」と何やら勘違いしてそうなことを言って、「それでは案内しますね」と歩き始めた。


 そうして案内されたのは、一等綺麗な部屋であった。

 温かな日差しが煌めく明るい空間。広々としたリビングルームは、朝日をたっぷりと受け入れているかのようで、全てを明るく照らし出していた。奥の壁には奥行きを見せるためか薄い青色のペンキが塗られ、絵画のようなアーチ型の窓からは市内の美しいパノラマが広がっている。

 一体此処が何だと思ったが、「こちらの部屋は角部屋ですし、日当たり良好。ウォーターセブンの上部に面しておりますので市内を見渡せる眺望は最高ですし、何よりアクア・ラグナが来ても被害はありません!」と説明をする男を見るに、彼はおそらく不動産業者なのだと思う。

 案内を受けたアネッタはすっかりとしょんぼりとして「ワ、ワア……」なんて棒読み気味で言っていた。だが、確かに男の説明にあるとおり、ピラミッド型になったウォーターセブンの中でも、上部に位置するこの部屋の窓から覗く眺望は美しい。此処からガレーラカンパニーまでは少し距離があるが、彼女の身体能力をもってすれば大した問題ではないだろうし、何よりファミリー層向けの部屋は広く、それでいて中に残っている家具たちのセンスも中々良いように思える。これなら最低限の荷物を持ってくるだけで即日住めそうなものではあるが、さて、問題はなぜ彼女がこれを見ていたかという点だ。

 ちらりと不動産業の男を見ると、彼は「あっ、ぜひ、ゆっくり見ていってください」といって気を利かせて他の部屋へと行ってくれたが、残されたアネッタの気まずそうな顔といったら。

「……それで?」
「うっ」
「わざわざ変装までして、引っ越しでもするつもりか?」
「ち、違、くて………」
「違うなら何をそう焦っとるんじゃ」

 窓辺に後ずさる彼女を囲うように、前に立って彼女の両脇に手をつく。傍から──それこそあの男からすれば恋人らしくいちゃついているようにしか見えないだろうが、それもまた好都合。

 緊張したように体を強張らせる彼女の顔は赤く、睫毛を伏せる姿に自分を意識しているのかと思ったが彼女が絞り出した言葉は「…っひ、……冷やかしになっちゃうから……」という言葉で。

「は?」
「……っだ、だから…此処にきて私、初めて自分の部屋を借りたから……なんか、こう……宿とか、エニエスロビーに用意された部屋じゃない、普通の人が住む家って面白いと思っ、て………」

 彼女の言葉は色々と情報が足りていないが、つまるところ、こういうことだろう。

「……つまり、此処で初めて自分名義の家を与えられて、自分の家に興味を持って、こうして不動産巡りをしているが……既に家を借りている手前、冷やかしになるから変装していたと」
「?だ、だからそう言ってるじゃない……」

 真っ赤な顔で、訝し気な表情を浮かべるアネッタの眼差しが刺さる。

 確かに、我々には個人の家という概念がない。グアンハオ時代には共同部屋が割り当てられ、グアンハオを出た後も殆どが宿や宿舎暮らしであった。だからこうして自分の名義の家を得た彼女が、物件に興味を持つことは理解できるが、まさか不動産巡りが趣味になるとは。

「成る程のう…。……まぁ、しかし、お前のその変装は意味がないようじゃぞ?」
「え?」
「あの男、お前がガレーラで働いとると分かっとるようじゃったからな」
「え??」

 かたん、という音がして、視線を其方へと向けて戻ってきたらしい男を見ると、男は「あっ」と短く声を落とす。

「あ、いかがですか?……いやぁまさか有名なガレーラカンパニーの職長二人のお部屋を案内できるなんて光栄です!」
「…ええと……あの………私がガレーラカンパニーの者と気付いて…?」
「?はい!勿論です!!」
「……その角と目があるんじゃ。お前に変装は無理じゃな」
「くう……ごもっともです……!」
「……ま、でもこの部屋は確かにいい部屋じゃのう。建物自体は新しくはないが、綺麗にリノベーションされておるようじゃし」
「えぇ!ここのオーナー様は大変手入れに力を入れておりまして、前の入居者が出ていかれたあとにもいくつかリノベーションをしております」

 すかさず入れられる補足を耳に、適当に相槌を入れながら「ほう、ほかの部屋も見ても?」と尋ねる。それを受けて、男は何がそう喜ばしいことなのか「勿論です!」とにこにこと愛想の良い笑みを浮かべており、未だ気まずそうな彼女に向けて「ほれ、アネッタ。行くぞ」と声を掛けた。

 しかし、折角体を離して解放してやったというのに、彼女はいまだその場から動けない様子で、どこか呆然としていた。

「え、え?…お…怒らないの……?」

 そう尋ねる姿はどこか親の目を気にした子供のようだった。彼女は無意識に不安を示すように服の裾を握るが、別に彼女と男の関係は恋人でも友人ですらないのだ。

「?何を怒ることがあるんじゃ」
「……隠してたし…その、もう家はあるし……」
「……ふむ、……まぁ確かにこの広い部屋にお前ひとりじゃ広すぎるから、そもそも申請しても下りんかもしれんな」
「う……」

 言葉が濁る。

 そりゃあそうだ、何も世界政府は慈善団体ではない。今でこそ家を契約してくれてはいるが、これも潜入捜査のため。無意味に広い部屋を宛がうのは無駄遣いでしかないから、申請したとて、申請先のスパンダムが弾くはずだ。それこそ「あぁ?何言ってんだあの馬鹿は!」とか言いながら。

「……ただ、そこにわしが居れば別じゃろうな」
「え?」
「どうせお互いに帰る部屋は隣同士じゃ。なのに、夜も殆ど家飲みだなんだで一緒におるしのう。……であれば一緒の家に住んだ方が楽じゃろ」
「一緒の……」
「そう。お前はわしという安全保障があり、この家にも住める。そしてわしはお前のうまい飯を食える。どうじゃ、悪い話じゃないと思うが」
「え、え、…、……っい、いいの?」
「ああ、男に二言はない」

 ぱああと彼女の表情が明るくなる。まるで花が咲き誇るようなそれは、なんだか昔から変わらないなと思うのだが、彼女はそれはもう嬉しそうに、幸せそうに笑むと不動産の男に向けて「あの!前向きに検討したいので、もっと詳しく教えてください!」と声を弾ませていた。

 夕日が差し込むリビングに、アネッタの鈴を転がすような声と、やる気に満ち溢れた男の声が響く。
 なんだか騒がしいけれど、たまの我儘だ。まぁ、これくらいは許されるだろう。