幸せな朝

 ファミリー層の物件へと引っ越して、数日が経った。以前住んでいた家よりも日当たりの良いこの部屋には、朝を呼び込むように暖かな光が差し込む。多少の眩しさはあれど、不思議とそれが鬱陶しいと思うことはなく、寧ろ前よりも目覚めが良くなったかもしれない。

 寝ぼけた頭で立ち上がり、ついでに両手を上げてぐっと伸びをしたあと、ちらりと向けた視線は窓を見る。まるで絵画のようなアーチ型の窓から広がる市内の美しいパノラマはいつだって飽きることない。窓辺に近づいて、優雅に滑るようにして新聞配達を行っているニュース・クーに向けて「のう、新聞を一部くれんか」と声を掛けてみたが、ニュース・クーは訝し気な顔を向ける。

 それから何か言いたげにクークー言った後には、新聞を寄越すことなくどこかへと飛んでいってしまったが、はて、今日の新聞はもうアネッタが受け取ってしまったのだろうか。主に食事全般を担ってくれている彼女は、朝から新聞なんて読まないと思うのだが、まぁしかし、先に受け取った可能性もあるか。

 そんなことを思いながら窓辺に飾った小さなサボテンたちの様子を見た後、リビングへと向かったわしは唖然とすることになる。

「よお、カク。案外起きるのが遅いんだな」

 リビングにはパウリーがいた。しかも、奴は遠慮なんて文字もなくリビングにある買い替えたばかりのソファを陣取って新聞を広げており、アネッタから「コーヒー淹れたからテーブルに置いとくね。あと朝ごはんもうできるよ~」なんてもてなしを受けている。

「おうおう、パウリー…今は朝の七時じゃぞ、なんでうちにおるんじゃ……!」
「いやぁ、いま借金取りが家の前をうろついててよ、面倒くさいんで来ちまった」
「なーにが来ちまった、じゃ!っそれにその新聞は、うちのじゃろうが!」
「おー、アネッタのやつが飯を作ってるあいだ暇だったんでよ」

 減るもんじゃなしに、別にいいだろ?そんなことを言いたそうにカラカラと軽い調子で笑うパウリー。何が悲しくて朝から野郎の顔なんか見なくてはならないのだと思ったが、先日の引っ越し作業中で「いやぁいい家だな!」なんて無駄に誉めていたのはこのためだったのか。

 なんだか途端に馬鹿馬鹿しくなって、リビングテーブルへと近寄ると、そこには人数分の朝食がすでに用意されていた。焼き立てのトーストパンにサラダ・目玉焼きとベーコンが乗った朝食ワンプレートに、入れたばかりで湯気の立つホットコーヒー。いつもはバナナ一本、林檎一つと自分が作るよりもずっと丁寧に用意された食事は有難く、椅子を引いて座ってみたものの、フォーク類が用意されていないことに気付いた。
 であれば、これらは自分で用意をしよう。いまだリビングに立って「林檎を剥いちゃお~」なんて昨日の帰りに買ったばかりの林檎を手に取る彼女の隣に立って、引き出しから人数分のフォークとナイフを出していると、アネッタが申し訳なさそうな顔を見せる。

「わ、ごめんね。フォークとかでてなかった?」
「あぁ、いや、これくらいはわしがやる。すまんな、いつもうまい朝食をありがとう。朝からしっかりと食べる事が出来て助かっとる」
「んはは、どういたしまして」

 そういってどこか気恥ずかしそうに笑うアネッタ。その顔を見るだけで心が弾むものだが、この光景を見てか、新聞を手にしたままのパウリーが「なーんかお前ら……そうしてっと新婚っぽいな」と笑うと一瞬だけ、ほんの一瞬だけ思考が止まる。ただ、隣からバキョッと妙な音と共に「あっ」と短い声が聞こえれば意識は戻り、その音を辿るように隣を見ると、林檎を握りつぶしたらしいアネッタが真っ赤な顔になっていることに気付いた。

 まるで熱湯を被ったように首元まで真っ赤になった彼女は瞳を揺らす。それが動揺からであるのは明らかで「……な、……何いってんだろね……パウリー……」と零す言葉はあまりにも小さな声であった。

「……」
「……、……」
「……わしはそう思われても構わんがのう」

 ぽそりと彼女にだけ聞こえるように呟いた言葉。彼女はそれを受けて「は、え」と林檎の破片と果汁で濡れた手をびくりと震わせると、驚いたような顔をしていたが、このまま会話をするにはなんだか惜しい気もしてならない。

「さ、朝ごはんでも食べるかのう」
「え、あ、う、うん……」

 だからこれにてこの話は御終い。わしはさっさと彼女から離れてフォークとナイフを手に戻り、パウリーを呼ぶ。それから「先に食べてて」と言っていたアネッタが席に座ったのは暫くしてのことだった。顔の赤みが引いていない彼女は、わしと目が合うや否や気恥ずかしそうに睫毛を伏せる。

そのまま何を言うわけでもなくトースターを齧る彼女はいつもよりも静かで、それに気付いたパウリーは、やっぱり遠慮なんてない様子で「ん……どうしたんだよアネッタ。顔、赤いぜ」と尋ねていた。

「ぅえ?!あ、っと、料理してたからかな…?ほら、火を使ってたし!」
「へえ……まぁ熱じゃねえならいいんだけどよ」
「あはは……」

 ここまで鈍いとなんだか笑えてしまうが、ひとまず、良い仕事をしてくれたパウリーには、ベーコンをくれてやろうかと思う。