アネッタが姿を消して、数日が経った。
おかしい。何かがおかしい。なぜ彼女はこのグアンハオにいないのだ。職員に尋ねても職員たちは言葉を濁らせるだけで答えてはくれず、頼みの綱のジャブラ達は任務に出ており連絡が取れない。最後に会った日だって特にいつもとは変わりなかったし、ましてや任務要請が出たのであれば自分に一報が来る筈だ。カクは親指の爪を口に寄せてガリガリと噛んだ後、机に転がった彼女の鉛筆を見て、立ちあがる。もしも可能性があるならば。そんなひらめきは、彼を行動に駆り立てた。
向かった先は、グアンハオ塔部の地下――懲罰室。此処は反省を促す場所として、時には幽閉場所として使用される場所であり、窓もなければ明かりもない此処を嫌うものは多い。だから、臆病者のアネッタも自分の意思で此処に来る事は無いだろうが、大人たちに連れてこられたとなると話は別だ。
カンテラを手に階段を下りたカクは、辺りを見回して、懲罰室の扉に耳を当てる。特に話し声がしないので、中に職員はいないようだ。そうしてドアノブに手を伸ばし、ゆっくりと開くと、室内に伸ばしたカンテラが何かを捕らえる。
暗闇の奥で、灯りを受けて何かがぎらりと光ったのだ。
「アネ、ッタ?」
見覚えのある金色に、カクが尋ねる。
しかし、返事はない。
代わりに、何か鎖のようなものをジャラジャラと引きずるような音が聞こえ、カクはカンテラを奥へと向けたまま、数段ほどの階段を下りて奥へと進む。冷たい石畳をカンテラの灯りが照らす。灯りが伸びた先には、先ほど聞こえた鎖があった。それも太く頑丈なもので、「アネッタ」と尋ねる声に合わせて動くそれに、なんだか背中が冷たくなるほど嫌な予感がして、カクは少しずつ距離を縮め、カンテラを向けた。
「………アネッタ、じゃな」
確証も無く、呟いた。
なんせ、目の前にいたのは人の形をした子供ではなく、ドラゴンであった。
体長はおよそ二メートルほど。恐らく狼や豹程度の大きさだろう。硬い黒岩を纏い、金の目を持ったドラゴンは、本来の彼女が持つ小麦色でふわふわの髪の毛の要素を持っていなかった。だからそれが彼女であるかは分からない。ただ、漠然と、彼女が彼女であるように思えて尋ねると、ドラゴンは可哀そうなほどに身を縮めながら「ギュアギュワ」と短く鳴く。
「……、………どうしてここにいるの?」
ドラゴンは、彼女の声で問いかける。金の瞳には悲しさを滲ませており、空いた片手を伸ばすと硬い鼻先が手を押し上げるようにして摺り寄せって「見つかっちゃった」と力なく零した。
「……お前が急に居なくなったから、探しにきたんじゃ」
「そ、っ……かぁ」
「……ずっと此処におったのか」
彼女の手足や首には、頑丈な枷が嵌められていた。首枷から伸びる鎖は手足に繋がり、自由に身動きが取れないのか、カンテラが映した足元は鎖で擦れたような痕が無数に残っている。
「うん……、この姿から戻れなくて……そしたら先生が戻るまで此処にいなさいって」
「そう、か」
「……」
「……」
彼女が竜人族であることも、竜の姿に成れることも知っている。しかし、初めて見るそれは、想像していた竜とは少しかけ離れているように思えて、上手く言葉にならない。それに、彼女は彼女であるはずなのに、手のひらに触れる感触も、固く冷たいばかりでそれが同一人物であると結びつかず、ただの沈黙が続く。
普段は途絶えることのない会話。それゆえに普段は鈍い彼女も、カクが言葉を失っていることに気付いたようで、ドラゴンは鼻の上に乗せた手のひらをもう一度だけ押し上げると「もうもどりなよ」と呟いた。
「……先生がきたらおこられちゃうよ」
「しかし……」
人一倍泣き虫で、臆病で、寂しがり屋で。そんな彼女がこんなところにいて大丈夫なはずではない。それなのに彼女がカクを戻そうとするのは、彼が言葉を詰まらせたからだろう。
金色の瞳はふいと視線を逸らすと「ごめんね」と零す。そこで初めて、彼女を見て怯えたと勘違いされた事に気付いたカクはカンテラを足元に置くと手を伸ばす。伸ばした両手は岩を纏う彼女の頭に。
はたして、これが鱗と言えるのだろうか。体温なんて感じない岩を纏う頭は固く、触り心地は悪い。それに、普段ふわふわの髪の毛を揺らす彼女とかけ離れた見た目をしたそれは、いまだに彼女と結びつかない。ただ、「アネッタ」と呼んだ時に此方を向く金色の瞳だけはいつもと変わらなかった。
「……硬いのう」
「…手、ふるえてる」
「うるさい、ドラゴンなんて初めて触るんじゃから仕方ないじゃろう」
正直、怖くないかと言えば嘘になる。なんせ彼女は犬猫ではなく、本で描かれるような未知の生物なのだから。
「……怖い?」
「……怖くないわい」
「……本当?」
「……だって、お前じゃろ」
「うん……」
硬い鱗で覆われた彼女は撫でられてもそれが分かるのだろうか。
体温は伝わるのだろうか。――分からない。けれど、彼女はクククク…と猫のように喉を鳴らすと、嬉しそうに金色の瞳を細めるようにして笑み、その場にころんと寝転んで腹を見せた。
「あのね、こっちは柔らかいんだよ」
「触ってもいいのか」
「いいよ」
「おお……」
彼女が示した腹を触るともちもちと柔らかかった。なんとなくパン生地を彷彿させるようなもちもち加減で、たまらず猫がするように手でふみふみとしていると、ドラゴンは人懐っこく足を動かしながら「くすぐったいよぉ」と笑っていた。それがなんだか妙に可愛らしくて、彼女は彼女の見た目をしていなかったのに、いつもと同じ陽だまりのような温かい感覚が自分の中にじわりと広がる。
そうだ、彼女は、彼女だ。どんなに見た目が変わったとしてもそれは変わらない。
「……なんか、ドラゴンってもっと恰好いいものと思っておったのう」
「か、恰好よくないってこと……?!」
「え、あ、……うーん……?」
「ひどい……!」
そういうところだぞ、とカク。アネッタはいまいちよく分かっていないようで、何が?と言っていたが、まぁ、恰好よく描かれていたドラゴンがこうして腹を見せている時点で恰好よくはないか。カクは肩をゆらゆらと揺らすようにして笑うと、身を起こしたドラゴンを抱きしめて「恰好よくないけど、わしの一番の友達じゃぞ」と囁いた。