ホワイトアウト。別名、白い闇。
それは雪や雲などによって視界が濃霧のように白一色となり、地形や方向だけでなく、高度すら識別不能となる現象だ。
「…ッアネ!大丈夫か!!く…っ、なんて天候なんじゃ…ッ前が見えん…ッ!」
絶え間なくホワイトアウトの続く雪山、スノウデスマウンテンに派遣されたのは今からおよそ24時間前のこと。ホワイトアウトが続く中、力尽きた人々を横目に竜の背に乗ったわしは、ホワイトアウトした山を進みながら、たまらず竜へと声を掛ける。
だが、今の気温は氷点下五十度だ。猛吹雪のなか口を開けば、冷たい空気が肺の奥まで入り込む。途端に内臓が急激に冷えるような感覚を覚えて口を噤んだが、竜に戻った彼女は人間よりも体が丈夫らしい。「大丈夫じゃないですけど?!びっくりするぐらい全然前が見えない!」と雄々しい竜の姿にはアンバランスな泣き言を上げた。
成程、ルッチがわしだけではなくアネッタを寄越した理由がよく分かる。
道中にある遺体の数を見る限り、歩いての登頂は絶望的だ。音もなくしんしんと降り注ぐ程度の雪であれば、雪が落ちる方向を見てどちらへ飛ぶべきかを指示出来たのかもしれないが、猛吹雪で斜めに降り注ぐ雪を前に方角なんて分かる筈もない。わしもまたこのスノウデスマウンテンの前では無力なのだ。硬い岩のように突き出た鱗の凹凸に手をかけて、振り落とされないようにするだけで精いっぱいだった。
そうして暫くはアネッタ独断での飛行が続いた後、突然雲を突き破ったようにホワイトアウトした空間を抜けた。標高はおよそ8000メートル。普通ならば、標高が8000メートルともなると、人間が生存するには厳しいほど酸素が薄くなるはずなのだが、ホワイトアウトから抜けた瞬間、ふっと首を絞めていた手が離れたように呼吸が楽になった。しかも、それだけではない。辺りは相変わらず雪が降っていたが、それも小雪程度に収まり、あれだけ前が見えなかったのに急に視界が開けたのだ。
どういう原理なのかは分からないが、わしにとっては好都合だ。
「ねぇカク!あそこじゃない?」
雄々しい翼を羽ばたかせながらアネッタが声を上げる。彼女の視線の先には、雄大な雪山に聳え立つ荘厳な白亜の古城があった。比較的小さな古城とはいえ、その荘厳さに思わずゴーグルを外したわしは何度も瞬きを繰り返して、白亜の古城を見つめて言葉を落とした。
「これが……ルッチの言っておった辿り着く事の出来ない城、アルカナ城……」
「……人のいなくなった建物はすぐに朽ち果てるっていうのに、荒城って感じはしないねぇ」
「標高の高さと気温が関係しとるのかもしれんな」
「ねぇカク……。これ……行ってみたら化け物が住んでました~ってことはない、よね」
「どうじゃろうなぁ。……まぁ、兎に角行って探索したほうが早いじゃろ。アネッタ、アルカナ城へと近付けそうか」
「ん、任せて」
身体に積もっていく雪をそのままに、長い尾を揺らした竜は城を囲う城壁の城郭と、城門の先にある扉の前へと降り立って、わしが降りやすいよう冷たい雪の上に体を伏せる。わざわざ体を冷やしてまで配慮しなくとも。とは思ったが、急な高度の上昇や、低酸素状態が続いた事で思った以上に体力を消耗していたらしい。厚い靴底が雪を踏みしめた瞬間、視界がぐにゃりと歪んで足元が揺らめいた。
これはいわゆる眩暈というものだろうか。
体が倒れるほどのものではないとはいえ、今までに感じた事のない視界の歪みに血の気が引くような感覚を覚える。咄嗟に、扉近くにあるエンタシスと呼ばれる白塗りの柱へと手をつくと、それを見ていたアネッタが姿を人の形へと戻しながら駆け寄って腕を掴んだ。
「……っと、大丈夫?」
問いかける彼女の声色や表情には不安な色が滲んでいる。
「ん、あぁ……恰好悪いところを見せたのう」
「たまには恰好悪いところも悪くないよ。…でも本当に大丈夫なの、顔色悪いよ」
「あぁ、此処に上がってくるまでの低酸素が少し効いておるようじゃ……が問題ないわい」
「……本当?」
「本当じゃ。ほれ、さっさと中に入るとしよう。…ここは寒くて仕方が無いからのう」
呟いた言葉は素っ気なく、話題を強制終了させるようなものだったかもしれない。
その言葉を聞いて、アネッタがわしの頬を触ろうと手袋に包まれた手を向けたが、いまは任務が最優先だ。彼女の手が届く前に先手を打ってぐしゃりと頭を撫でると、ニット帽から出た前髪は少しばかり凍っているのか、手のひらには冷たく固い感触が残る。
ただ、幼馴染のアネッタからすれば、それが誤魔化しの行動だと分かっているのだろう。指の隙間から覗く睨みに思わず怯んでしまった。
「…ねぇ、カク」
わしの名を呼ぶ彼女の声が、いつもよりも低い。
「何か隠してない?」
「…なんじゃ藪から棒に。」
「……カクにしては随分と無理してるでしょ。急ぎの任務でもない、主人もいない城なのにどうしてそんなに急ごうとするの?」
「任務が最優先なのはいつもの事じゃろう」
「……」
「……ほら、行くぞ」
「……」
「……アネッタ」
「……あは、…カクも随分と私を見くびってるよね。」
「一体何を」
「私がカクの事で見逃す筈なんかないって、分かってないでしょ」
明確な怒りを滲ませた声色が肌を突き刺す。彼女から伸びる竜の尾が機嫌悪くしたんしたんとタイル装飾が並ぶ地面を打ち、わしの腕を掴む手に力を込めると「…私、やだよ。私がいるのにカクが一人で頑張りすぎちゃうのは」と怒りの奥底に寂しさを乗せて零すものだから、彼女に滅法弱いわしは白く凍り付く息を吐き出して、彼女を見つめた。
「……」
「……カク」
「………はぁ。…変に期待させたくないから言いたくなかったんじゃが…」
「期待って?」
少しばかり言い淀む。
「……このアルカナ城は、二十五年前に赤ん坊だったお前が発見された場所。……つまりは今回の任務にはお前の痕跡探しも混じっておる。じゃから…、まぁ、少し気が急いでおったのは認める。」
両親の事を僅かでも覚えているわしとは違って、アネッタは自分の両親・血縁者の顔、いつどこで生まれて、拾われたのか、自分のルーツがどこにあるのかを知らない。
だからこそ、彼女には恐らくはそうだろうという想定が、確証を得られるものになってから話したかったのだが、彼女に滅法弱いわしは隠し事も出来ずに謝罪まで付け加えて呟くと、腕を掴む手が離れた。
「それって………つまり……」
アネッタの顔が、驚きに染まる。
「……それってつまり………私はお姫様だった、……ってこと?!」
「いや、それは違うが。」
あまりにも頓珍漢な事を言うものだから、緊張が揺らいで笑ってしまった。
いや、よりにもよって感想がそれなのか。しかしアネッタは即答で否定が帰ってくれば、さっきまでは怒りを露わにしていたというのに、今度は唇を尖らせながら「ちぇ、なーんだ」と零す。
「はぁ……お前の馬鹿さにはほとほと呆れるわい」
「おや…?喧嘩か……?」
「んんっ、すまん、本音が出てしまった」
「は?」
「…まぁ取り合えず、城といっても国は有しておらんからな、王族ではないじゃろう。……まぁ、王族でもないのにどうして此処に城があるのかは気になるところではあるが。」
「つまりは探さないと分からない~ってことか」
「あぁ。中は殆ど探索されておらん領域じゃ、望むものがあるかどうかは見てみないことには分からん。ただ、お前に関する事が残っている可能性はあるじゃろうな」
「ふうん」
「………お前はどうしたい?此処が本当に竜人族の住処であれば良いが、逆に竜人族を利用する者の住処であれば、お前が見たくないものも多いはずじゃ」
そもそも仕事をさせないという選択肢は普通存在しないのだが、彼女相手に選択肢を与えてしまうのは最早惚れた弱みなわけで。もちろん彼女が探索に加わってくれたら鬼に金棒の百人力ではあるのだが、余計なものを見せて傷つけたくはない。だからこうして選択肢を与えたつもりだったのだが、彼女は「どうしたい、って………言ったでしょ、カク一人には頑張らせないって。カクが行くのなら私も同じように行くまでだよ。」そういって牙のように目立つ犬歯を見せてにかりと人懐っこく笑うと、わしよりも一歩前に進んで重厚な扉へと手を伸ばした。
さて、この選択で鬼が出るか蛇が出るか。
重厚な扉は、いま、開かれる。