竜のルーツ


 重厚な扉は、意外にもすんなりと開いた。

 開いたことで生まれた隙間からは、長らく閉じ込められていたであろう冷気が肌を撫で、外へと駆けてゆく。そうして城内へ足を踏み入れた私たちは、まずは吹き抜けになっているエントランスホールへと足を進めた。
 降り積もった雪の原を想起させるような大理石の床が続くエントランスホールは、恐ろしく静かであった。まるで、この城自体が眠っているような。そんな中、かつんかつんと靴底の音が気持ち良く響く。エントランスホール中央には、二階に続く階段、それと中央左右には部屋に向かうための廊下が続いており、ふと吹き抜けとなっている真上を見上げると、星のような煌めきを放つ淡青色の巨大シャンデリアが天井から降りて、此方を見下ろしていた。

「わー……すっごいねぇ……さすがはお城って感じ」
「凄いのう……此処まで美しい城はわしも初めてじゃ」

 浅い感想しか言えぬ私とは違って、カクはこの厳かな空間に息を飲んでいた。
 瞬きを繰り返す様はなんだか珍しく思えたが、思い返せばエニエスロビーにある彼の部屋にも古美術品などが多く並んでいたっけ。彼は、あまり自分のことを多くは語らないけれど、船と同じようにこういったものが好きなのかもしれない。
 ただ、一つ気になることがあるとすれば彼の顔色だ。城内も白一色で統一されているとはいえ、彼の顔色は普段よりも青白い。どうにも体調が戻っていないように思えて、足を止めた私はコートを翻しながら彼に問いかけた。

「ねぇ、このまま進んでも大丈夫?少し休憩しようか?」
「ん?あぁ、いや、大丈夫じゃ」
「でも顔が青白いよ……」
「うん?あー…まぁ、寒いからのう……わはは、なんじゃ今日は随分と過保護じゃのう」
「……、……私とカクは、…多分体の作りが違うからさ、言ってもらえないと分からないから……だから、あの、無理はしないでね」

 私は彼の袖を引く。
 今まで二十五年間生きてきて、彼との違いだなんて竜人族か人間か、竜になれるかなれないか程度にしか思っていなかった。なんせカクは強い。足だって速いし、力だって強いし、カクと組手をしてもいまだに勝てた試しがない。だから、なんとなく体の作りは同じなのかもしれないと勘違いしていた。

 しかし、今回の登頂で私は気付いてしまった。低酸素が続く場所でもさして違和感を感じなかった竜人族と、低酸素で命の危険を感じる人間とでは体の作りも、耐久度も違うということに。

 私が低酸素による影響を受けない以上、彼の体調変化に気付けない。
 彼の体調は、彼にかかっているのだ。

 だからこそ彼には嘘を言ってほしくないという事を伝えると、先ほど怒った甲斐もあってなのか、今度は話題を無理に変えることもなく、穏やかに「あぁ、分かっておるわい」と約束を結んでくれた。ただ、カクは分かっているといってくれたのに、スノウデスマウンテンの麓や、中腹で見た遺体のようになってしまうのではないか、と漠然とした不安感が私を襲う。とてもじゃないが、掴んだ袖を離すなんて出来なかった。

「アネ?」

 彼が問いかける。

「……」
「……アネッタ」
「……ん」
「……心配させすぎたかのう」

 いつまでも袖を離さない私を見て、カクは頭を掻く。それから視線を少しばかり他所へと流したのち、何か思いついたような表情で此方を見つめた。

「うーん…あぁ、そうじゃ、それじゃあキスでもしてもらおうかのう」
「へ?」

 カクにしては突拍子の無い発言に、間抜けな声が落ちる。
 多分、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたと思う。

「お、信じておらんな?これが一番てっとり早い回復方法なんじゃが」

 そう言って、カクは白々しく肩を竦めたかと思うと、更に追い打ちをかけるように「あー、具合が悪くなってきたのう」なんて胸を押さえる。だが、どうみたって大根演技にしか見えない。嘘だ。明らかに嘘だ。

「…………んぐ……」

 しかし、世の中には愛情ホルモンとも言われるオキシトシンというものがあって、互いに触れ合うことで分泌されたオキシトシンは痛みの軽減効果があるという。空想物語じゃあるまいし、触れ合うことで体力が全回復するなんて思っちゃいないが、もしかしたら、もしかすると少しは体調回復に役立ってくれるかもしれない。普段であれば何を馬鹿なことをと言って流していただろうが、青白い顔をした彼を前にした私は、少しだけ必死だった。

 そんなわけで彼の方へと身を寄せた私は、身長の高い彼に合わせて背伸びをする。それから胸元を掴んで軽く引き寄せて、彼の唇にほんの一瞬だけ触れるようなキスをする。

 あれ、でも、オキシトシンってどれぐらいで分泌されるのだろうか。

 浅い知識しか持ち合わせていない私には分からなかったが、分泌されるぐらい長くすれば良いのかもしれない。となればもう一回か。私はもう一度試みようと背伸びをしたが、今度は触れる手前のところで「待った」と彼と私の唇の間に手のひらが差し込まれてしまい、試すことが出来なかった。

「ん、む」

 突然のことに瞬きを繰り返す。何か間違っていただろうかと視線を上げると、カクは此方を見下ろして「すまん、心配を拭おうと思った冗談のつもりだったんじゃが…。」と僅かに耳を赤く染めて申し訳なさそうな、気恥ずかしそうな表情を浮かべるので、私は頭をがあんと鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

「……ッ、………ッッ、……!」
「いや、本当にすまん」
「………ッ!!」
「すまんて」

 弄ばれたのだという恥ずかしさやら怒りやらで熱湯を被ったように全身が熱くなる。声もなく金魚のように口を開閉させる私を見て、彼は弄ぶつもりじゃといわんばかりに謝罪を重ねたが、そんなのこんな状況で言わないで欲しいものだ。

私はせめてもの仕返しということで、冗談を言えるほどの余裕があるらしい彼の背中を叩く。当然、彼からは「いて」と声が返ってきたが、余計な弄りを受ける前に次の話題へと移行すべく「そ、それで、私は何をすればいいの」と問いかけた。

「いま叩いたのはなんじゃったんだ……、取り合えずアネッタにはこの場内の間取り図作成を頼んでいいか。さすがにこの場内を何度も歩いて回るのはきついが、お前なら飛べる分、わしよりも楽にできるじゃろう。」
「ん。間取り図ね。…じゃあ、その間カクは書類探し?」
「あぁ。とりあえず此処が竜人族の根城なのか、別の者のものなのかというところから解明せんといかん」
「あー……確かに。今のところ、どちらのものか分からないものね」

 仮に竜人族ではない者がアルカナ城の主だとして、どうやって此処までたどり着いたのだろう。麓から山頂近くまでホワイトアウトして、更には低酸素の続くスノウデスマウンテンをただの人間が行き来できるようには思えない。

此処で生まれ、下界に降りることなく幽閉されたように生きた人間か、それともワープ系の能力を持つ悪魔の実の能力者か。予想はいくつか立てられるが、探索前に答えが出る筈もなく、人間が取りつけるには大変そうなシャンデリアを見上げて小さく息を落とした。

「のう、アネッタ。」

カクが言う。

「うん?」
「わしは、……わしよりも、お前の方が心配じゃぞ」
「どうして?」
「お前は自分のルーツを知らんじゃろう。じゃから……、……思うところがあるんじゃないかと思ってのう」
「あぁ、そういうこと。……残念ながらなーんにも思ってないよ」

 私の一番古い記憶は研究所だ。だから親の顔は知らないし、どこで生まれたのかも知らないし知らされてもいない。だからこそ、カクはこのアルカナ城を探索することで、寂しさや余計な感情を抱くのではないかと心配しているのだろう。私は「傷ついてもいないし、寂しいなんて感情もないよ。」そう言葉を付け足したのだが、私が彼に向けて心配が拭えないように、彼もまた心配が拭えないようで、心配性なのはお互い様かと少し笑えてしまった。

「確かに此処が私の生まれた場所だったら凄いけどさ、……元々自分のルーツも両親も知らないし……それが当たり前だったから、此処が研究所だろうが、竜人族の住処だろうが特に感動はないよ。」

 仮に竜人族の住処であったとしても、感動できただろうか。いや、何処か他人事のように、それこそ世界遺産を見た観光客程度の感動しか出来ないと思う。なんせ、此処がなんだろうが私の住処ではない。私の住処は彼の隣なのだから。

「だから大丈夫。それよりもさ、カクの体調が大丈夫ならさっさと仕事しちゃおうよ」
「…そうじゃな。じゃあ終わったらこのエントランスホールに待ち合わせにしようかのう」
「はーい、それじゃあまた後で」
 言いながら、背負っていたリュックをその場に置いて、中からバインダーと紙、鉛筆を取り出した。それからもう一度リュックを、今度は前から背負って、竜の翼を伸ばす。これだけ広い城内だ。彼の言うとおり歩いて間取り図制作をするよりも、飛んだほうがずっと効率的か。
 そうして、スイと翼を羽ばたかせて飛び上がった私は、無駄に広い場内を泳ぐように飛んで間取り図作りを始めた。

 まずは一階中央のエントランスホール。その左右に部屋が六つと五つずつ。二階は階段を上がって左に食堂や武器庫を含めた部屋が六つ、右には部屋が六つ。一度目はざっくりとした間取り図を書いて、そこから詳細を書き足すために一つずつ扉を開けて中を確認して、広さなどを書き足していくうちに、ふと違和感を覚えた。

 一階から二階まで殆どが左右に部屋が六つの構成で作られているのに、どうして一階の右側だけ五つなのだろう。
 一つだけ部屋をぶちぬいてホールのように広い部屋にしているのか、それとも、何かが隠されているのか。描いた間取り図を見下ろした私は、鉛筆の先でトントンと叩きながら名探偵よろしく考えてみたが、私には探偵の才能がないのかもしれない。暫く考えてみたが、考えるよりも実際に見た方が早いという事と、ひとまずはカクに報告しなければという答えしか出てこなかった。

 報告目的でエントランスホールへと戻った私は、辺りを見回す。しかし、探索を始めてまだ数十分。そんな僅かな時間でカクが此処に戻っている筈もなく、あたりはしんと静まりかえっていた。
 常々、報告が最優先と口酸っぱく言われているので先に報告したかったのだが、まぁ、あまり時間も経っていないし、間取り図制作をしているうちに彼と遭遇するだろう。一旦は伸ばしていた翼を戻して床に降り立った私は、右通路側にある五つの部屋が連なる廊下へと足を進める。廊下には、なんだかお高そうな絵画が沢山飾られていたが、どれも見たことのあるような模倣品ばかりで、それを見るだけでは此処が竜人族の住処か、それ以外の者の住処なのかは分からなかった。

「……たどり着けない城って言う割に、一日じゃ到底建築不可能な城があるっていうのが不思議よねぇ…」

 ガレーラカンパニーの技術者たちに作らせたとしても、一日で城なんて作れる筈がないというのは、元ガレーラカンパニーの職人としての感想だ。それに、そもそも建築資材はどうやって持ち運んだと言うのだ。
 考えられるとしたら、私たちがまだ知らない抜け道があったか、ワープ系もしくは建築に有利な能力者がいたと考えるのが妥当だと思うのだが、なんせ証拠がない。

 取り合えず証拠探しは彼がしてくれているのだし、いま此処で名探偵ごっこをするよりも、私に与えられた間取り図作成を完遂させることが優先か。気持ちを切り替えるよう、その場で一度深呼吸をした私は右通路側の一番手前にある部屋の扉を開いて中へと入る。すると、長年閉じ込められていた埃が突然の客人に驚くよう立ちあがった。

「けほっ、…いくら綺麗に見えても流石に埃っぽいなぁ……」

 あまりの埃っぽさに換気したいと嘆いたが、これだけ埃が舞うということは手入れがされていないということで間違いないだろう。埃が積もった床を見ると、特に人が行き来したような足跡は確認できず、取り合えず中へと歩みを進めた私は、部屋の一番端へと足を進め、壁に凭れるように背をつけた。

「いーち、にーい、さーん、しーい、ごー」

 それからの行動は歩いて行う測量、歩測だ。

 数を数えながら大股歩きで向かいの壁まで足を進めるだけのものだが、侮るなかれ。これが一番測りやすい。そうして部屋の広さを調べてバインダーに他の部屋と変わらぬ広さであることを記す。

 一応これで間取り図に必要な情報は揃ったが、たどり着けない城に残された物というのは少し興味がある。まぁどうせ間取り図作成の後は書類探しに合流するのだろうし、いま見ても怒られることはないだろう。若干言い訳がましくなってしまったが、自分に言い聞かせるように「うんうん、まぁちょっとだけ……ちょっとだけだもん」なんて言いながら部屋の奥にある執務机の方へと近寄った。

 念のため執務机に触れる前に、一度膝を折ってしゃがみ、並行になる高さで机の表面を見る。此処で確認をしていたのは、先で足跡が無いかを確かめたように埃被った執務机に誰かが触れたような跡がないかなのだが、特に埃に触ったような跡は見当たらない。つまりは此処には、少なくともこの部屋にはもう長いこと客人はおろか、家主すら足を踏み入れていないということだ。

「…………ええっと、ぉ?」

 確認を終えた私は執務机の引き出しを開く。特に施錠もされていない引き出しはすぐに開いたが、此処の部屋の持ち主は女性なのか、中にはかぴかぴに乾いた羊毛紙を紐で閉じただけの束があり、其処にはレシピのようなものが細かく記載されていた。それもレシピはどれも自家栽培でどうにかなるような野菜多めのメニューばかりで肉や魚料理が極端に少ないように思う。となると頻繁に下山しての調達は行っていなさそうだ。

「…やっぱり抜け道があったとか、ワープ系の能力者があったわけではない…?うーん……まぁ、一応これも持っていくか。」

 ただ、残念なことにこの引き出しにそれ以上の収穫は無く、とりあえずレシピ集だけをバインダーに重ねて次の部屋へと入る。此処もまた一部屋分を埋めるほどのホールと呼べるほどの広さはなく、他の部屋と同じ大きさの部屋があるだけだ。ともすると、この部屋と隣の部屋には一部屋分の謎の空間があるということになるが。

そんな疑問を抱いた瞬間、隣の部屋からドン、と何か物を落とすような音が響いた。

「うん?」

 今のは一体何の音だろうか。

 カクが物を落としたとは考え難い。となれば敵か、それともカクが倒れたか。

 低酸素を続けたことで体調を崩したカクのことを考えると、後者の可能性だって十分にあり得るが、敵の襲来であることも考えて、壁に飾られた剣を抜いて部屋を出た私は、辺りを見渡す。しかし、物が落ちたような音が響いた以来とくに音が続くわけでもなく、異常は見受けられない。いいや、でもまだ安心するには早い。扉が開いたままになっている隣の部屋へと音を立てずに近付いた私は壁に背をつけて中を見る。
 中はカーテンが閉め切られていて、暗かった。すっかり明るさに慣れていた目は暗い室内の大枠しかとらえることは出来なかったが、室内に殺気のような肌を突き刺す雰囲気はなく、片手には剣を持ち息を殺して目が慣れるのもまたずに、足を踏み入れた。

 確実に、此処には何かがいる。
 それは僅かな私ではない匂いが教えたが、埃っぽいせいで頼りの匂いがかき消して僅かな息苦しさに咳払いすると、奥の方で「ア、ネ?」と弱弱しい聞きなれた音が響く。この声はカクだ。その瞬間、いてもたってもいられなくて私は剣を片手に音の方向に駆け寄ると、埃を抜けたところにカクが体を倒して壁際に凭れていた。

「カク…!っカク!」

 暗い中顔色はあまり分からなかったが、カクのこんな姿を見たことがなかった私はすっかり動揺をしてしまって、剣を落として座り込んでいるカクの両肩を掴んで声をかけると、「…ぉ、お………」と力ない言葉が返ってくる。
 気付けば暗闇に慣れた目。見ればカクの顔は真っ青で、具合が先ほどよりも悪化しているのはすぐに分かった。

「おおじゃないよ……やっぱり体調が悪いんじゃない!もう帰ろう!」
「いかん……仕事が終わっとらんじゃろう……」
「でも、……っでも、」
「……いつも言っとるはずじゃぞ、わしらに失敗はない。…そうじゃろ」

 失敗は許されないし、そもそも失敗はない。それは合言葉のように言われ続けてきた言葉だ。
 しかし、それを守ったら彼はどうなるのだ。思わず掴んだ肩に力が籠るとカクは青白い顔で私の名前を繰り返す。

「アネッタ」
「……」
「アネ」
「……っ」

 駄目だ、絶対にダメだ。こんなの許されない。
 彼の犠牲の上に成り立つような任務なんてくそくらえだ。


 なのに、私を見つめる彼の瞳がそれを許さない。

「カク、私は―――」

 その時だった、私とカクの間に不思議な生き物が割り込んできたのは。

「ニャムニャムニャムニャム?」

 一瞬、思考が止まってしまったものの、その生き物が妖精だということはすぐに分かった。
 手のひらほどの小さなサイズに、背中から生えた青い蝶々の羽。幼い頃に聞いた事のある妖精の特徴とぴたりと一致している。ただ、妖精の言葉というのは何か私たちでは理解できぬ言語なようで、小さな口から零れた音はニャムニャムと言っているようにしか聞こえなかった。

「妖精…?」

 私が呟くのと同じタイミングで、体を倒していた筈のカクが私の肩を抱き寄せる。フウフウと息を吐き出すカクは、青白い顔で妖精を睨んで警戒を示したが、妖精はそれを不思議そうな顔をしながら私たちの周りをくるくると回ると「ニャムニャムニャム?」と何か尋ねるように語尾を上げた。

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