事の始まりは一本のワインから。ブルーノが店主をしている酒場は今日もガレーラカンパニーの男たちとどこぞの海賊たちで大繁盛。ブルーノ一人では手が回ら無さそうだと思い、とりあえず頼んだ酒をカウンターで受け取って、人の影を縫いながら仲間のいる席へと運んでいると、丁度そのタイミングで近くに座っていた男から声を掛けられた。
「お姉さん。そのお酒おれが頼んだんだけど」
見れば、その男はガレーラカンパニーで見積もりを出せと高圧的な態度で依頼してきた海賊で、海賊は私の顔を見るやいなや「んん?」とずいと鼻を近付けて「なんだ、ガレーラの嬢ちゃんじゃねぇか!」と声を弾ませて手首を掴んだ。
「あ…こんばんは。みなさんこちらで飲んでいらっしゃったんですね。」
何故手首を掴まれたのかは分からないが、じわりと不快感が滲む。しかし曲がりなりにも彼らはガレーラカンパニーの顧客であって、失礼のないように対応をしなければならない。不快さが顔に出ぬようご愛想程度の笑みを携えたのだが、海賊は私の顔を見ながら人差し指の指先で手の甲をすりすりと撫でては、「おぉ、新しい酒場だったから寄ってみたが、客が多くてなぁ……あぁ、そうそう、それで追加の酒を待っていたんだわ。」とにやにやと笑う。
ごつごつとした乾いた指先が手の甲を撫でても全くときめかないのだが、男は指先で手の甲を撫で続け、しまいにはハートマークを描くように指を滑らせる。ああ、お誘いというわけですか。そうですか。
手の甲をなぞる指先は酷く不愉快で、ぞぞぞと鳥肌が立つ感覚を覚えながらも、空いた片手で私の手首を掴む男の手のひらを押せば「ブルーノさんも忙しそうですもんね。…でも、すみません。このお酒は先にわたしたちが頼んだもので」と言いながら、奥の方でどんちゃん騒ぎをしている仲間たちへと視線を向けた。
しかし、それが気に食わなかったのか、海賊は眉間に皺を寄せて不愉快さを前面に出すと、握った手首に力を込めながら「はぁ?何言ってんだ、おれは客だぞ」と凄んだ。
いやはや、おれは客だぞと言われても、それはガレーラカンパニーでのお話であって今は違う。しかしながら、あ、面倒くさい人だ。と思った時には時すでに遅しというもので、海賊は椅子を倒すほどの勢いで立ちあがって私の手首を離したかと思うと、少しよろけて背を向けた私の背中を思い切り蹴飛ばした。
その瞬間、吹き飛んで床と壁に叩きつけられる体。割れる酒瓶。酒場全体に響くほどの物音にどんちゃん騒ぎをしていた男や、忙しくしていたブルーノも気付いたようで、此方に視線を向けては言葉を失って、一瞬あたりがしんと静まり帰った。
「いたた………、ああ、折角頼んだお酒が…」
背中は痛いし、割れたガラスで手は切れるし、酒は染みてアルコール臭いし。まさに踏んだり蹴ったりだと適当に痛がりながらも、近くのテーブルに置かれていた布巾を手に取って四つん這いになってそれを拭いていく。
途中ブルーノやルッチ、カクと目があったが、まだこのウォーターセブンの任務が始まって一カ月も立たない頃だ。ここで目立っては怪しまれてしまう。とりあえず何もしなくて良いとアイコンタクトを送った私は、さっさと拭いてしまおうと健気にも床を拭いていると、どすんと背中への重みを感じて床についた手に力が入る。
「………あの、う。お客さん、一体どういうおつもりで?」
海賊はあろうことか私の背中を汚い靴で踏んづけていた。固い靴底が肉を踏めば擦れたような痛みが走り、どういったつもりなのか静かに問いかけると海賊は「いやぁ、手伝ってやろうと思って」と笑うばかり。
そして、次の瞬間、頭の上がひんやりと冷える。それが酒を頭の上からかけられているのだと分かったのは、手元に出来た水たまりが広がった数秒後のこと。これ以上ない屈辱を受けたものの、この時の私といえば恐ろしいほどに冷めていて、むせ返るような酒の匂いに表情を歪めながらも、かけられた酒の勢いが減った頃合いを見計らって酒の滴る顔を上げると、海賊はヒイヒイと笑いながら私の顔を見下ろした。
「ぎゃはははは!女はやっぱりこうでないとなぁ!」
船長が船長なら、下っ端も下っ端だ。男の言葉に海賊たちは言葉に賛同するように手を叩いて笑っている。相変わらずむせ返るほどの強い酒の匂いは気持ち悪いし、気分は悪いし、さてこれからどうこの状況を抜けようかと思案を巡らせていると、丁度良くこの場に割り込む声が響いた。
「ンマー、それ以上はやめてもらおうか」
アイスバーグさん、と言葉を落とすとアイスバーグさんはこちらを一瞥したかと思うと顔色一つ変えずに視線を海賊へと戻して、「あぁ?誰だテメェは」と機嫌悪く問いかける海賊に向かって「おれか?おれはガレーラカンパニーの代表、アイスバーグだ。」と言葉を返した。
「ハッ、なんだガレーラカンパニーの社長かよ」
「うちの社員を離してもらいたい。」
「あ?」
「○○が何をやったかは分からねぇが、少しやりすぎだろう。」
「あぁ~~?なんだ客にそんなこと言っていいと思ってんのか?こっちはガレーラカンパニーに大金を払う客だぞ」
にやにやと下世話に笑う海賊は、まるで煙草の火を消すように靴でぐりぐりと背中を踏みにじる。
「はぁ、……金さえ払えば何をしても許されると勘違いする馬鹿は多いが、ここまで来ると呆れて物も言えないな。」
「……は?」
「ああ、これはすまない、言っていることが理解できなかったか。ンマー、てめェらに分かりやすく言うと、この契約は無しだ。…そしてこれによりおれとお前たちに関係性はなくなる。…これがどういうことか分かるか?」
アイスバーグさんは静かに言葉を並べたのちに口角を吊り上げて怪しく笑うと、いつの間にか後ろの方に立っていたガレーラカンパニーの男たちが、海賊たちを睨みつけながら拳を手のひらで包み込むと、バキボキと骨を鳴らし距離を縮めた。
騒動後、ようやく落ち着いたわしらは騒動の隅でくったりとしていた〇〇を囲むと、○○の様子を見たパウリーが「おい、大丈夫かこいつ」とわしの腕を肘を打つ。さっきまでは「アイツもアイツでなんで我慢しやがるんだ!」と憤慨していたくせに、叩き起こさないあたり随分と甘っちょろい性格らしい。まあ、普段スカート程度でハレンチだのなんだの言う男が、全身酒まみれでまとわりつく酒の匂いで酔ってしまった女を見て怒れるわけがないか。
「ンマー、大丈夫だとは思うが…カク、たしか〇〇とは幼馴染と言ってたな。すまねぇが、〇〇を送ってやってくれ。」
そんなアイスバーグさんの言葉もあり、〇〇を抱き上げて部屋に戻ったわしはすぐに風呂を沸かしてやったが、「風呂沸いたようじゃな」といっても「ほら早く入るんじゃ」といっても半分寝てしまっているのか〇〇は「んー」と生返事が返すばかり。まぁ酒も飲んでいない彼女が初めて酔っぱらったのだ。本当ならばすぐにでも寝かせてやりたいが、全身ワイン濡れの彼女を寝かせるわけにも放置するわけにもいかずに、酔っ払いの頬を摘まんだ。
「ほれ、〇〇。いい加減起きんか。せめて風呂だけでも入ってくれ」
「はぁー……い。」
かえってきた返答はなんとも頼りのないものではあったが、立ちあがったのでとりあえずリビングで待つかと部屋を出ようとすると、袖が引かれる感覚を受けて足を止めた。
「………カクも一緒に入る?」
「………………なんちゅう馬鹿なことを言っとるんじゃ。」
酔っ払いというのは無敵なようで、頬を緩ませた〇〇が甘えた声で零す。結局、なんとか風呂に入ってもらって着替えたところで力尽きた〇〇をベットに連れて行ったわしは、彼女の抱き枕にされて眠ることになったのだが、当然眠れるはずもなく、翌朝寝起き早々に真っ赤な顔で声にならない叫びをあげる○○を見て、「○○が誘ってきたんじゃからな」と嘘にならない程度の意地悪を返したが、これぐらいしたって許されるはずだ。