セントポプラを出航した船は、いまだ旅の真っ只中。
カーテンの隙間から光がくさびのように差し込んで、部屋の中に朝を運ぶ。開いた金色の瞳は光を受けて煌めいて、クルルルと喉を鳴らした小さな竜は、両手を伸ばし、ぐーっと尻を上げて伸びをしながら欠伸を零す。それから隣で鼾を掻いて眠っているカクを見て、のそのそと近付くと胸の上へと乗る。ただ、手のひらほどの大きさの竜が胸の上に乗ったとて、大した重さにはならず、アネッタは尻尾を右に左にと揺らしたあとぺふぺふと胸を叩いた。
「カークー、おーきーてー」
「ん……んん……」
「今日は朝ごはん当番でしょー」
「…っそ、うじゃった!」
「ぎゃあ!」
勢いよく目覚めたカクが上半身を起こす。だが、彼が上半身を起こせば、胸元に乗っていたアネッタは途端に体勢を崩すことになるわけで、ころころと後ろに転がり落ちたアネッタの悲鳴が響く。ゴトン、とやけに重たく鈍い音に意識が向いたときには後の祭りで、カクは慌てて床へと落ちた彼女に向けて手を伸ばしたが、すっかり機嫌を悪くした彼女の尻尾が差し出した手をべちんと叩いた。
「いたかった!」
「すまんて」
「ウウウ……」
ちいさな竜が鋭い牙を見せて唸る。確かに顔だけ見れば確かに凶悪に見えなくもないが、そんなことをしたって手のひらほどの小さな生き物だ。牙を見せてもさして怖くはないし、纏う岩を逆立てながら咆哮したとしても「ミ゜ャー!」と甲高い。それに顎を摩り、それからそのままの流れで床に転がして腹を撫でれば険しかった顔は緩み、唸りは喉から鳴る音に変わる。
そんな扱いやすい彼女はちょっとした愛玩動物のようで、眠気覚ましに適当に構った後、あっという間に機嫌の良くなった小さな竜──もとい”ちい竜”を手のひらに乗せたカクは、肩へと招いて帽子を被る。部屋を出ると、まだ日が昇り始めた時間帯であるからか物音は無く、遠くの部屋からはジャブラの煩い鼾が響く。肩に乗ったアネッタは「うんうん、ジャブラはきょうも元気だ」なんて呑気なことを言っていたが、あの男が元気じゃない日なんて女にフラれた時ぐらいだろうに。
なんだか呆れて息が落ちるが、とりあえず当番業務を行うためにキッチンのある部屋へと入ると、アネッタが肩からぴょんと飛び降りて、翼を上手に打ち鳴らしてスイと飛んでみせた。
「今日の朝ごはんはなんにしようかなー」
いくつかの食材が置かれた木箱を順に覗き込み、その間にカクが開いた冷蔵庫を覗いたアネッタは翼を細かく打ち鳴らし、ホバリングしながら顎に手をあててウウムなんて悩む素振りを見せる。それを見たカクが「どうします、料理長」なんてうやうやしく言えば、アネッタは一瞬驚いたように目をしぱしぱと瞬かせたが、すぐに人懐っこく笑むと「うむ!きょうの朝ごはんはおにぎりにします!」と威厳を持って宣言をした。
「おお、おにぎりはいいのう。簡単じゃし腹にも溜まる」
「でしょ~、海苔やお米はまだストックがあるしね」
「具は何にする?」
「具はねぇ、ちょっとひと手間かけます」
「ひと手間?」
「ん、まぁでも簡単なものだから安心してよ。…ってわけで、まずはお米を炊きましょう~!」
言いながら、アネッタは壁にかけた緑地に、たくさんの黄色い花が描かれたエプロンを引っ張る。これを着ろということなのだろうが、成人男性が着るには些か女性的でカクは「いや、わしは…」と断りかけたが、目の前のちい竜が明らかにムッと口を噤めば折れるしかあるまい。
結局、彼女にうんと甘い彼はその鮮やかなエプロンを身に纏い、後ろの方で紐を結べば、ちい竜は満足そうに頷いてカクの周りをくるくると飛び回り「似合ってる!」「かっこいい!」と繰り返す。竜とは厳かな生き物だと思っていたが、こうしてにこにこと笑って尻尾をぶんぶんと振っている様子を見るとなんとなく犬のように見える。まぁ、機嫌が良いのならば、それでいいが、さて次は何をすべきか。
聞けばまずは冷蔵庫にある米を出す必要があると言われ、もう一度冷蔵庫を開く。米というのはボウルに入っているものだと言われて指示通りに取り出したが、ボウルには水がたっぷりと入っており、底の方に米が浸されている。それも、米は一粒一粒が水を吸い込んだように白く膨れており、一体これは何をしているのかと尋ねると「お米は乾燥しているから、炊く前にお水に浸しておくんだよ~。浸水させないと芯が残っちゃうからね」と返ってきた。
「それがどうして冷蔵庫に?」
「え?」
「水に浸しておくだけなら、冷蔵庫に入れんでもいいじゃろう」
「あぁ!えーっと、お米ってね、水に浸しておくことで美味しく炊けるんだけど、逆に浸しすぎると味も、それから衛生面も微妙になっちゃうんだよね」
「衛生面については気温を下げてやることで雑菌を防ぐというわけか。……しかし時間については?冷蔵庫にいれても浸す時間は変わらんじゃろうに」
「温度が低ければ低いほど、水の浸透がゆっくりになるから長時間の浸水がOKになるんだよ」
「成程……」
「まぁ、早くに浸水したい場合はぬるま湯にすれば浸水時間を半減できるけど、朝から浸水させるのも面倒なのでこの方法をとってまーす」
「確かに、此方の方が効率的なように思うのう」
「でしょでしょ……あ、ボウルに張った水は抜かずにそのままお鍋に入れちゃってね!」
彼女の指示通りボウルに張った水ごと鍋の中に入れる。それから入れた分の米に合わせて水を入れ、あとは蓋をして火にかけると簡単ではあるが、彼女いわく沸騰するまでは見守る必要があるらしい。アネッタはカクの帽子の上に乗ると、ぼこぼこ、と僅かに聞こえる沸騰音を聞き逃さず「いまだ!火を弱火にして!」といって指示を送ると、カクは「これくらいか?」と言いながら火を弱くする。
「ん、上出来です!あとは十分ほど放置するだけなので、次は具材づくりをしよっか」
「あぁ。……そういえば今日は少しひと手間かけるんじゃったか」
そうして冷蔵庫から取り出したるは、瓶詰にされたマグロのオイル漬けだ。これは柵にしたマグロに塩をつけて水を抜き、塩味をつけてからにんにくや黒コショウを入れたオイルで加熱して火を通し、それを皿にオイルごと瓶詰したものになる。
確かこれはアネッタがブルーノに手伝ってもらって作ったものだと記憶しているが、これが何になるのかは普段料理をしないカクには分からない。よって、カクが蓋をあけながら「これは?」と尋ねると、アネッタはもう一つボウルを持ってきて隣に置きながら「これはねー、自家製ツナ!」と元気いっぱいに答えた。
「……ああ、これはツナか!」
「?なんだと思ったの?」
「いや、瓶詰めされとるから全く分からんかったな…そうか、これがツナか。ということはこれを入れるのか?」
「ううん、だってまだひと手間してないでしょ?」
「わはは…確かにのう。それじゃあどうすればいいんじゃ、料理長」
「まずはね──」
まずは小さなボウルに卵黄をいくつか入れていく。それから塩と酢を入れて全体が馴染むまでよくかき混ぜて、自家製ツナ作りで使用したオイルを少しずつ入れてかき混ぜる。ツナづくりで使用したオイルはにんにくや香辛料の風味がついているため、かき混ぜた末に完成した自家製のマヨネーズはなんだかいつもよりも香り高いように思う。
それから、当然マヨネーズが出来たのであれば、そこには自家製のツナを。しっかりと身を解してやってマヨネーズを絡めたそれはツナマヨに生まれ変わり、試しにそれを味見するとマヨネーズが美味しいからか、それともツナもまた美味しいからか、いいや、どちらもか。兎に角ツナマヨは絶品で、思わずカクは「おお!美味いのう!!」と表情を明るくして言った。
「でしょ~、これをねおにぎりの中に入れても、それからご飯全体にツナマヨを混ぜ込んでツナマヨご飯にしてからおにぎりにしてもおいしいんだ……」
「う……どちらも食べたいのう」
「どっちも作ったらいいんじゃない?食べ比べとか言っとけば、どっちもツナマヨかよ!とか言わないでしょ」
「物は言いようじゃな」
「利口なんだなぁ」
そうこう言っている間に炊けた白米は白く輝いていた。十分から十五分ほど蒸らす必要があるとアネッタがいうと、カクはぐうぐうと腹の虫を響かせながら「早く食べたいのう」「わしゃ今すぐ食べたい」と子供のように言っていたが、なんとかそれを我慢してもらって握ったおにぎりは、これまた絶品であった。
彼らが起きて来る前に、大きなおにぎりと小さなおにぎりが並ぶ。
「いただきます!」
そうしておにぎりを頬張ったあと、二人は顔を見合わせて笑う。
うん、なんだか今日もいい日になりそうだ!