妖精族の事は知っている。
いまだ謎が多く、解き明かされていないことも多い種族だということも。妖精も人間と同じように、良い者がいれば、平気で命を弄ぶような悪戯好きの者がいることも。
いま、肩を抱いてフウフウと息を吐くカクは、おそらく高山病に罹っている。
高山病とは、つまるところ気圧が下がり、空気が薄くなることで酸素が減る高所で、体が順応出来ずに起こる体調不良だ。ただし、高山病の度合は山酔い程度から命に係わるものまで幅広く、歩行困難となっているカクの状態を見るに、中度にも見えるが、それもいまの話だ。段々と体調が悪化していることを考えると、このままでは命を落としかねない。
加えて、彼はウシウシの実を食べた能力者だ。仮に高血圧の生き物であるキリンの要素を引き継いでいるのであれば、高所で血圧が上昇しやすい此処で高山病に罹ったのも頷ける。――し、悪化速度は他の誰よりも早い筈だ。
竜人族と同じように謎多き妖精をいま捕まえれば、きっと政府は喜ぶだろう。しかし、此処で暮らしているのがほかでもない妖精なのであれば、カクを助ける足がかりと手がかりになるだろう。
私は肩を抱くカクの手に己の手を合わせると「妖精さん、私たちを助けてほしいの」と言った。
その言葉に、カクはぎょっとした顔で「アネッタ!」と言う。肩に置かれた手には、僅かに力がこもったような気がしたが、いまはカクの言うことなんて聞いていられないのだ。妖精は青い蝶々の羽をゆらゆらと揺らめかせながら首を傾げて「ニャム?」と語尾を上げる。
まるで、なあに?と問いかけているようだった。
「え、っと」
そうだ。助けるって具体的にはどうするのだ。
具体案がない状態で言えば、そんな反応が返ってくるのは当たり前だ。私はウウンと唸り、カクが横でなんやかんや言っているのを無視しながら頭をフル回転させると、触れていたカクの手が、死人のように冷たいことに気が付いて「えっと、暖かい部屋はないかな」と問いかける。
いや、暖かい部屋ってなんだよ。あるわけがないじゃないか。
そう思ったけれど、頭の悪い私にはこうとしか言えなかったのだ。問いを受けた妖精は少しばかり困ったように「ニャム…」と言っていたが、すぐに何か思い浮んだのだろう。羽をゆらゆらと揺らすと「ニャムー!!」と声を上げてその場から離れたかと思うと、壁の前に立ってここだよ!と言わんばかりに指をさす。相変わらず、妖精が何を言いたいのかは分からないが、多分、あそこに何かがあるのだろう。
それこそ隠し部屋とか。
私は、彼女に誘われるがまま、立ち上がろうと足に力を込めると、肩を抱いたカクの手に力がこもったことに気付いて、彼を見る。カクは眉間に皺を寄せたままで、私に向けて「行くな」と言葉を落とした。
「……行くよ」
「行くなと言うとるのが分からんのか」
「……カクこそ、行くって言ってるのが分からない?ほら、妖精さんが待ってるよ」
「~~~ッ、ッわしよりも、そんな正体の分からん妖精の言うことを聞くと言うのか?!」
「私は、カクが死なずに済むのなら私は妖精だろうがなんだろうが縋るよ。……ほら、カクも行くよ」
そこまで言うと、カクは露骨に口ごもる。
自分のせいでいまこうなっているからだと分かっているからだ。
そうして、起き上がれそうにないカクを、半ば強引におんぶという形で抱えた私は、妖精が示す壁の前に立つ。だが、壁は、どうみても壁だ。おぶったカクの膝裏を押さえていた手を片手だけ離して触れてみても、とくに感想が変わることはなく、困った私は妖精へと視線を向けたが、妖精は指をさしたまま。
「うーん……此処に隠し部屋があるってことかなぁ」
「隠し部屋?」
カクが尋ねる。
「ああ、そうそう。このお城は左右に6部屋ずつあるんだけど、一階の右通路だけが五部屋だったからおかしいと思ってたんだよね。」
「初耳じゃのう」
「言おうと思ったらカクが倒れてたってわけ」
「成程……じゃあこの先には何かが隠されておるということか」
「そ。……まぁ、何があるかは見てからのお楽しみよねぇ」
鬼が出るか、蛇が出るか。
分からないけれど、彼が助かるのであれば最早何だって良かった。
「……、……のう、アネッタ」
「ん?」
「本当に不味い状況になればお前だけでも…」
「カク」
「……」
「何度言われたって、私はカクを置いて逃げることはないよ。だから、逃げてほしいんだったら自分で止めてよね」
「……本当に言うことを聞かん女じゃな、お前は」
そう愚痴をこぼすように呟くカクの言葉を耳にしながらも、壁を探るよう手のひらを滑らせていた私は、不意に壁紙の継ぎ目に気付いて手を止める。
いま気付いた壁紙の位置は壁の中心部にある。別に壁紙の継ぎ目は必ずしも壁の端っこに来なければならないという決まりはないが、継ぎ目は下から不自然に扉の大枠を模ったような形をしており、試しに継ぎ目辺りを拳で叩くとそこだけが他と比べて軽い音が響かせていた。
「……なるほど、此処みたいね」
音が軽いということはこの先が空洞であるということだ。取っ手やスイッチらしきものは見当たらず、足元に敷かれた絨毯を足先でちょいと剥がすと、隠し扉と見られる壁の前にかまぼこ型になった擦り傷があることに気付いた。扉の前にかまぼこ型の跡があるのは目の前の壁が扉で、開閉、もしくは回転させることで出来た傷と考えるのが妥当だろう。
「……よし、行くよ」
「ああ」
「ニャムー!」
私は小さく息を飲むと、壁に宛てた手のひらに力を込める。
壁はとてもじゃないが重く、女の力では到底びくともしなかった。――が、それは人間の話。幸か不幸か、いいや、幸いなことに私は力持ちの竜人族だ。ぐ、と力を込めると私の仮説が当たったように壁が奥へと沈み回転扉の要領で壁の一部が動いて、私たちは奥へと招かれるのだった。
隠し扉を抜けた先には、絵画が飾られた表の廊下とは違い、無骨な石壁がむき出しとなった通路があった。その通路は大した距離もなく、突き当りにある扉を開くと、暖かい空気が体を包む。その部屋は、今までに見たしんと静まり返ったような部屋とは違う、生きた部屋だった。
何故そう思ったのかは分からない。部屋が暖かいからだろうか。それとも、部屋の奥にある暖炉がぱちぱちと音を立てながら火を焚いていたからだろうか。それとも、小さな赤子に使うような玩具やぬいぐるみが、部屋の中央に落ちていたからなのか。
まるで、つい先ほどまで誰かがいたような空間に息を飲む。書斎のような部屋へと足を進めながら、ここまでついてきてくれた妖精に向けて「此処には誰かいるの?」と尋ねる。しかし妖精は、途端に悲しそうな顔を浮かべて「ニャムニャムニャム…」と何かを語りかけながら首を左右に振るだけであった。
「誰もいないならどうして火が……」
ひとまずはおぶったカクを暖炉の前に下ろしてやると、カクも変な顔をしていた。どうしてこんなところに暖炉があって、ちゃんと暖かいのだと、そんなことを言いたげな顔であった。
「本当に暖かい部屋があるとは思わなかったなぁ……」
「……妙なからくりを見た気分じゃのう」
「どういう原理なんだろう」
「……さあのう」
「……どう?少しはあったかくなった?」
「ん」
「そう、それは良かった」
悪戯に彼の頬を撫でる。暖炉の火を前にした彼の頬は先ほどよりも暖かく、心なしか彼の血色も良くなっているように思えた。
「妖精さん」
「ニャム?」
「ありがとう、お陰で寒くなくなったよ」
「ニャムー!」
「ついでに聞きたいんだけど、此処には……このお城には誰もいないんだよね」
「ニャムニャム…」
「そっかぁ……有難う、妖精さん」
妖精は相変わらず青い蝶々の羽を揺らしていたが、私が妖精の言葉を理解していないと分かったのか、ジェスチャーを大きくして反応を返してくれる。
彼女はどうして初対面の私に良くしてくれるのだろう。
少し疑問に思ったけれど、先で言ったとおり妖精も人間と同じように、良い者がいれば、悪い者がいる。だから、もしかすると、彼女はとびきり良い妖精なのかもしれない。まぁ、最後の最後に心臓を寄越せととんでもないことを言ってくるかもしれないが、彼が助かるのであれば、私は。
「よし、ささっと探して帰ろう!」
「ニャムー!」
「あははっ妖精さんも探してくれるの?」
「ニャム!ニャムー!」
「ム……わしも探す」
「え?カクはだめだよ」
「ニャーム」
「んぐ……!」
「この部屋を探すのくらい私一人で…じゃなかった妖精さんと二人で出来るしさ、帰るときのために休んでてよ。此処は暖かいだけで酸素が増えたってわけでもないだろうし。……それよりもどんな情報があったら帰れそう?」
「……そうじゃのう……ルッチからは城内の詳細が分かるもの、あとは持ち主が分かれば良いと言われておる」
「なるほど、一番良いのはこの城の権利書と城内地図ってことね。一応ざっくりとした間取りはあるから良いとして、……ひとまず持ち主のものでも探しますか」
そもそも、誰も来られないと言っているような城に権利書なんてものがあるようには思えないが、この城の持ち主が几帳面な性格であれば、権利書を作ってどこかにしまっているかもしれない。例えばそう、部屋の端にある書斎机の引き出しとか。
というわけで、権利書は無かったが詳細な城内地図と、持ち主が書いたであろう日記を見つけた私は、それらが入ったリュックをカクに預けてエントランスホールへと戻る。背におぶったカクは多少体温が上がったようだが、休んだ程度で体調が良くなるなんてご都合展開は起きずにぐったりとしたまま。これから下山するにあたって、彼は私の背中にしがみついたままでいられるのかと少し心配には思ったが、こればかりは耐えてもらうしか方法はない。
さて、彼の状況が悪化する前に帰ろうか。
此処まで助けてくれた妖精にお別れを伝えようとしたとき、くい、と妖精が袖を引いて私を見つめた。
「ニャムッム」
そういえばこの妖精は、結局どの立場にいるのだろう。この城を守る者なのか。それとも単なる来訪者か。相変わらず彼女が何と言っているのかは分からなかったが、別れの挨拶を察したのか、向けられた眼差しにツキリと胸が痛くなる。
「妖精さん……」
「ニャム……」
私が手を差し出すと、妖精は小さな体で指先を抱きしめて頬を寄せる。
ああ、そうか、彼女は行ってほしくないのだ。
なんだかその気持ちが分かるような気がして、私ははあっと白く凍り付く息を吐き出すとエントランスホールの頭上にある淡青色の巨大シャンデリアを見上げた。
此処は絶え間なくホワイトアウトの続く雪山、スノウデスマウンテンの頂上にある、辿り着く事の出来ない城、アルカナ城。もしも此処が、もしも此処が本当に竜人族の住処で、ひっそりと生きてきた居場所だとするならば。
「……ねぇカク、生きてる?」
私は背におぶったカクに向けて尋ねる。
「おぉ……なんとかのう」
「……あの、さ」
「……どうした」
「……ここだったらさ、世界政府も追ってこれないよ」
「うん?」
「体調云々は置いといてさ。…ここだったら、私とカクで……その、戦うこともないし、離れずにずうっと一緒にいれるよ。……帰らなきゃいけないのは分かってる。もしもの話をしたって仕方がないってことも分かってる。でも、もしも……もしも体調のことがなかったら、カクは……、……カクは帰った?」
唐突な私の問いかけは子供じみたまとまりのない言葉だったと思う。
帰らないとカクは命を落としてしまう。
けれど、この山を下りたら、わたしはまた身分を隠し、監視をされた生活に戻ってしまう。
間違いなくいま優先すべきことはカクだとは理解しているが、その中でもどうしても捨てきれぬ思いが、妖精の眼差しによって引っ張られるように溢れてくる。
暫くして、カクが静かに問いかける。
「……お前は此処に居たいのか?」
その問いかけは、怒りが孕むわけでもなく、寄り添ったような、穏やかな声色であった。
「……どうだろ。……でも、誰の目もなく一緒に居れるのは魅力的だと思う」
「……」
「……それにっカクだって、わたしのこと近くに置いておきたいって言ってたでしょ?それなら、政府は此処まで追ってはこれない。だからこのまま帰らなければ…私とカクはきっとどこかで死んだことになって、忘れ去られると思うの」
「………そうじゃのう。……昔だったら誰からも触れられんように閉じ込めておったかもしれん。……が、もうお前はわしのものじゃろう。今更此処に閉じ込める必要なんてなかろう」
「……う、ん」
「お前に苦労させるかもしれんがな……それでも此処は、いまを生きるにはちと寂しすぎる」
カクは背中越しに言いつつ、息を落とす。
言っている意味はあまり理解できなかったけれど、なんとなく彼は目先の話ではなく、長い将来を見た上での話をしているようで、「動けるうちは、もっと色々なもの見た方が良いじゃろう」とそう言葉を続けるようにいった。
「そっ、か、……ごめん、変なことを言って」
「うん?あぁ、別に気にしとらんわい」
「…それじゃあ帰ろうか」
「……あぁ、そうじゃ……またあれを帰るのか……」
「んはは、やっぱり残る?」
「…残りたくなってきたのう。」
「あははっ、帰ると決めたんなら頑張って帰りましょ。それでさ、下山したらルッチには何か奢ってもらわないと」
「そうじゃのう。」
そういって私たちは、妖精さんに最後の挨拶を交わして城を出た。
外は相変わらずの白一色で、びゅうっと冷たい風が頬を撫でたけれど、心の内にあった不安感は消えていたように思う。
そういえば、別れ際、妖精さんは「ニャムニャムニャムニャム、ニャムニャム」とひと際長い言葉を発していた。なんとなく、またおいでと言ってくれているような気がして、そのことをカクに言うと、彼は少しばかり複雑そうな顔をして「……所説あるが、妖精には竜も含まれるという説もある。じゃから、あの妖精はお前に対して親戚のような、身内のような、そんな親近感を抱いたのかもしれんのう」と機嫌悪く呟いた。