暗い室内の片隅で、ぼんやりとした灯りが灯っている。キャンドルホルダーに立てた白い蝋燭の先にある小さな灯火は、ほんのわずかな空間だけを照らす。水を張った桶の底にあるタオルを持ち上げて、余分な水分を落とすように絞る。ぱちゃぱちゃと水が落ちて跳ねる音が静かな空間に響き、蝋燭の光を受けた水はきらきらと反射している。そうして水が垂れなくなる程度に絞ったタオルを開いて、もう一度程よいサイズ感に折りたたんだそれをベッドで眠る彼の額に置くと、小さな呻きが落ちると共に瞼が開いた。
「……ア、ネ……?」
喘鳴に混じる、掠れた声。普段よりも虚ろな瞳は暫く真上を彷徨っていたが、私の姿を捉えると僅かに和らいだように見える。時刻は明け方午前五時。起きるには少しばかり早い時間だ。彼が高熱であるのならば余計に。
頭をずらしたことで僅かにずり落ちたタオルを戻して、最後に頬に触れる。熱に魘される彼の頬は風呂上りのように火照っており、いまだ熱が下がっていない事がよく分かる。
「ごめんね、起こしちゃった?……まだ五時だし、熱も下がってないみたいだからまだ寝てた方がいいよ」
「いや……、……ああ、いや、そうする」
何か言いかけたようだったが、彼としても、体が言うことを聞かないのかもしれない。いやに素直な彼はふう、と小さく息を吐き出したあとに、続けるように呟いた。
ただ、言葉に反して、彼の瞼は閉じなかった。じいと視線を此方に向けたまま、何か言いたそうにしているので、なあにと問いかける代わりに首を傾げて見せる。それから暫くの間、言葉は返ってこなかったが、布団からぬうと現れた大きな手のひらが私の袖口を引き、手首を捕らえると、掠れた声が私の名前を囁いた。
「うん?」
「……我儘を言ってもいいじゃろうか」
そう呟く彼の言葉は、どこか弱々しい。
「なあに」
「……今日は休みじゃろ」
「そうねぇ」
「なら、……今日はわしと居ってほしい」
「……、…ん、ふふ……可愛い事言っちゃって」
「……いかんか」
「いいえ、答えは勿論イエスだもの」
言いながら彼の手を取って、王子様よろしく手の甲へと口付けを贈る。それは遊びじみた行為だったけれど、彼にとっては安堵に変わるものだったらしい。ふにゃと普段よりも緩く、蕩けるように笑んだカクは、どこか穏やかに、そして嬉しそうに「そうか」と零す。それがなんだか可愛らしく思えて、二十歳もとうに越えた男に言って良いものかと思ったが「なんか可愛いね」と言うと、カクは少しだけ拗ねたようなそんな表情を向ける。それから、いまだ握ったままだった手を握り返したかと思うと、病人かと疑いを向けたくなるほどの力で私をベッドへと引き込んで、長い足を絡めた。
「可愛くないわい」
私の胸元に額をぐりぐりと押しあてながら零す言葉は、存外くぐもっていた。ただ、その言動も十分可愛らしく、その証拠に胸がきゅんと弾んだけれど、今日の彼はちょっぴり面倒くさい甘えん坊なので、内緒にしといたほうが良いかもしれない。
彼の体がじんわりと暖かい。普段体温の低い私にとってはそれが妙に心地よくて、私もまた彼の頭を撫でながら瞼を閉じると、いつしか眠りに落ちていた。ゆらりと揺らめく蝋燭が、終わりを告げてふっと消える。辺りはまた暗闇に。その中で、すうすうと、すうすうと二つの寝息は暫く続いていた。