しとしとと。雨が降り止まぬ梅雨時期に入った頃、緩い天然ウェーブがかかった私の髪は、連日の雨がもたらした湿気により大きく広がっていた。増えるわかめじゃあるまいし、毛量が二倍近く増えたようにも見える爆発具合ときたら、もはや芸術作品だ。だから、いまの自分の髪がいかに可笑しいかなんてわかりきっている。なのにジャブラといえば「ぎゃーっはっはっは!おめェなんだその頭は!」と破れるように大笑いするではないか。
「し、仕方ないでしょ、雨の湿気でこうなるの!!」
「雨の、雨の湿気でそうなんのか…ッ!ひ…っ、カリファとは大違いだなァ!」
「カ……ッ?!カリファと比べるのは卑怯よ!」
ジャブラとしては、比較するのに丁度良い同性を出しただけなのだろうが、そもそもカリファとは髪質以前に顔や身体の造形美まで全然違うではないか。髪以前に太刀打ちできないレベルの人物を挙げられてもと思ったが、言い返したところで、この男には到底理解出来ないらしい。ヒイヒイと腹を押さえながら笑い転げるばかりで話にならない。
私よりも、うんと年上の癖になんて男だ。
そんなんだから、給仕のギャサリンにフラれるんだぞ。
ジタバタと床で背泳ぎでもするように笑い転げるジャブラを前に、苛立ちが腹の中でぐつぐつと煮えかえる。いっそのこと叩き切ってしまおうかと、腰に下げた新調したばかりの刀柄に手を伸ばして柄を握ると、刀を抜く前に大きな手のひらが覆い被さって、チン、と鯉口と鞘がぶつかって金属音が響いた。
「こら、此処で刀を抜く奴がおるか」
抜刀を防ぐ手のひらはやけに健康的な色をしていた。
辿るようにして視線を上げると、其処には幼馴染のカクが立っていて、此方を見下ろす眼差しはどこか呆れている。
「カク……」
「なんじゃ、またジャブラに何か言われたのか?」
「ジャブラが私の髪を馬鹿にしてきた……」
「髪?」
カクからしたら雨の日に髪が爆発することも、ジャブラと言い合うこともいつもの事なのだろう。私がカクカクシカジカと事情を話しても呆れ度合いが大きくなるだけで、抜刀許可が下りることはなかった。代わりに抜刀を防ぐために添えられた手のひらが、怒りを鎮めるよう私の手をすりすりと撫でる。
カクの手のひらは暖かい。カクからの対応なんてそれだけだったのに、不思議とぐらぐらと煮え切っていた怒りも静まって、小さく息を落とした。
「カクも……」
「うん?」
「カクも、私の髪……変だって思う?」
私はカクを見上げて問いかける。
大切な幼馴染も、ジャブラと同じようなことを思っていたらどうしようと、そう思ったのだ。
「……馬っ鹿じゃのう」
「え?」
「アネッタの髪が変じゃと思っとらんし、そもそも二十年近く一緒にいてお前の髪が変だと言った事は無い筈じゃぞ?」
違うか?とカク。
確かに、思い返してみれば、カクだけは私の髪を馬鹿にすることはなかった。
この髪を伸ばすことに決めた時だって、カクだけはいいんじゃないかと言ってくれたっけ。
「カク、あのね……私、髪伸ばそうと思うんだけど…」
まだグアンハオで劣等生とレッテルが貼られていた頃。当時の髪型は、アシンメトリー気味に右サイドだけは肩につく程度に髪を伸ばしていたのだが、ほかは耳と同じ高さで切り揃えていたこともあり、よくそこいらの男子候補生と同じ括りにされて男の子?なんて言われていた。だから私も、カリファや任務先で出会った女性のように綺麗に髪を伸ばすことに憧れていた。そうすれば、少しは女の子らしくなれるかな。なんて、そう思ったのだ。
「髪?……これくらいか?」
カクはサイドだけを伸ばした髪を掬うと、これに合わせるのかと問いかける。
「ううん、もっともっと長くするつもり」
「ほう……なんでまた?」
「え?あ、ええと、……お、女の子みたいに……その」
「……?わしゃアネッタのことを女と思っとるが……、…まぁ、でもそうじゃな、アネッタは長くても似合うんじゃないか」
いま思うと、あの時のカクはどうして髪を伸ばしたいのかということを理解していなかったように思う。でも、事情が分からずともカクだけは否定も無く、小さく笑ってくれた。
ふと、そんなことを思いだしたものだから、妙にくすぐったくなってしまって、「……そ、そう……」と視線を落としたのだが、二十年来の幼馴染を前に誤魔化しは効かないらしい。手に添えられていたカクの手が離れたかと思うと、あの時のように下ろした髪を掬いとる。それから、くるくると指先に絡めて・離しての動作を繰り返したカクは目元を和らげて「頑張って伸ばした髪じゃろう。」そう呟いて、それから言葉を続けるようにして「このもふもふだって、犬みたいじゃと思っとるぞ」と笑った。
その瞬間、ほんの一瞬だけ時が止まる。
「い……ぬ……?」
予想外な評価に絞り出した言葉は、なんとも情けないものだったように思う。
そしてそれを打ち破るように後ろで笑い転げていたジャブラが、第二波到来とばかりに「ぎゃーはっはっは!カクゥ!お前最高だなァ!!!」と笑い声を響かせて、カクがびくりと肩を揺らす。ジャブラがどうして笑うのか、分かっていないみたいだ。
「な、なんじゃジャブラの奴…」
「……」
「……うん?どうした急に静かになって」
「……カク」
「なんじゃ?」
「……いま、すごーく遠回しにけなしてる?」
「けな…っ?!なんでそうなるんじゃ!褒めとるじゃろう!」
「どこがよ!い、犬って……!」
「犬は褒め言葉じゃ!」
「聞いたことないが?!カクだってふわふわ髪だった時にわぁ~犬みた~いって言われたら嬉しいわけ?!」
「いや、わしは嬉しくないが」
「な、ぁ?!」
そりゃあ、いま私の髪は増えるわかめみたいに爆発しているし、少なからず、こんな状況で色気はないと思う。だが、それにしたって犬だなんてあんまりじゃないか。
よりにもよって、髪のことを肯定し続けてくれていたカクの評価がそれだと思うと、なんだか無性に悲しくなってしまって、じわじわと目頭が熱くなる。きっと、涙が溢れるまではそう時間はかからなかったと思う。
「……、……カクの馬鹿」
そう呟くと同時に、カクの目が大きく見開く。カクからすれば、私が突然泣き始めたとでも思ったのだろう。普段は私相手に狼狽えることなんてないくせに、目の前にいるカクは分かりやすく動揺を見せた。
「ど、え、な、なぜ泣くんじゃ…」
「…っ、ぅ…だって、…っカクも、ジャブラみたいに…馬鹿にするから……」
「な…っ馬鹿になぞしておらん!」
「馬鹿にした!」
「しておらん!」
「だって犬みたいって言ったじゃないっ!」
「っだから!犬みたいに可愛いじゃろうが!!」
啖呵切ったような声が真実を語り、そこで私たちの言葉が途切れる。
てっきり聞き間違えかと思ったのだ。
なんせカクは私相手にあまり可愛いと言ったりはしない。可愛い?と聞けば、おぉ可愛いぞとは言ってはくれるけれど、それも私から言葉を強請ったからの結果だ。だから今まで自発的に向けられなかった言葉が急に向けられたという事実がどうにも信じられず「え?」と聞き返すと、カクも我に返ったらしい。
口をへの字にきゅっと結びながら帽子のツバを下げて「だ、…だから、その……犬みたいで可愛いと……思っとる……」と普段よりもずっと歯切れ悪く言葉を紡いだ。
「………本当?」
ちらりと見上げた彼の耳は、疑いようもないくらいに真っ赤に染まっていた。それがとても嬉しくて、もう一度言葉を強請るように問いかけたが、カクは私の視線から逃れるように顔を反らすと、「物分かりが悪い奴め」と小さく悪態をつくのだった。
その後、あれだけ笑い転がっていたジャブラが、興ざめしたように「はーあ、アホくせ。」と呟いたのは言うまでもない。