家庭科部の部長

 政府が管理・運営している養護施設では一定の年齢と条件に達すると任務が始まる。そのため土日祝日は身体を開けておく必要があり、養護施設で暮らす子供たちは全員が帰宅部という状況であった。

 ただ、だからといって部活動に興味がないわけではない。みんながホームルームを終えて楽しそうに部活動に向かう姿を見ると、どうしても羨ましく思うし、自分も部活動に入れたらと思う。まぁ、かといって何部に入りたいかと言われても即答出来ないあたり、結局のところ隣の芝生は青く見えるというだけなのかもしれないが。

 とある日の放課後。玄関へと続く廊下を歩いていると、どこからかふんわりと甘い匂いが鼻を掠めて、足を止めた。

「わあ……美味しい匂い……」

 足を止めた先は家庭科室であった。放課後であることを考えると、部活動で使用しているのだろうか。そういえば、この学校には家庭科部という裁縫と調理を行う部活があると入学時の部活動紹介で説明を受けた気がするけれど、確か部長は恰幅の良いお兄さんだった気がする。

 なんとなく昭和のヤンキーじみた見た目から、名ばかりの幽霊部なのでは、なんて噂をされていたけれど、しっかりと活動をしているあたり、幽霊部ではないらしい。

 あのお兄さんも作っているんだろうか。

 なんとなく気になって、それから匂いにもつられて、少しだけ開いた扉へと足を進めて覗き込んで「ん~……なんだろこの匂い……クッキーかな……」そう呟いた瞬間、「林檎のコンポートを使ったパウンドケーキだな」というアンサーが返ってきて、私は驚きのあまりにその場でぴょんと飛び跳ねた。

「わあ?!」
「おっと、悪いな驚かせて」

 背後に立っていたらしい男は、からからと軽い調子で笑う。
 見た限り、身長は幼馴染のカクと同じぐらいだろうか。百九十センチ程の大きなその人は、髪を緩くリーゼントっぽく後ろに流しており、一言で言えば恰幅が良い。それに身に着けた黄色のエプロン姿はなんだかよく目立つ。

「え、あ、いえっ、あ、あの覗いてしまってすみません!」

 一方で、恰幅の良いリーゼント男子というのは多少威圧感がある。思わず手に持っていた鞄を抱きしめて、いましがたの愚行を詫びるよう頭を下げたが、周りからしたら女生徒を虐めているように見えたらしい。たまたま通りかかった男子生徒がリーゼント男子の背中を叩くと「サッチ、なに女子をビビらせてんだ?」と声を掛けた。

「お、エース…って、え?!ビビらせてたか?!」
「いや、どうみても女子をカツアゲしてるようにしか見えねーよ……、で、お前サボと同じクラスのアネッタじゃねえか」
「え?……あ、……エースくん……」

 見れば、隣のクラスのエースくんが立っていた。彼とは直接話したことはないが、確かサボくんと、あとは弟と一緒に暮らしているとサボくんから聞いた事がある。私はエースくんの顔を見て、さりげなく、そりゃあもうさりげなく後ろへと隠れると、リーゼント男子は「ありゃ」なんて言いながら私を見た後、もう一度エース君を見て「お前ら友達か?」と尋ねた。

「いや、友達っつうか……いや、まぁ友達か」

 エースくんの視線を受け、こくこくと頷く。リーゼント男子ことサッチと呼ばれた男子はその回答に納得したような、してないような、ふうんと鼻を鳴らしたあと、右手で私の肩を、左手でエースくんの肩をぽんと叩くと「じゃあ、見学してけよ。丁度パウンドケーキが出来たからおれっちがご馳走するぜ」と愛嬌よく片目をばちんと閉じた。


 そうして、気付けば目の前には林檎のコンポートを使ったらしいパウンドケーキが置かれていた。それもパウンドケーキの隣にはもったりとした生クリームが添えられており、なんというかスイーツ店のものと引けを取らない見目をしている。

 ただ、こんなに美しい見た目だからこそ、部活に入る気もないのに頂くのは申し訳なく、「どーぞ」と目の前にフォークを置くリーゼント男子──ことサッチさんに「え、あ、あの…頂けないです…!私、その、家庭の事情で部活に入れないですし」と言うと、サッチさんはしぱしぱと目を瞬かせたあと、「あっち見てみ」と言って隣に視線を向けた。

 彼の視線を追って隣を見ると、エースくんがもりもりとパウンドケーキを食べていた。「おお、うめぇなこれ」なんて言いながらパウンドケーキを食べる様は、なんというか食いっぷりが良く、なんだかそれを見ていると、無意識にこくりと唾を飲み込んでしまった。

「あいつもな、家庭科部に入る気なんかないんだ。アイツも家庭の事情が複雑だからな」
「……」
「ま、今回は単におれがご馳走したかったってだけだし、…あ、じゃあ味の感想とか聞かせてくれたら嬉しいんだけど、どうだ?」
「……いいん、ですか?」
「勿論」
「い、いただきます……!」

 正直のところ、食べたくないかと言われたら嘘になる。なんせパウンドケーキだなんて、養護施設にいたら中々食べられない代物だ。それにもったりとした生クリームだって豪華ではないか。

 私は手を合わせたあと、一口に切ったそれを頬張ると、口の中で広がるパウンドケーキの柔らかい甘味と、林檎のコンポートの僅かな甘酸っぱさに思わず頬を緩ませた。

「ん……んん!美味……っしい…!」

 次はパウンドケーキに生クリームを絡めて食べる。もったりと重めに見えていた生クリームはキメも細かくふわふわで、それでいて柔らかい甘さになっている。当然それとパウンドケーキの相性が悪い筈もなく、「んん……んふふ……美味しい……美味しすぎる……!」と一人で感動をしていると、隣に座って見ていたサッチさんが肩を揺らして笑った。

「ははっ!いーい反応だなぁ、いやぁ食わせた甲斐があったってもんだ」
「てっきり林檎のコンポートと生クリームで甘さが強いのかな?と思ったんですけど、くどさもなくて、丁度いい甘さですねぇ……あー……美味しい……それに林檎がごろごろしてる感じもすごく美味しいです!」
「だろだろ、この丁度いい甘さが難しいのなんのって…って、はは、感想もありがとうな。野郎に聞いてもここまでの感想は出ねえから助かるよ。なぁ、エース?」
「んだよ、おれだって毎回美味いっていってんだろ」
「お前は美味いしかバリエーションがないって話だ」
「素人にゃグルメレポートは無理なんだよ」

 そこまで聞いて、サッチさんは「な?」とどこか呆れたような、でも慣れたような顔をして笑う。けれど、それがあんまりにも穏やかだったから、「サッチさんは、誰かに食べてもらうのが好きなんですねぇ」と零すと、彼ははきょとんと眼を丸くしたあと、ふはっと息を吐き出すようにして笑った。

「ははっ、そうか、そう見えるか。…そうだな、おれは誰かに食べてもらうことが喜びなんだろうな。……だからキミみたいな可愛い子に食べてもらえて、しかも感想まで貰えてうれしいってわけ」

 言いながら、サッチさんはこちらに手を伸ばす、どうやら生クリームでもついていたようで、それを指で掬うと自分の口元へと向けてぺろりと食べる。なんだか漫画のような、そのキザな一面に、途端に耳が熱くなって、次いで出たのは「あ、はは、へ、へへ」なんて、誤魔化しにもならない良く分からない笑い声だった。

 ああ、なんだか恥ずかしいぞ?

 なぜか分からないけれど、兎に角恥ずかしくって、わたしは彼の目を見ることも出来ず、目を伏せながら、いまある気恥ずかしさを誤魔化すように、もう一口、もう一口とパウンドケーキを口へと運んだ。


 帰る間際、袖を引かれて足を止めた。不思議に思い振り返ると、そこに立っていたのはサッチさんで、彼は「アネッタちゃん、これ」と言うと、此方の返事も待たずに今回のレシピが書かれた紙を持たせてくれた。

「さっき話の中で、家ではお菓子作りをするって教えてくれただろ?多分このレシピがあれば家でも作れると思うから」

 なんて、優しい言葉つきで。

「あ……」
「いやぁ…流石に余計なお世話かと思ったんだけど、アネッタちゃんすげー美味い美味いって褒めてくれたからさ。あぁ、まぁ、いらなかったら捨ててもいいから」

 そういって、サッチさんは白い歯を見せて笑う。
 その時、あ、この人は絶対にいい人だ。そう直感的に思ったけれど、かといって、いいや、だからこそ今すぐ家庭科部に入ります!なんて無責任なことは言えず、私はその紙をきゅっと握りしめると、「ありがとうございます!」と言って、深々と、少しでもこの感謝や喜びが伝われば良いと頭を下げた。