此処は、サウザンドサニー号の後方部にある、赤と黄色の縞模様が目立つドーム型の一室。三分の一を脱衣所などのスペースに、残りは浴室にした其処は誰かがお風呂に入ったあとなのか、なんだか石鹸のいい香りがする。
麦わら海賊団にご厄介になって数日。そして、目覚めて数時間。二日ぶりだか三日ぶりに目覚めたアネッタは、彼らのご厚意に甘えて、風呂に入ることになった。「傷が塞がったばかりなんだから、無理をして逃げ出そうとしちゃ駄目だからな!」小さな船医から釘を刺されたこともあり、大人しく首にしたネクタイを緩めると、そこでようやく緊張の糸が緩んだように息を落ちた。なんせ此処は、敵の本拠地だ。一度は彼らの命を奪った身であることを考えると、全員の敵意が此方に向いてもおかしくない状況で、頭を抱える気持ちで片方だけのピアスを外してみたものの、不思議と命の危機は感じない。
突然、扉がガチャリと音を立てて開いたとしても。
「……手伝うわ」
顔を覗かせたのは、この船の航海士ナミだ。確か年齢は私よりも五つ下。情報によると彼女はエニエスロビーでカリファと対峙して鍵を勝ち取った女だと記憶している。ただ、それほどまでに実力があるというのに、扉の後ろに隠れて此方を睨むのだから警戒心が強く、小心者なのかもしれない。アネッタは静かに頭を回転させながらニコリと愛想よく笑って「ありがとう、でも大丈夫よ。普通に動けるから」と返して元気ですよーってアピールで肩に手を当てて腕を回して見せる。
そう、別に手伝うほどの怪我ではない。確かに腹は痛むし、熱を持っている。しかし手足は自由に動けるし、何よりこの程度の怪我は慣れている。だから特に気を使ってもらう必要はないと思っての回答だったのだが、ナミは言葉を詰まらせるだけで出ていかない。
そうして五秒ほどの間が空いたのち、ナミはそろりと中へと足を踏み入れたかと思うと、扉を閉めた。
「怪我人を一人に出来ないでしょ。……チョッパーからも言われたの、アンタが無理をして逃げ出すかもしれないから見張ってほしいって」
「………、……そう」
「……なによ」
じとりと此方を睨むナミ。なんというか、まるで毛を逆立てた子猫だ。なんだかそれが妙に可愛らしくて肩を揺らして笑うと、ナミの顔がカッと熱を帯びて赤くなった。何か言いたそうなところをアネッタはこほんと咳ばらいを一つ返すことで遮ると、「ごめんね、ナミちゃん優しいなって思って。じゃあ私が無理しないように見張っててほしいんだけど」という提案と共に、いいかな、と視線を向けた。それはただ見張りとして眺めるのではなく、一緒に入ろうというお誘いだ。
警戒を和らげるのであれば彼女の懐に入り込む方が彼女にとっても、そして己にとっても良い筈だ――と其処まで考えて、アネッタは頭の回転を緩めた。わざわざ懐に入るよう仕向けるなんて、命の恩人にすべき事かと、僅かな罪悪感が思考を鈍らせたのだ。アネッタはすぐさま訂正するように口を開いたが、言葉は落ちない。なんせナミは此方に答えを返すこともなく衣類を脱ぎ始めていた。
それを見たアネッタは驚くようにしぱしぱと目を瞬かせる。多分、誰からみても本当に?いいの?そんなことを言いたげな顔をしていたと思う。
「なによ、アンタが言ったんでしょ」
「そ、そうだけど……」
「だから一緒に入るのよ、いい?私は無理をしないよう見張るんだからね」
「え、あ、うん……あの、……私が怖くないの?」
その言葉は、CP9としての探りではない、純粋な質問だったように思う。
だってそうだろう。そもそも、彼女だけじゃなく、この麦わら海賊団の命を狙った者と風呂に入ると言うのだ。それも人が一番無防備になる風呂で、指銃や嵐脚といった全身を武器として扱うことの出来る者と。考えれば考えるほど無謀で、ナミの自分で提案しておきながらという目を見て、分かる、私もそう思う。と心の中で呟いた。
「…怖いわよ、怖いに決まってるじゃない!」
暫くの間を経て、ナミが語気を強めて言う。
「アンタは世界政府の人間で、私は海賊。それにエニエスロビーでやってきたことだって忘れてないわ!……でも、うちの船医とコックがアンタのことを心配して、気にかけてた。なら、私も協力したいって思うじゃない」
その言葉や態度は毅然としたもので、答えを返されたアネッタが思わず押し黙る。――多分、この言葉を受けた者がカクやルッチであれば、なんと心優しい馬鹿だと笑うだろう。しかし、CP9にしては甘っちょろい性格をしている彼女には、その心優しさが理解出来ないながらも、彼らのように切り捨てる事が出来なかったのだ。
「……」
「…それに、航海士っていうのはね自分の目で見たものを海図に記していくの。だから私も実際に見たアンタで判断するわ」
日頃は指示のもと動く自分たちとは正反対のそれに、ぱちぱちと星が爆ぜるように瞳が輝く。それは彼女への興味か、それとも新たな価値観の創出か。アネッタは金色の瞳を細めるようにして笑うと、「………航海士さんってすごいね」と眉尻を下げながら小さく呟いた。
そうしてお互いにドギマギしながらも入った浴室。ただ、年齢が近いせいなのか、元々の性格のタイプが近いせいなのか、彼女たちが風呂に浸かる頃には距離は縮まっており「ああ~~」と言いながら風呂に浸かるアネッタを見て「アンタ親父くさいわよ」というナミの姿があった。
「数日ぶりのお風呂だからいいんだも~ん」
「だも~んて……アネッタって私の年上には見えないのよねぇ」
「五才も年上なのに…?!」
「精神年齢的には私と同じぐらいなんじゃないの」
「ひ、ひどい…!さっきまでの子猫ちゃんみたいなナミちゃんは何処に行ったの…?」
「子猫て……まぁ、私的には話しやすくていいけどね。」
ナミはそう言ってにかりと笑う。アネッタもそれにつられて笑みを返したのち、体勢を崩して肩までしっかりとお湯に浸かると、ぼんやりと天井を見上げて息を落とす。
「…まさか船にこんな立派な船があるとは思わなかったなぁ……」
「お風呂はしっかり入りたいでしょ」
「いや、そうなんだけど、私がガレーラにいた頃でも此処まで広く浴室を取る船は見なかったからさ」
こんなに立派な風呂があるとは思わなかった。ガレーラカンパニーにいた時代でも風呂を付けたいと要望を受ける事は多々あったが、それでも海賊業というのは男社会だからなのか、優先度は低いもので、此処まで大きく場所を取っての浴室というのは見たことがない。それにドーム型になっている屋根だって、元は真っ直ぐな木材を湾曲にしならせる曲げ木という技術を使ったものである筈。
木材は熱を与えることで曲げる事が出来るため、椅子程度であればあまり難しくはない技術だが、此処まで大きな木材を折ることなく均一にしならせるには、ある程度の技術が必要だ。それを此処まで隙間なく、元職人から見ても惚れ惚れするほどの仕上がりにしているのだから――やはりガレーラカンパニーは凄い。
「…ん、…ふふ」
「何よ急にニヤニヤして」
「うん?…ふふ、この船にいるとガレーラカンパニーのこと思い出すなぁって。これ、アイスバーグさんやパウリーたちが作った船でしょ?」
「え?えぇ、そうね。あとはあの…サングラスの人と、体の大きい人が手伝ってくれたわ」
「……いいなぁ。あのね、アイスバーグさんって普段忙しくしている人だから、様子を見に来て指示をすることはあっても、自ら手をかけるなんて中々ないんだ。それをパウリー…あとはルルやタイルストンたち上級職人が手掛けてるんだもん。最高技術の結晶よね、この船は」
「…分かるの?」
「分かるよ、私も一介の大工でしたから」
いひ、と笑うアネッタ。ナミはふうんと鼻を鳴らして足を伸ばすと、暫くの間をあけたあと「ねぇ、二つ聞いてもいい?」と尋ねた。
その言葉は、どこか静かだ。
「……、……守秘義務が殆どだけど、…答えられるものなら答えるよ」
「えぇ、答えられるものだけでいいわ。一つ目は……ゴーイングメリー号は、本当にもう直せなかった?」
質問の割に随分と重いそれ。ナミの向けた真剣な眼差しは、ある程度信用をしてくれたということだろうか。アネッタは信用を返すようにナミを真っ直ぐに見つめ返す。
「ゴーイングメリー号…は、……査定に出していた船だよね」
「えぇ」
「私は見ていないからなんともだけど……ただ、カクが見て無理だっていったものは、多分無理だろうね。カクは手を抜いてない筈だし」
「……そう」
「もう一つの質問は?」
「……あのガレーラカンパニーの人たちとはもう会ってないの?」
次の問いかけに喉がひくりと笑う。
問いかけの意図は何なのだろうか。どうにも彼女の意図が読めずに、アネッタはそれを誤魔化すようにへらへらと笑って「うん?流石に会ってないよ~私たちクビだし、そもそも裏切った側の人間だし」と返したが、もしかしたらナミはそれに対して違和感を覚えたのかもしれない。ナミは長い睫毛を伏せて透き通ったお湯を見たあと、何か意を決したような、そんな様子で前のめりになってアネッタへと身を寄せると、「……でも、私から見たら、アネッタはあの人たちと楽しそうに仕事をしていたわ」とどこか納得できない様子で呟いた。
そこでようやく、なんとなく意図が理解できた。恐らく彼女は、アネッタがCP9であることが不思議なのだ。例えばそう、アネッタは他のCP9とは何か違う。もしかしたら裏切る用強要されたのでは。とでも思ったのかもしれない。
「……そうねぇ、確かにガレーラカンパニーの仕事は楽しかった。出来ることならずっとやりたいなって思うくらいには。でも私は世界政府に属する者であり、裏切者だから。……先に不義理をした私たちが、楽になるために許しを乞うだなんて身勝手すぎるでしょ?」
「そうかもしれないけど……」
「元々、裏切るために入った場所だしねぇ……それにガレーラカンパニーの事は世界政府に居れば耳にする事も多いし、今生の別れでもないよ。なんせガレーラカンパニーは超出来る技術者が集まった造船会社だしね」
勿論仲良しこよしでいれたらいいが、そうもいかない。そういう覚悟があって裏切ったのだから。
ナミが自分を見て多少の信頼を寄せてくれるのは嬉しいが、自分は決して善人であることはない。ただ、自己評価の低いアネッタにとってナミから寄せられるその信頼の眼差しはどうにもこそばゆく、一度鼻先までちゃぷんと身を沈めたアネッタは暫くぷくぷくと泡を出したのちに、一つの結論に至って顔を上げる。
「………私ね、不思議に思ってたの」
「何が?」
「どうしてあの人を…ニコ・ロビンを助けにきたんだろうって。海賊はどうしようもない奴らだって言ってたから、どうせ見捨てるだろうって思ってたのに命をかけて挑んできたでしょう?だからあの時、……エニエスロビーで対峙した時に君たちを見下ろしながらどうしてこの人たちはそんなことをって思ってた。だって、別に切り捨てるって選択肢はあったわけでしょ?」
「そうね」
「……私たちも、切り捨てる事は多々あるの。強さが全ての世界だからね。……でも、みんなは……んん……家族みたいな……なんかそんな感じなんだね」
不思議に思っていた。カクは海賊なんてどうしようもない集まりだと言っていたのに、どうして海賊の方が情に厚いことをしているのだろうと。本当に海賊がすべてどうしようもない集まりならば、わざわざ世界を敵にせず一人切り捨てて逃げた方がよほど賢い選択ではないか。それをたった一言無謀だと評するのは簡単だが、命を懸けて仲間を助けにきた彼らをそれだけで評して良いものか。
ずっと、ずっと不思議に思っていたことの答えがなんとなくこれまでの会話で分かったような気がして、そこで初めて疑問は消え、新たな疑問が生まれる。ならば今までの暴力ありきの生活はなんだったのかと。だって、彼らはカクの言うどうしようもない悪い奴には思えない。考えても見れば、彼らに対する情報で人を殺めたものはない。アラバスタでサー・クロコダイルに撃退したのも理由ありきで、そのほかの場所も理由無しの行為は行っていないはず。
ならば、カクが言っていたどうしようもない海賊とは、どうしようもない海賊や正義をただすために躾けられた私は一体何なのだろう。
考えれば考えるほど、ずきりと痛む腹の奥が気持ち悪くなって、睫毛を伏せてゆらゆらと揺れる水面を見ていると、「…そうね、まぁアネッタも見てのとおり厄介なやつらが多いけどね」と笑うナミの声が耳に入った。
「んふふ、ウォーターセブンでは三億ベリー盗まれたりもしてたよねぇ」
「そうよ!全くあの時は本当に肝を冷やしたわ…!」
「あれ結局フランキーが持ってたんだよね、全て回収できた?」
「いいえ、いくらかは使われてたわ。あぁ~~思い出すだけで腹が立ってきたわ!……どうしよ、今からでも請求しようかしら」
「あはは、フランキーが驚きそうだねぇ」
ちゃぷちゃぷと波を打つ水面が揺らぐ。それでも抱いた疑問を飲み込んでへらへらと笑うと、ナミは不思議そうな、それでいてどこか心配そうな顔で私を見つめて「大丈夫?アンタまた無理してないでしょうね」というので、こそばゆさから逃れるように身を沈めて、ぷくぷくと返事をするように泡を吐き出したが、ナミは沈んだ顔を起こすように両手で頬を掴むと「き、い、て、ん、の?」とにこりと笑いながら見下ろした。