彼らが住まう児童養護施設・グアンハオの森は、保護者の居ない児童や児童虐待を受けた児童等、社会的養護が必要な児童に対して、安定した暮らしを整えると共に、教育と心のケアに重点を置いた施設である。この児童養護施設を運営しているのはこの辺り一帯では名の知れた成り上がり財閥が運営するNPO法人だが、それは表の話。実状としては、彼らの背後には世界政府と呼ばれる国の組織があり、能力を買われ選ばれた彼らはこの養護施設で衣食住を与えられる代わりに、未来の働き手として日々指導を受けている。
「よお、遅かったな」
そんな児童養護施設・グアンハオの森に帰ったのは午後五時過ぎの事。今日のご飯はカレーらしいなんてよくある話で盛り上がりながら廊下を歩いていると、職員に呼び止められ応接室に行くように言われた。
「応接室…?」
はて、応接室に呼ばれるようなことはしていないと思うのだが。
不思議に思い、カクとアネッタは顔を見合わせる。
「なんかしたんか」
「してないし、なーんで私を真っ先に疑うのよ。カクこそどうなの」
「ワシャお前と違って優等生じゃ」
「否定できないのが腹立つ……!」
二人は実に子供らしい会話を重ねていたが、職員から急かされるあたり急を要する内容のようだ。二人は足早に向かうと、其処にはルッチ、ブルーノ、ジャブラにフクロウと見慣れた顔に加えて、普段は外で家族と暮らしているクマドリとカリファの姿があった。
外から差し込む、夕方の陽射しを浴びた彼らの目が、ぎらりと光る。まるで獣のようだと息を飲んだが、どうにもこうにも、その先にいる顔を見るに誕生日会を開いてくれるわけではないようだ。スパンダムは「よう」とゆるやかに手を上げたあと、先にいた彼らには退室を、それからカクとアネッタのふたりには座るよう促した。
「……ええと、これは一体」
先に居た面々が退室したあと、アネッタが恐る恐る尋ねる。しかし、訊ねられたスパンダムといえば、涼しい顔をして、「今日はお前の誕生日だろう、おめでとう」と言ったが、どうにもキャッチボールが出来ていないように思えてならない。アネッタは益々訳が分からないといった顔で、「え、あ、はぁ」と答えると、今度はカクを見つめた。
「確かカクは明後日だったか」
そう言って、それぞれに向けられたプレゼントらしき小さな箱。わざわざ綺麗に包装されているそれは、子どもからすれば喜ばしいものではあるが、二人はスパンダムが誕生日を祝うようなタマではないことをよく知っている。ちらりと見たカクも座りながら訝し気な表情を浮かべており、ひとまず差し出されたそれを受け取ってから座ると、幾ばくもなく、スパンダムが訊ねた。
「お前よ、この先の進路は考えてんのか」
突然の話題。まるで進路指導のようなそれだ。アネッタは、そういえばこの先の進路について考えておくようにと言われていたことを思いだす。しかし、将来の夢も何も、いまは漠然としたものばかりで定まっておらず、言葉が濁る。つい助けを求めるように隣に座るカクを見たが、スパンダムからすればお見通しなのかもしれない。
「カクは答えるな。お前には聞いてねえ」
そうスパンダムが先手を打ち、カクが眉間に皺を寄せる。だがいくら先手を打とうが答えが出るわけではない。ゆえにアネッタはいつまで経っても答えられずにいると、彼は露骨にため息を吐き出したあと、長い足を組みながら真っ直ぐに見つめた。
「いいか、これからお前たちの進路は重要になる。お前らの先輩にあたるアイツらも、ルッチ、ブルーノ、カリファは大学に、ジャブラ、フクロウ、クマドリは進学せずに働く事が決まってんだ。…あぁ、いや、ジャブラはまだ保留だったか」
「え?ジャブラって大学に行くかもしれないんですか?」
「おぉ、まぁお上からの指示だが……アイツは元々中国の生まれだからな、その方面で何かやりたいことがあるんだとよ」
「へぇぇ……知らなかった……」
それで聞きかじりの中国語で奢ってくれてありがとうと「しえしえにーちんうぉー」と言った言った時に、ぷーくーちーだか、ぷーくぁちーだかの言葉が返ってきたのか。その時は即答すごい!だとか、意味わかるなんてすごい!としか思っていなかったけれど、あれはそういうフラグだったのか。アネッタはようやく合点がいったと感動を覚えたが、そもそも進路を勝手に決められる可能性があるのなら、進路を聞く意味などあるのだろうか。一応は希望を聞いて貰えると事前に聞いていたが、ジャブラの進路を聞くにそうでもないような気がする。
アネッタは抱いた疑問をスパンダムに向けて、訊ねた。
「……その、特にやりたいことが決まってなかったので、もう少し考えて、それでも思いつかなかったらカクと同じで私も進学せずに働こうかと思っていたんですけど、……でもわざわざスパンダムさんが此処に訪ねてくるってことは、私も大学に行った方がいいってことですか?」
なんせ、スパンダムがわざわざ生徒指導をやる理由がない。彼は別に世話焼きでもないし、どちらかというと子供は嫌いであったはず。だから彼が出てくる場面は必ずといって裏に何か問題を抱えているか、重要な話があったときくらいで、いくら高校三年生のロブ・ルッチたちに用があったとしても、そのついでで生徒指導をやるほど暇な男ではないはずだ。
アネッタは一度隣にいる視線を向けたが、おおよその考えは間違っていないのだろう。スパンダムは少し意外そうな顔を向けたあと、目の前にあるローテーブルに足元に置いていたらしい紙袋を雑に置いて、ゆっくりと背を戻した。
「お前には、この中にある大学に行ってもらう」
「……この中に、って……あぁ、これ全部パンフレットですか」
その言葉に、何も言うなと釘を刺されたカクが紙袋に手を伸ばす。紙袋を取って自分の膝の上に置いた彼は中にあるパンフレットをいくつか取り出したあと「流石にFランは入っておらんようじゃが、随分と選択肢があるのう」と零す。しかし難色を示しているのか、彼の眉間には深く皺が刻まれて、ぽつりと零された「コイツの成績を見たことないんか」という言葉は随分と機嫌の悪いものだったように思う。
「あぁ?勉強なんざ後からどうにでもなる話だろ。うちは素質のあるやつしか入れてねえしな。………まぁ、最悪はお前が教えろ」
「……わしの意見は通さんというのに、随分と虫がいい話じゃのう」
「話を聞かせてやってる程度には譲歩したつもりだぜ」
「……」
カクが、眉間に皺を寄せたまま息を落とす。恐らく、これ以上の交渉は無意味だと悟ったらしい。その様子にスパンダムはもう一度視線をアネッタに向けると、「いいか、知識は金になるぞ」と短く言った。
「え?」
「そしてその金は力になるが、まぁ…お前のタマじゃあねぇか」
「??」
「……まぁ、なんだ、この先お前と仲良しこよしをやってるカクが仕事に出た場合、仕事もしちゃいないお前には守秘義務によって話せないことも増える。ましてや聞いたところで、どうせお前には分からねぇって言われて我慢できるか?」
「え、あ、それ、は」
「勿論、上の指示での進学だ。金は出るし、衣食住の保証もある。大学卒業後にはお前のスキル評価も上がるし、悪い話じゃあねえはずだ」
なんとなく、言いたい事は分かる。伝えたいことも、どうしてほしいのかもわかる。しかし、あまりにも突然な話である。当然ながら即答は出来ずに言葉を詰まらせるアネッタが、ちらりとカクを見る。その気にしたような視線にカクは「わしにはどうも言えん、お前が決めればいい」と紙袋を彼女の足の上に置く。
そこには名門大学のパンフレットが入っており、なかには遠方にある大学のパンフレットもあった。
本当に、此処に私はひとりでいけるのだろうか。五才にこの養護施設に入って以降、ひとりになったことのないアネッタは漠然とした不安と、それでもお金の事も気にせずに大学に進学できるのならば行ってみる価値はあるかもしれないという期待感に思考を巡らせる。ただ、青天の霹靂という状況下で答えを出す事も得策ではないように思えて、アネッタは紙袋を胸元に引き寄せて「少し考えてもいいですか」と言うと、スパンダムは双眼を細めた後立ち上がり、「まぁ、よく考えるんだな」と、それだけを言い残して部屋を立ち去ったが、隣にいるカクは複雑そうな顔のまま、笑みが戻ることはなかった。
「……カクは」
「うん?」
「カクは、反対?私が、大学に行くの」
「……反対と言えば、反対じゃのう」
複雑さをいり交ぜる瞳が、明確な不機嫌さを滲ませる。
しかし、分からない。自分のことならばいざしらず、どうして彼が自分のことでもないことに対して反対と言えるのだろう。確かに彼が先で言っていたとおりアネッタは特別頭が良いわけではない。だが、かといって、反対とまで言ってしまう理由が分からない。アネッタはその場でウウンと首を捻る。それから、暫くの間「おい、また余計なことを考えとるな」とか言われながらも色々と考えて「そんなに私と一緒に働きたかったんだね?」とやきもちの線を突いて、場を和ませる意味合いも込めて茶目っ気たっぷりに言ってみたが、彼は盛大に、そりゃあもう盛大にため息を吐き出すとアネッタの額を思い切りデコピンで弾いた。