弊本丸の審神者は若い。齢は五才。故に、任された仕事の割り振りから、戦闘時の配置まで、業務の殆どは近侍のへし切長谷部が取り仕切り、その他刀剣男士たちも協力して行っている。だが、そんな幼い審神者が駆り出される時もある。例えば、今日のように。
まだ雪の残る山岳地帯に訪れた審神者一同を迎えたのは、その村で一番の大きさを誇る村長の家であった。村の人々が集う場所として、誇り高く立ち並ぶその建物は、まるで村そのものを象徴するかのように、荘厳な存在感を放っている。
腰の曲がった村長が、審神者の姿を見て一瞬だけ狼狽える。なんせ本部が寄越した審神者は幼子だ。巫女服を纏う幼子の顔は面布で覆われており、腰に下げた短刀がきらりと光る。
何とも形容しづらいが、他とは異なる雰囲気を持っているように思う。ただ、面布に墨で描かれた顔の落書きが、その雰囲気をちぐはぐなものに変えており、恐る恐るといった様子で「はぁ、貴方様が審神者様で」と尋ねると審神者は「そーだよー」と笑った。
これほどまでに、頼りの無い返事があっただろうか。村長はううんと眉間に皺をよせたが、ちらりと隣に立つ近侍の姿を見て、渋々といった様子ではあったが「はぁ、まぁ、中へどうぞ」と中へと招いた。
古い建物のせいか、やけに床が軋む。この床は抜けないだろうな、と審神者の安全面を考える長谷部は床を睨みつけたが、審神者は特に気にしていないらしい。審神者はぎしぎしと鳴る床を平然と歩いていたし「そんちょうになると、ぎしぎしいわないの?」と、軋む音を殆ど立てずに歩く村長に尋ねては、「はぁ、あたしは生まれた時から此処におるもんで」と困らせていた。
「これがその妖、と」
幼い審神者に託された刀を見て、長谷部が零す。
審神者が抱きしめるようにして抱える刀は、全体的に状態が悪い。柄に巻かれた柄巻と呼ばれる紐は、ボロきれのようにほつれ、最上端部分の金具に通された腕貫緒も、先が千切れてしまっている。あまりの状態の悪さに、主が汚れてしまうと長谷部が手を伸ばしたが、審神者にとっては久しぶりの出動任務だ。審神者は長谷部の手を避けるようにして体を背けると、「だいじょうぶ」と呟いた。長谷部ではない、刀を抱いて。
「……!…!……!!」
「はぁ、だ、大丈夫で」
「……こほん、気にしなくていい。……それで、この村で起きていることを教えてくれ」
気を取り直し、長谷部が零す。
「へぇ、この村では、稲の収穫を終えた十月以降に村人を集めて慰労会をやるんですが、必ず其処で体調を崩す者が出るんでさ。……まぁ、とはいえあたしらの慰労会なんて飯や酒が出る会ですから、初めは酒の飲みすぎではねぇかと思ったんだが、どうにも毎回出るんでおかしいという話になって」
「それで、この刀が原因と」
「へぇ、その刀は村の田作という男が持ってきた代物で、どうにもそいつが悪さをしているのではないかと」
「何をもって?」
「いやぁ、確証はないんですが、そいつを持ってきてから起こる事象なもんで……」
「………」
「やはりこういった退治は難しいもんでしょうかね」
「いや……そういうわけではないが」
確かに、物に付喪神が宿るように、悪霊が取り憑く事もある。
状態の悪さを考えると、それも無くはないと思うが、果たしてそれほどの力があるだろうか。もしも。もしも本当に悪い物がとり憑いていると言うのなら、審神者が何かしらの反応を見せるはず。しかし、審神者は特にそういった反応を見せずに、ふうっと最上端部分の金具に息を吹きかけると、額を寄せて目を閉じる。
それを見ていた村長が「一体何を」と問いかけたが、それを遮るよう長谷部が「静かに」と云ったのは、審神者が刀へと耳を傾けたからだろう。
――物の心を励起する。
それはこの幼い審神者に授けられた力で、彼女は幼いながらも方法を知っていた。ただ、刀へと耳を傾ける彼女は普段とは異なり、困惑を示していた。まるで調子が悪いというように、からからと左右に揺らして、それから耳を当てと繰り返すと、頭を捻り「なんでこんなことをするの?」とぽつりと呟いた。
「え?」
「主、それはどういう――」
長谷部はそこまで言って、口を噤む。
珍しくも、温厚な審神者が腹の底に怒りを孕ませていたからだ。
「……、……」
「…主」
「…はせべ、お水のみたい」
問いかけに答えない審神者は機嫌悪く零す。
それを受けて、以前もこういうことがあったなと長谷部は思い出す。なにがあったのか、どういうことだったのか、長谷部にはわからない。
けれど確かなことは、何かがおかしい、ということだ。それも、刀ではないものに対して。
「え?あぁ、…村長、悪いが主に飲み物を」
「は、はぁ。……妙子、妙子!」
唐突な要望を受けた村長は、一体なにがなんだかという表情を向けたが、扉の方に体を向けると名を上げる。一体誰の名前かと思ったが、その数秒後には孫ほどの若い女が顔を覗かせて、中へと入ってきた。
「はい、おじいさん、どうしましたか?」
「……この者は」
「こいつはあたしの孫で、妙子と言います。妙子、審神者様にお水を」
「はい」
言って、妙子は長谷部を見る。
しかし長谷部が「主はこちらに」と視線をうんと背の低い審神者に向けると、妙子は驚いたように目を丸くして謝罪を述べると、「審神者様、一緒に行きましょうか」と子ども扱いで手を差し出した。
「うん」
「あぁ、主。私も」
「ううん、はせべはいい。ひとりじゃないもん、こっちはだいじょうぶ。…それよりもはせべ、あとはおねがい」
「……!……は、主命とあらば」
審神者の言葉に、沈黙を乗せた長谷場は小さく頷き、そして厳かに言った。
そうして妙子の手に引かれて歩く審神者は、妙子を見つめる。妙子の手はひやりと冷えていて、それでいて硬い。それに村長と同じように、いや、村長よりも静かに歩く。審神者はどうしたら同じように歩けるのだろうと踵を浮かせて忍び足で歩いてみたが、どうしたって床が軋んでギシギシと音を立てる。途中で歩む速度が変わった審神者に気付いた妙子は、踵を浮かせて歩く姿に不思議そうな顔をしていたように思う。しかし、幼い審神者は意に介さずへらへら笑って「そんちょうと、おねえちゃんいがいのみんなは?」と尋ねると、妙子は「あぁ、ええと、いまはおりません」と曖昧に笑った。
窓の奥から見える、この辺りはまだ雪の残る山岳地帯。農業を再開するには少しばかり気温が低すぎるが、さて一体どこにいったのか。しんと静まり帰った廊下は冷たく、冷え切っていて、はぁと吐き出した息も白く凍り付く。
そうして此方が問いかける前に手を引く妙子を見て、審神者はそのまま忍び足でぎいぎいと音を立てながら、台所へと向かい、端に置かれた椅子に腰を下ろした。
「審神者様、どうぞ」
暫くして、妙子差し出した湯飲みを見た審神者は「ありがとう!」と元気よく礼を述べて湯飲みを両手で包み込む。湯飲みはきんと冷え切っており、中に入った水からは白いもくもくが上がっている。これは湯気ではなく、冷気だろう。確かに水を飲みたいとはいったが、なかなか冷たそうだ。審神者は意を決して唇を寄せたのだが、それを見た妙子が慌てた様子で「ああっ」と零した。
「なあに?」
「あぁ、審神者様…良ければ飲む時はこちらを見ていただけますか?」
焦っているのか、早口で妙子が指したのは、窓の方向であった。節分に食べる恵方巻じゃあるまいし、どうして其方を向く必要があるのだろうか。審神者は不思議に思い、首を捻った。
「…?どうして?」
「私たちの村では…此方の方角に田畑があり、豊作の神があらせられると言われております。そのため、此方を見て感謝の意を込めて、それから来年の豊作を願って飲むのです」
「ふうん……」
「審神者様もぜひやって頂けると……」
審神者は不思議な力を持っている。
それゆえ、こういったお願い事を受けることは少なくはない。日頃はこういったお願いごとを受けても、近侍が判別して「主、いかがなさいますか」と尋ねてくれるが、今はその近侍もいない。しかも審神者は五才だ。さてどうしたものか。なんて冷静に考えるような頭はなく、「いいよ!」と二つ返事で返すと、妙子の指す方角へと体を向けた。そうして湯飲みへと唇を寄せて、妙子の視線が此方を向いたとき、目の前にぬうと現れた黒い手がコップの上に蓋をするように覆い被さって、審神者は目を瞬かせる羽目になった。
「おっと。大将、待ってくれ」
「やげん?」
声の主は腰に下げた短刀・薬研藤四郎であった。
一体いつの間に実体化したのだろう。そういえば腰に下げた刀もいつの間にか薬研の手に渡っている。
「これを飲んではいけない。少なくとも、此方では」
「どうして?」
「大将が向いている方向は鬼門だろう。……全く、うちの大将に鬼門で集めた霊を飲ませようなんて趣味が悪いな」
薬研は優しく穏やかに言葉を紡いだ後、妙子を睨む。妙子は口角をひくりと引きつらせると後ろに後ずさったが、「一体何のことか」という言葉を聞いて、薬研が納得する筈が無い。薬研は湯飲みから手を離すと、刀をするりと抜いて刃先を妙子に向けた。
「先ほどの体調が悪くなるという話も、おおかた同じ方法で霊を飲ませて取り憑かせていたのだろう。」
「な、なにを」
「大将、少し目をつぶっていてくれ」
「はーい」
軽やかな会話の末、「あっ」という女の声が響くと共に、静寂が訪れる。恐らく、「もーいーかい」から「もういいよ」までが続く時間も、そう長くはなかったように思う。薬研は刀を収めると、審神者が持っている湯飲みを手に取って「長谷部がおれを寄越した理由が少し分かったな」と息を落としたが、審神者は「喉かわいたぁ…」と項垂れていた。
暫くして、息をきらした長谷部が「主!」と現れると、審神者の前に跪いて、両肩を掴む。その顔は青白く、大丈夫か、なんて聞いてもいなかった筈なのに、その表情が心配をよく物語っている。審神者は小さな手のひらを伸ばし、長谷部の頬を撫でたが、彼もまたひんやりとしている。「だいじょうぶだよ、はせべ。やげんがとめてくれたの」と穏やかに言った。
「ああ、良かった……」
「そんちょうは?」
「それが、先ほど倒れてしまって……それでおかしいと此方へ」
「ふうん……やげんがおねえちゃんをやっつけたからかな」
ちらりと視線を薬研に向ける。
薬研は白々しく肩を竦めて息を吐くと、「…の、ようだな。妖が人を操るとは厄介なことをしてくれる」と言葉を返す。
「……気付いておられたのですか」
「かたながへんなのは、ちょっとだけ」
「変?」
「あの刀には、いっぱいのたましいがあってね、くっついて、ねんどみたいにこねこねされて、そしたらきもちわるくなっちゃった」
「あー……長谷部、翻訳してくれ」
なんせ五才の言葉だ。説明を聞いてもいまいち理解出来ないらしい。薬研は長谷部に助けを求めると、「恐らく………折れた刀を全て溶かして作り替えたものだろうな」と補足を述べて、そこでようやく合点がいったように「あぁ、そういうことか」と息を落した。
「はせべ、あれもってかえってもいい?」
「構いませんが…一体何をするつもりですか?」
「……ここにいても、この子たちはずっといやがられるでしょ?だからおうちにつれてかえって、いっしょにねんねする」
付喪神にすらなれない魂を此処に残すのは少しばかり可哀そうか。
長谷部は連れて帰る事での危険性を試算したが、試算したところで己の主が折れないことはよく知っている。きっとあの刀もまた、主の遊び相手としてぬいぐるみ遊びをするように彼女の布団に寝かされたり、可愛らしいリボンを結ばれたりと愛でられる筈だ。
長谷部は小さく息を落とすと「その代わり、帰ったら一度魂を浄化いたしましょう。刀遊びはそれからですよ」と提案を述べたが、結局は審神者に甘い。いいのか、なんて薬研がわき腹を突いてきたが、審神者が長谷部に向けて元気よく返事を返すと、「それでは帰りましょうか」と過保護に審神者を抱き上げた。