再生の炎をもってしても、彼女の回復は遅い。おそらく異世界人である彼女の体と、おれたちの体は、構造や機能が根本から異なっているのだと思う。現に、彼女よりも後に怪我をした者はすでに快復して日常業務に戻っているが、彼女はいまだ高熱に魘される日々を過ごしている。
アネッタちゃんの具合はどうだ。尋ねるサッチから昼食を受け取って曖昧な返事を返す。トレーに乗った一品限りの野菜スープは病人食の一つで、「もしおかわりが出来そうだったら、すぐに用意するから言ってくれ」と袖を引くサッチの言葉は切実な願いが混じっている。
肉体と精神にかかる負担が高熱を引き起こして暫く。ようやく回復の兆しを見せてくれたが微熱続きの体調はグズグズで、やはりあの時一命をとりとめたのは奇跡だったのかもしれない。マルコはトレーを手に彼女の部屋へと向かうと、大人たちの心配をよそにきゃらきゃらと楽しそうに笑う声が耳に届き、足を止める。
「……?」
目覚めている事は知っているが、随分と体調がよさそうな声がする。マルコは、様々な色合いや形をした貝殻を張り付けたネームプレートを見て、ノックもせずに扉を開くと、その先にある光景に目を瞬かせた。
「……一体なにしてるんだよい」
そこには、ワノ国に伝わる甚平に身を包んだアネッタと、彼女と揃えた桃色の着物に身を包んだイゾウの姿があった。部屋の広さはアネッタいわく六畳ほど。部屋の中央にあるテーブルには、ビスタあたりのお見舞い品らしい薔薇が花瓶に刺されており、その隣には手作りに見えるクジラのぬいぐるみ、それに本人がはたして喜ぶのか、新聞や、タオル、煙草、それに新品に見える羽ペンとインクなどが積まれている。ひとまず煙草は没収してポケットへ。
それからいまだ顔が赤いものの「マルコ見て、イゾウに甚平を貸してもらったのっ」と機嫌よく話しながらベッドの外になげ出した足を揺らすアネッタを見た。
「あぁ、よく似合ってるよい……でもどうしてまた甚平を?」
尋ねると、隣に立つイゾウが少しばかり申し訳なさそうな顔で言った。
「あぁ……すまないマルコ。お嬢が着替えの時に胸元の傷に触れて痛むと言うから、少しでも刺激が少ないものを…と着せてみたんだ」
成程。確かに普段来ている服よりも、甚平の方がゆったりとしているか。マルコは頷きながらサイドテーブルにトレーを置き、手のひらを彼女の額へと押し当てた。
「あぁ、そういうことか。…まぁでも、甚平なら通気性もいいから、今のアネッタには良いかもしれないねい」
能力のせいか、自身も平均体温は高い方だが、手のひらに伝わる熱はそれ以上に熱い。やはりまだ熱が下がり切っていないか。マルコは眉間に皺を寄せたあと、遠慮なのか無理をしているのか「大丈夫だよぉ」という彼女の頬をついでにつねる。そのとき、当然のように彼女は嫌がっていたが、彼女が笑う間も大人たちは真剣に心配しているのだ。これくらいは許してもらいたい。
イゾウはその様子に肩を揺らして笑うと、これから食事をするなら髪も結ぼうかと声を掛けた。
「いいの?」
「あぁ、少しは気分転換になるだろう」
「んふふ、イゾウは優しいなぁ」
「おれも優しいよい」
「マルコが優しくないなんて言ってないじゃない……」
そうかぁ?そうですぅ。二人のやりとりはどこか子供じみている。鼻をきゅとつまむマルコは普段よりも意地悪で、鼻をつままれて「イーッ!」と呻くアネッタも普段よりは子供っぽくも見える。イゾウから見ても、ふわふわと頭を揺らす様子は少し心配ではあるが、それでも数日前と比べれば随分と回復しているように見えるし、何よりいまの光景が微笑ましくて仕方が無い。イゾウは袖口からつげ櫛を取り出して隣に腰を下ろすと、緩いウェーブがかった髪の毛を掬った。
「……さ、それじゃあ髪を結ってもいいか、お嬢」
「あ、うん、ありがとう」
「じゃあおれは、その間に診察でもするかねい」
「はーい。マルコもありがとー」
つげ櫛が髪の毛を丁寧に梳いていく傍らで、熱を測り、ひんやりとした聴診器が肌に触れる。体温は三十八度。相変わらず熱は高いが、喘鳴やリンパ腺の腫れは無し。胸元にある傷もいまは完全に塞がっており、痕も随分と薄くなったように思うが再生の炎をもってしても、完全に傷跡をなくすことまでは不可能か。
彼女もそれを気にしているのか、指先が傷に触れると気まずそうに表情を曇らせたあと、眉尻を下げてぽつりと呟いた。
「私もみんなみたいにタトゥーいれようかな」
タトゥーを入れたいだなんて、そんなタイプじゃないだろうに。そうやって明るく言うのは精いっぱいの誤魔化しであることを、大人たちは最近ようやく理解しはじめた。イゾウも、それに気付いたようだが、彼はそれを追求せずに整えた髪を手慣れた手つきで編み込みながら尋ねた。
「お嬢だったら何をいれたい?」
「え?」
「もしもの話さ。お嬢だったら何をいれるんだ」
「うーん……、タトゥーのこと自体あんまり知らないからなぁ。確か、タトゥーって意味があったりするんだよね」
「あぁ、ものにもよるが意味を備えてるものが多いねい。……まぁでも、タトゥーは一度いれたら消せやしねぇから、なんだかんだ好きなデザインにするのが一番なんだろうが」
「好きなデザインかぁ……好きなデザインねぇ……」
もういいよい。マルコの言葉を受けて下着を下ろし、ついでに甚平の前を止めながら考えてみたが、いまいち好きなデザインというものが思いつかない。こんな時に携帯が使えたらさくっと形でも決められそうなのにな。アネッタは小さく息を落とした後、ふとマルコの胸元にある白ひげ海賊団のマークを模式的に描いたタトゥー見て、ぽつりと呟いた。
「……私もみんなとお揃いがいいなぁ」
「うん?」
「あ、やっぱりダメ?」
「ダメってこたぁねぇが……寧ろ同じでいいのかよい?」
その言葉に平然と「いいよ」とアネッタ。彼女は不思議そうに首を傾げたかと思うと、今度は顔を真っ青にして震えながら尋ねた。
「え、いいよ。だってこの先ご厄介になるのは決ま……え?私もしかして下ろされる…?」
「下ろさねぇ、下ろさねぇよい。……ただ、いやに素直というかよ」
「あはは、流石に腹は括りました」
「お嬢……」
「あ、別にね、無理をして言ってるってわけじゃないの。ただ、元の世界には戻りたいけど、でも、戻れないのならみんなの傍に、……白ひげ海賊団にいたいなって」
都合の良すぎる話かもしれないけどね、とアネッタ。その瞳はどこか申し訳なさそうな、遠慮をしているような色も見えるが、彼らからすればこんなに嬉しい事はない。マルコはアネッタの肩を叩くと「都合が良すぎるなんてことはねぇよい」と言い、同意を求められたイゾウも目元を和らげるようにして笑み「あぁ、おれたちはお嬢が白ひげ海賊団にいたいと言ってくれて嬉しいよ」そう言って編み込んだ髪を簪で止めてみせた。
「……さ、お嬢。これでどうかな」
「わあ、ありがとう!この簪も貸してくれるの?」
「あぁ、おれのお古で申し訳ないが…お嬢のものは、今度一緒に買いに行こう」
「うん!」
「そのためには体調を回復させるところからだねい」
「大丈夫、今日はお腹ぺこぺこだから!サッチにも元気になってるところ見せてあげないと」
「お、そうか。そりゃあよかったよい」
そう言って、頬を緩ませるアネッタが笑う。とはいえ、まだまだ彼女は体調不良の身。それを示すように残念ながらサッチの作ったスープは完食できなかったが、それでも少しずつ食べる量は戻ってきている。峠は越えた。きっと、きっともう大丈夫だ。
完食後、少しの談笑を楽しんでからアネッタを寝かせて花柄のブランケットを腹にかける。そのとき彼女は一体なにを思ったのか少しばかり表情に陰りを見せて、不安そうな顔を見せたが、あの日以降、少しばかり自分を見せるようになってきた。
「すぐに寝るから……だから、寝るまで一緒に寝てほしいな」
ぽつりと呟かれた言葉。その言葉には不安だとか、寂しさが滲んでいたが、可愛い可愛い末っ子のお願いだ。それを無下にするなんてことはあり得ない。ふたりは顔を見合わせて笑いマルコは手を握り、イゾウはさらりと指先で前髪を流して頭を撫でると、アネッタは嬉しそうにはにかんだあと、暫くの会話を楽しんでいたが、薬と食事、それから安心感もあってかウトウトと瞼は閉じていき、大人たちはおやすみと囁いた。