カクから貰った三角ヘアピン

 お父さんとお母さんが死んでしまったのは、もう随分と前のことになる。原因は、豪雨によるスリップが引き起こした追突事故であった。豪雨の中で、突然後ろから追突されて押し出された車。ぽーんと崖を飛び越えた車は、おもちゃみたいに回りながら落ちて、気付いたときにはお父さんも、それからお母さんも動かなくなっていた。

「そういえば、傷はもう目立たなくなったのう」

 ざあざあどうどうと雨が降り注ぐ夜。部屋にホットミルクを持ち込んで、勉強の合間に飲んでいると、思い出したようにカクが言って、左のこめかみあたりを撫でる。そこには事故で数針縫った痕があるはずだが、流石に十二年も立てば傷跡も薄くなるらしい。指先がそりそりと生え際を撫でた後、ちらりとテーブルの端に置かれた三角定規型のヘアピンを見つめた。

「もう、それはお役御免でいいんじゃないか」

 傷が無いのだから、傷を覆うための三角ヘアピンが無くていいじゃないか。
 そう言いたげな眼差しに、アネッタは少しだけ言葉に迷う。

「……そう、だけど」

 この三角ヘアピンは、小さい頃に傷跡を隠せるだろうとカクがくれたものであった。なんせその当時は傷痕を縫うために少しだけ生え際が剃られてしまっていた。その一部だけ剃られた部分というのは十円ハゲのようで、よくも悪くも素直な子供たちからは心無い事を言われてよく泣かされていた。
 だからカクがこのヘアピンをくれた時には、傷跡を綺麗に覆ってくれるそれが嬉しくて、気付けば毎日つけていたし、今でもそれは変わらない。この三角ヘアピンは宝物で、もはや生活の一部だ。だから今さらこれを外そうなんて考えもなく、アネッタは三角ヘアピンを取って、見えなくなった傷跡の上からヘアピンをパチンと止めると、「宝物だからいいの」と短く言葉を返した。

「……それが無くとも変じゃないぞ」
「あはは、知ってるー。…本当に、揶揄われたから外すのが怖いってわけじゃないの。ただ、もうこの髪型が当たり前になってるからさ。……あの時はありがとね、カク。色々気を遣ってくれて」

 心がボロボロの状態でこの養護施設にやってきたときも、カクだけはずっと励ましてくれたし、ずっと隣にいてくれた。今思えば、そうやって隣にいてくれたことも、前世のことがあったからなのかもしれないが、それでも、そうだとしても当時はそれが救われたし、感謝していることだって本当だ。だから彼に伝えた感謝も間違いなく本音なのに、彼は手にしたマグカップの中でトプンとホットミルクを揺らすと、ズズと啜りながら素っ気なく呟いた。

「別に、感謝されたくてやったことじゃないからのう」
「へへ」

 なんだかんだ、こうやって照れくさそうに視線を反らす瞬間が好きだ。きっと、他のみんなは見たことのない、自分だけの一瞬。それがなんだか嬉しくて、なんとなくで彼の隣に近付いてぽすんと頭を寄せてみる。すると、彼は不思議そうにしていたが「なんでもないの、ちょっと甘えたくなっただけ」。

「そうか」

 カクは、もう一度ズズズとホットミルクを啜り、言葉を無くす。アネッタはただ彼の傍で甘えているだけで満足だったが、少し我儘過ぎただろうか。アネッタはそろそろと顔を上げながら「あ、でも迷惑だったら」そう呟くと、マグカップを持っていない、日に焼けた手が頭を肩に押しつけて呟いた。

「黙っとれ」

 その言葉の不器用さといったら!

「……、……ふふ」
「……なんじゃ」
「いーえ、カクはいつだって優しいなと思って」
「そりゃあそうじゃ、わしほどやさしい男なんてそうはおらんぞ」
「それならもっと勉強も優しく教えてくれたっていいのに」
「それはそれ、これはこれじゃな」
「ぶう」