今日締め切りの報告書を手に扉を拳で叩く。馬鹿デカい扉にそれ相応の部屋だからこれぐらいしないと音が届かないのは本当に難点だと思う。返事は返ってこなかったが、勝手に扉を開いて中を覗けば、馬鹿みたいに広い部屋の端で、ソファに座るルッチが訝し気に此方を見て、肩に止まっていたハットリが挨拶をするように片翼を上げてポッポー!と鳴き声を上げた。
「あ、なんだやっぱりいるじゃない」
返事してよね。と言葉を返すとルッチは「勝手に入ってくるくせに返事をする必要があるのか?」と憎たらしい事を返してきた。ああ、こういうところ昔から本当に変わらない。ため息を吐きながら彼の方へと向かってから彼の隣に座り、ついでにぼすんと体を倒して彼の膝の上に頭を乗せてみる。ルッチはこちらを睨んで「降りろ」と言っていたが、それを無視して報告書類を彼の前に差し出せば、きつく結んだ彼の唇が薄く開いてため息が零れ落ちた。
そうして報告書類を確認してもらう傍ら、彼の固い太ももの上に頭を置いた私は、ルッチの肩から気まぐれにやってきたハットリを胸の上でもふもふと愛でて時間潰しを考えたが、報告書類はいかんせんページ数が多い。ルッチがすぐに読み終える筈もなく、ページを捲りそこに記された文字を視線で追い、無言が続いたことにより愛でていたハットリも、やがて私の上で眠たそうに瞼を閉じてしまった。
そうしていよいよ部屋の中がしんと静まり返ると、別に気まずさはないものの、暇度を加速させるものだから、暇つぶしがてら彼を見上げて面白い形をした髭をちょりちょりと指先で触りながら呟いた。
「ねぇルッチ、CP0に昇進するのって難しい?」
「……お前が上を気にするなんて随分と珍しいな」
報告書から視線は外れないが、少し意外そうな声色で言葉が返される。まぁ確かに、野心もなく、幼馴染のカクやグアンハオ時代からの腐れ縁がいるからという理由だけでCP9に在籍しているのでそう思われても仕方がないのだが。多少の乾いた笑いと共に「上に興味はないんだけどね」と前置きを置いた私は、彼に質問の意図を説明すべく
「でも、ルッチはいつまでもCP9に収まってる気はないでしょ?だからCP0に昇進が決まった場合、ルッチはきっとカクを連れていっちゃうと思うんだよね。」
と伝えるとルッチの眉間に皺が刻まれて「………お前はカク離れをすべきだな。」と冷たく言葉を落とした。
任務を離すだとか色々方法はあったのにカク離れさせようとしてこなかった大人が何を言っているんだか。
「カク離れできないって知ってるくせに。あ、でも勿論ルッチが一人だけ昇進するのも寂しいよ」
私は少しばかりおちゃらけて言葉を返すとルッチは「どうだかな」と表情を崩さずに鼻で笑った。
それから暫くの間を置いて、報告書を見終えたらしいルッチがようやく視線をこちらへと向けたかと思うと、束ねた報告書を下ろすがてら私の顔を軽く叩いて「報告書はこれで良い」と言い、そのまま続けるように静かに呟いた。
「………CP0昇格は、お前には難しいだろうな。」
普段から歯に衣着せぬ物言いが多い彼が、はっきり無理だと言いきらないあたり、100%ではないのだろう。彼の髭から手を離して押し付けられた報告書を手の甲で押し上げて、彼を見上げながら「それは実力不足?」と問いかけると、ルッチは少しばかり思案を巡らせるように間を置いては瞳を細めた。
「いいや、どちらかというとお前が竜人族だから、だな」
「どういうこと?」
「CP0は今までの任務とは違って天竜人と大きく関わる。そうなった場合、今のようにうっかりで尻尾や鱗を出してみろ、すぐに天竜人に見つかって面倒なことになるだろう。」
「あぁー………。」
天竜人という言葉に随分と渇いた言葉を落としてしまった。天竜人は800年前に世界政府を作った20人の王の末裔で人を殺そうが、奴隷にしようが、何をしても許される神に等しい存在だ。そんな彼に竜人族の生き残りである私の存在が見つかってしまえば、まず間違いなく欲しいというだろう。そうなった時に、世界政府も、海軍も、断ることは出来ない。だからこそ世界政府は天竜人を欺いてでも私の存在をひた隠しにしている。まぁ、そう考えるとリスクを取ってまで私をCP0に昇進させるメリットがないなと自分で結論付けると、彼らと一緒にいれられるのも打ち止めなのかと息が落ちた。
「………それでもお前はCP0になりたいのか」
珍しく要望を聞くようにルッチが問いかける。まるで私の意志を確認するようなそれに、「……まぁ、それなりにね。…うーん、寂しくて竜化しちゃうかも」と渇いた感情を誤魔化すように、茶目っ気たっぷりに脅しを含んだ言葉を零すと、ルッチは僅かに口角を吊り上げながら言葉を落とした。
「………は、馬鹿な女だ」
全くこの女はどうかしている。おれの膝の上で寝るだなんて。散々膝が固いだの、暖かくないだの文句を言っていた癖に、気付けば膝の上に頭を置いて横になった女は眠っていて、無防備にもすうすうと寝息を立てている。此方を向いた生え際の角を指先でなぞれば痛覚は無い筈だが、〇〇は「ンう、」と呻きながら仕立てたばかりのスーツに顔をぐりぐりと押し付けた。
「おい、起きろ」
「ん~~~~~、もうちょ、っと…」
何度目かのやりとり。いい加減床に落としてもいいのだが、胸の上で丸くなって眠るハットリのことを考えると、こいつを床に落とす事も出来ずに息を吐いた。サイドテーブルに報告書類を置いて傍らに置いた上着を〇〇の胸元にいるハットリあたりまで上げてやると、〇〇の口元が緩んだ。
窓から差し込む光が部屋の床にほんのりと窓の形を描く。膝から伝わる暖かな体温はどこか張り詰めたものを和らぐようで、こんなに気が抜けた時間は久しぶりだと思うと欠伸が落ちた。
「な……んで〇〇が此処におるんじゃ、ルッチ」
暫く経って、報告書の提出で部屋へと訪れたカクがおれの膝の上で眠る〇〇の姿を見て驚きを露わに問いかける。ああ、面倒な奴に見つかったというのが正直なところ。おれは何度目かの溜息を零しては顎でサイドテーブルに置かれた報告書類を指し示すと、口をへの字にしたカクの視線がそちらへと向いた。
「勘違いするな。こいつもお前と同じで報告書を持ってきたんだ。その上おれを寝床にしてやがる。」
「……………、…そうか」
まぁそもそも勘違いも何も、こいつは――カクは〇〇がどのような理由があったにせよ自分ではない者に触れていることが気に食わない性質なので、理由を述べたところで機嫌は直らないのだろうが。
「……そういえば、今日は随分と珍しいことを聞いてきたがお前も聞いたか?」
「ん?」
「CP0になるのは難しいか、だとよ」
「CP0?なんでまたCP0の話を」
「おれが昇進したらおまえを連れていってしまうんじゃないか怖いそうだ。」
「………馬鹿じゃのう」
「あぁ、全くだ。」
カクだけじゃなくおれもまたこの馬鹿で厄介な女を手放す気などはない。知らぬところで依存だの、所有欲などで雁字搦めとなっていることを知らぬ女は、唯一何者からも干渉を受けない夢の中へと落ちていた。
すやすやと、すやすやと、静かに立てる寝息は穏やかに続く。