魂を取り戻せ

 聞いた?逮捕されたのはご主人だけだったけど、実際は家族全員だったそうよ。まだ十七歳だっていうのに可哀想に。随分痩せていたんですって。虐待だなんて言うけど、実際は殺人よね。ああ、本当に酷いことを。読経に交じる人々の密語を耳に、黒縁の中に納まる自分を見る。しかし、よほど写真がなかったのか、其処に有る写真は卒業アルバムで使われたもので、その表情は硬い。
 ああ、人に見られるのであればもっと可愛く映った写真が良かったな。
 そんな的外れな事を思い、眺めていると、そっと肩を抱かれ声が掛けられた。

「大丈夫か」
「……大丈夫、ただもうちょっとかわいい写真が良かったな~って思っただけ」
「はぁ、呑気なもんじゃのう。自分の葬式を見て思うことがそれか」
「それ以外に何を思うのよ」

 いま此処に居る参列客の殆どは、会話した事すら無い野次馬だ。憐れむ振りをして、ひとの不幸を非日常的な機会として楽しむ彼らに思う事は無い。落ちるものがあるとするならば、苦笑だけ。アネッタは乾いた笑いを落とした後、「此処にいるうちの誰か一人でも助けてくれたら、……声を上げてくれたら。カクの隣にいるのはもう少し先になってたかもしれないよね」そう零して彼の肩に頭を寄せるが、葬式というやつはいつだってつまらない。
 アネッタは、読経が終わりもしないうちに寂しく呟いた。

「お葬式を見れば、お父さんとお母さんが亡くなった時のことを……、なにか輪入道に繋がる手がかりが思い出せるんじゃないかって思ったの。……でも、そんなことは無いみたい」
「……ま、そうじゃろうな」
「ごめんね、せっかく連れてきてもらったのに」
「いいや、それも夫の務めじゃろうて」

 現世では自死に近い状況だったのに、死の先は幸福な事が多いように思う。好きな人がいて、自分のことをアネッタと呼んでくれる仲間たちがいる。多分、この幸福は死を選択しなければ得られなかったと思う。だから、彼ら参列者の言う話はどれも適当なもので、可哀想な私はいない。いや、もういない。
 柔らかな眼差しと、穏やかな言葉が見えもしない心を包み、感情を和らげる。アネッタはニコリと笑うと、行こうかと促す彼の手に引かれ、供えられた饅頭ひとつを手に歩き出した。

 読経をかき消す蝉音を耳に、あたり一帯に続く田園を歩く。その日の気温は三十五度を超える猛暑日で、参列客も暑さに嘆いていたのに、照り付ける陽射しの割に暑さを感じない。これも、妖となったお陰だろうか。暑さを感じず、汗もかかずに神社へと足を伸ばす。その日はちょうど祭りの前日だったようで、途中にある電柱には神社祭りの告知が貼られており、神社へと続く石階段の両端にはそれぞれ灯篭が置かれている。
 ふたりは祭りに向けて替えられた注連縄飾りの鳥居を潜ると、その先の境内で機嫌よく酒盛りしている男たちに瞬いた。

「…おうおう、朝から酒盛りとはいい御身分じゃのう。たたりもっけ、麻桶の毛」
「ヨヨォイ!こいつァ久しい顔じゃあねェ~かァ~」
「チャパパ…!カクの方こそ一体どうしたんだー」

 細い手足に比べて風船のように膨らんだ身体の男に、歌舞伎役者宜しく目元や口元に紅を引いた白塗の男。どちらもこの田舎では見かけない奇抜な風貌をしており、妖である事はカクが言う名前からも分かる。隣で袖を引き、紹介を待つと、カクは彼らを手で示して緑髪がたたりもっけのフクロウで、隣の桃髪が麻桶の毛・クマドリであると説明を加えるが……その名前に心当たりは無く、まるで聞いた事がない。もしかして、妖としてはマイナーなのだろうか。
 この現世には妖怪を取り扱った作品が多く存在しているが、これまで漫画もアニメもあまり目にはしてこなかった。そのとき、なぜか妙に惜しい気持ちになって図書館で本を借りたらよかったかも…なんて思ったが、まぁ、今更すぎる話だ。アネッタが曖昧に愛想笑いを浮かべると、カクは見透かしたように息を吐く。
 ぎくり。
 そういえば彼は心の声が読める神通力という力をもっているのであった。

「分からないことを、なんとなくで放置するんじゃない」
「っいたい!」

 そう言って、額を指で弾くカク。こんなところは夫と言うよりも先生とか、お兄さんといった感じだ。じくじくと痛む額を抑えて唇を尖らせると、向かいに座る男たちは肩を揺らして笑って、そこでようやく恰幅の良い体を起こして、境内を下りた。

「まァまァ、おいらたちは所詮妖よォ!成りたての妖ならば赤子同然、知らぬ存ぜぬも仕方のねェ事だ~~~!よよい!」
「チャパパ……おれたちを見て名前を当てられる人間は、昔っからそうはいなかったぞー」
「そりゃちげぇねェ!」

 何とも気持ちよく笑い飛ばす二人。それを見て、幾分か若輩者に見えるカクが割り込んで言った。

「そういえば、ジャブラはどうした」
「ン、あァ、そういやァおめさんの屋敷に行くと言ったっきりだなァ」
「わしの屋敷に?…なんとも間が悪いのう……まぁいい、今日はお主たちに用事があってのう。……少し話を聞いてもらえんか」

 其処から続くは、これまでの経緯と輪入道の行方への問いかけになるが、彼らの表情は険しさを見せる。輪入道とは人の魂を食らう者だと先に聞いたが、彼らをもってしても難色を示すような妖なのだろうか。不思議に思っていると髭の無い顎を摩るクマドリが険しい顔のまま膝を折ってしゃがみ、地面に手をついた。

「なんでェ、随分と物騒な話じゃあねぇか。するってェと、あれかい。心臓を奪い返すということか?」
「あぁ、そのつもりじゃ。ひいてはお前たちに場所を教えてもらいたい」
「別においらは構わねェが、そう簡単に心臓を返すかどうか」
「輪入道が強情張りだからなー、多分返さないと思うぞー」
「いいや、返してもらう。あれはわしのものじゃ」
「強情っぱりなのは烏天狗も負けねェなァ!」

 静かな物言いに、地面に手をついたままのクマドリが笑う。一体何をしているのかと思えば彼の桃髪がウゾウゾと意志を持ったように動き出して、地面へと滑り降りる。地面を這い回り、草木をかき分けて辺り一帯を探り始めたその髪はさながら蛇のようで、生き物のように敏感に動き、地中のわずかな振動や匂いまで感じ取ろうとしている。
 その間、彼の目は閉じられ、全神経を髪の毛に集中させているのが見て取れる。

「ああやって、麻桶の毛は辺り一帯を調べる事が出来るんじゃ」
「辺り、一帯?」
「あぁ。……あとはたたりもっけにも力を貸してもらうかのう。頼めるか、フクロウ」
「チャパパー、勿論だぞー。噂話はおれの得意領域だー。…暴くぞ、暴くぞ!!輪入道の行方を……」

 うぞうぞと足元で桃の毛が動くなか、手持無沙汰を紛らわすよう姿を変えた三つ目フクロウがホーと鳴く。その姿は一本下駄を履いて身長が二メートルを超えるカクよりも二倍近い大きさで、ふかふかとした体はなんだか暖かそうで、触り心地がよさそうに見える。だから、三つ目がぎょろぎょろと動く合間にも、柔らかそうなその見目に魅かれて手を伸ばしたのは魔が指したとか、そういった感じなのだが……もふりと触れて柔らかさを実感した瞬間、突然ザワザワと複数の会話が頭に流れ込んできた。

「輪入道、ああ、輪入道」
「あいつはおれの倅を」
「奴はいつも海から遠い山道を歩いている」
「奴は自身に灯す火が消されるのではないかと海を恐れているのだ」
「輪入道、ちくしょう、あいつは峠で走っていたおれたちの前に現れたんだ」
「あいつが居なければ私はまだ」

 決して独り言には聞こえない複数の会話。ひとつひとつの声は音の高さも喋り・訛りも異なり、それが妙に不気味に思えて手を引いてカクの後ろへと隠れたが、頭の中には余韻が残る。それを見てカクは笑いを落とした。

「勝手に触るからじゃぞ。……奴の二つ名は、噂好きのフクロウ。フクロウは恨みを残したまま死んだ霊を取り込む妖でのう、それを使って取り込んだ幽霊たちに情報を集めるんじゃ」

 ま、体よく言えば情報屋みたいなもんじゃなとカク。

「取り込んだ幽霊…じゃあさっきの声は……」
「むむ……っ輪入道についての情報をまとめると、海から離れた峠道…それも人間たち走り屋のいるところによく出るみたいだぞー」
「走り屋?」
「多分、車とかバイクに乗って峠道を走る人たちの事じゃないかな」
「ああ、あの山で騒いでおる連中のことか」

 この辺りで言うならば、丁度十キロほど離れたところに該当する峠道がいくつかある筈だ。ともすれば其処を虱潰しに当たる事になるだろうが、其方に行ったとして運良く会えるかどうか。アネッタは窮鼠・スパンダムから借りた地図ひとつを広げると、風の噂で聞いていた走り屋が居る噂の峠道を、カクは自身の目で見た走り屋のいた峠道を示すが、その距離間は二キロほど。少し距離が離れている。この二つを見に移動するのは大変そうだ…。そう二人で顔を見合わせて息を吐くと、最後に答え合わせをするようにウゾウゾと髪を動かしていたクマドリが、髪を束にして南方を示した。

「あ、さァてさァて、どうやらァ、最後に居たのはこの方角にある峠のようだァ、なァ~~」
「ふむ、アネッタが言っておった峠の方か……」
「……でもこの峠道って結構遠いよね、どうやって行く?」

 流石にタクシーを使うわけにはいかないよね、とアネッタ。まぁ、そもそも妖がタクシーを使って、丁度よく峠道で下ろしてもらえるのかは懐疑的だが、流石に十キロともなれば呑気に歩く距離ではない。かといって、黒翼を持つ彼に背負わせるのも。
 そんなことを悩んでいると、三つ目のフクロウが主張するように翼を広げて背を示す。

「チャパパ…そのあたりならおれが乗せていってやるぞー」
「おお、そりゃありがたい!」

 そうしてフクロウの背に乗って、耳元でちらちらと怨霊たちの恨み節を聞きながらクマドリの指す峠道へ。クマドリも少し気になる事があると言ってついてきたのは意外だったが、輪入道と対峙したときには穏便な話し合いでは済まないだろう。戦力が増えたと考えればこんなに喜ばしい事はないが、峠道へと降り立った一行は、不自然に影を落とした道に違和感を覚えて足を止めた。
 まるで太陽がその場所だけを拒絶しているかのように、冷たく暗い影が道を覆っている。どこからともなく聞こえる「いつまで、いつまで」という不気味などよめきが、風に乗って耳を擽り、ザアザアと吹き始めた風が一行の心を冷やしていく。灰色の曇天が辺り一帯を覆い尽くし、アネッタは怯えながら隣に立つカクに身を寄せ、震える声で尋ねた。

「……っい、いつまでって何……?」

 いつまで、いつまで。どこからか聞こえる声は加工音声の用に多重に重なった低い声で、それが不気味に思えて仕方がない。しかし答えを求めてチラリと見上げた妖の三人は存外険しい顔を崖に向けており、「お前には、ちと辛いものを見ることになるかもしれん」そう言って、ひとり歩き出した。

「辛いもの……?」

 カコン、カコン、カコン。
 一本下駄の音に、来訪を報せるような錫杖の音。彼が歩き出した先は峠道の丁度カーブに差し掛かった頃合い。しかし、そこにある筈のガードレールが不自然になくなっており「いつまで」と嘆く声はその下から響いているように思うが、このカーブ地帯にガードレールが無い状況は危険すぎる。

「クマドリさん、下に移動する前にガードレールを引き上げることは出来ないかな」

 多分、この下に落ちる人が増えちゃうと思うの。そう話すとクマドリは険しい表情を和らげ、大きな手のひらで頭を撫でる。その手があんまりにも大きいものだから、綺麗に整えた髪の毛は一瞬でぐしゃぐしゃになってしまったけれども、彼の話す言葉は喜び、弾んでいる。

「お前さんはおぜえ子利口な子だ、カクがしこる夢中になるわけだなァ!」

 まぁ、いまいち現代では使わない言葉があったので、それが何を意味しているのかは分からなかったが協力してくれるのであれば何よりだ。そうして得意の髪を使い崖下にあるガードレールを引き上げて、適当に直す。目印替わりにあえて縦に刺したのは目立ちすぎると思うが、あとの仕事は専門職の人間たちが行うべきであろう。役目を終えたアネッタは、彼らに手を貸してもらい崖下に降りると、木々を押し倒した先に倒れた大きすぎる車輪に息をのみ、もう一度カクの袖を引いた。

「……これが、…輪入道?」

 輪の中心にある、男の顔。そこに炎は無いが、おそらくはこれが彼らの言っていた輪入道なのだろう。木の車輪はところどころ折れており、それが生命の終わりを示すように輪入道はぴくりとも動かず、それを嘲笑うようにいつまで、いつまでと鳴く鳥たちが木々の暗がりから翼を打ち鳴らす。

「……以津真天いつまでがおったので誰かが死んでおるとは思っておったが…まさか人間ではなく輪入道が死んでおるとは思いもせんかったわい」
「以津真天…って、このいつまでーっていってる奴?」
「あぁ、奴は死体の近くでいつまで放っておくのかと報せる鳥でのう」
「チャパパ……輪入道が死ぬなんて聞いたことないぞー、陰陽師の仕業かー?」
「いやぁ、陰陽師なんてこの現世にはもうおらんじゃろ」
「……どうにもキナ臭ェなァ、人間の匂いが無えとは」
「妖同士での衝突とはここ最近ではあまり聞かんからのう……まぁ、戦いもなく心臓が手に入った事はいいことじゃが、……どうにも話が出来すぎておらんか」

 スパンダムの屋敷で定着化への糸口を見つけ、一日足らずで目的のものを得る事が出来た。しかしあまりにも物事が上手く行き過ぎているように思えてならない。万事物事が上手く行く事はあれど、こうもイレギュラー続きの対応が少しの挫折もなく、つつがなく終わるものか。
 それこそ、まるで、何かに誘われているような。……しかし、先のとおり此処に訪れる事になったのは偶然だ。事の始まりであるスパンダムがわざわざ回りくどいことをするようにも思えない。ともすれば、まだ何かが裏で手を引いている事を疑うべきか、それとも今は彼女の心臓を無事に回収できると喜ぶべきか。カクは暫く考えた後、不安そうな表情を浮かべる彼女の頬を撫で、錫杖を振るう。
 暗がりで振るわれるそれは木々の合間から差し込む光を受けてきらきらと光り、最後に輪入道の頭部を叩くと終わりを告げるよう環和の綺麗な音が響き、ずるりと身体から抜け出した青い炎が三つ、カクの手へと昇り、輪入道の身体が透けて、消えていく。光の粒子はまるで蛍の光のようで、天へと昇るのは、文字通り、天へと旅立ったと言う事だろうか。アネッタは光たちを見送り、輪入道が消えたことでぽっかりと開いた空間を見渡して、彼の手に収まる炎を見た。

「……これが、私の魂?」
「ああ、食われてしもうた残りの魂じゃ」

 そう言って、一つ、また一つ、最後の一つと口の中へと納めていくカク。その光景は思わず呼吸を忘れるほど美しい光景で、長い睫毛が下を向いた後、青い炎を受けて青い光を宿す。全て残らず炎を食した彼は、またあの時のようにホウと息を吐き出したが彼が魂を食せば、それに続くは彼女のなかにある妖魂の誕生だ。アネッタは途端に心が満ち足りていくように困惑したが、同時に襲い来る猛烈な眠気と、頭の中を巡る過去の記憶にふらつきながら体勢を崩し、身体を支えて抱き寄せるカクに尋ねた。

「………ど、うして、カクが……おか、あさんと…おと、……う、さんが死ぬときに……いたの…?」
「うん?」
「……なん、で、カク、が……」
「……ああ、思い出してしもうたか」

 そうだ、あの時、カクと初めて出会ったのは両親が亡くなったあとのこと。彼は泣いているところに突然現れて、お兄ちゃんだあれと尋ねる少女に驚いた顔を向けていたが…そもそもどうして彼は傍にいたのだろう。抜け落ちた記憶の端にあった、彼との初めての出会い。しかし、その答えを求めるにも酷い眠気は身体の力を奪うようで、目の前がぐにゃぐにゃと歪んで霞みがかっていく。
 アネッタは咄嗟にカクの袖を掴み、問いかける。
「なんで」「どうして、カクが。」彼は応えない。それどころか手甲をした手は眠りを煽るように眼元を手で覆い隠すと、「また、後で話そう」と囁き伝えて、ゆっくりと意識を落とす彼女の体を支え、抱き上げた。


 ホー、ホー。辺りに残された輪入道によって生み出された地縛霊たちを、たたりもっけが身体の中へと吸い寄せる。その間、待ちぼうけのクマドリは眠りに落ちたままのアネッタを見て「きちんと腹を割って話をすんだぜ」と言い、カクは言葉も無く息を吐き出した。