「ねぇ!生きるか死ぬか、賭けてみようよ。私は生きる方にしようかな――」
白く息が凍り付く此処は積雪期を迎えた山岳地帯。この先にある解放軍の潜窟に向かう途中、足元をころころと小さな雪玉が落ちていくのを見た。靴へとぶつかった雪玉は、またころころと集団を引き連れて転がり落ちてゆく。一体何だと思い、前を歩くアネッタへと視線を向けたその時、突然鈴の転がすような声が弾んだかと思うと、振り返るアネッタの瞳がわしを捉えた。
「何を言って」
言葉が途切れる。それはぬうっと伸びた彼女の手がわしの首を捕えたからだ。突然のことに息が詰まるも、抵抗する間もなく身体が地面へと叩きつけられた次の瞬間、ドオッと波が押し寄せるような、腹に響くほどの音が響き目の前が暗くなった。
先ほど転がってきた複数の雪玉が兆候とするならば、この音は恐らく雪崩によるものだろう。波が押し寄せてくるような音が自分の真上を通ると、辺り一帯はしんと沈黙に飲まれて音が消える。だが、本当にこれは雪崩なのだろうか。雪崩に巻き込まれたにしては雪に埋もれたような感覚も、肌を突き刺すような冷えも無く、恐る恐る瞼を開くと目の前にあるのは白銀の雪ではなく小麦色。それがアネッタのもので、目の前に小麦色が広がっているのも、彼女から押し倒されているからだと分かったのは、実に数秒後のことだった。
「生き延びたみたいだね、翼シェルター大成功だ。」
アネッタはわしを見て、ネタバラシだと言うように零す。
成程、どうりで違和感があるわけだ。改めて見渡した此処は、薄暗い。それでいて多少の身動きが出来る程度に空間が広がっているのは、先で翼シェルターと言ったように、背に竜の翼を伸ばしたアネッタが、繭を作るように自分たちを覆ったからだろう。ただ、雪を一手に引き受けたことで存外余裕がないらしい。爬虫類のような縦長の瞳孔は普段よりも細くなり、首筋には彼女の正体である竜の鱗が浮き出ていた。
「……わしを庇ったのか」
「まぁ、それなりに」
アネッタははぐらかす。回答によってはわしが怒ると知っているからだ。
「どうしてお前は……こうも無茶をするんじゃ…」
「そりゃあ、命が懸かっているからね」
「回避する術はいくらだってあったじゃろう」
「無いよ。剃も間に合わなかった…こうするしか思いつかなかったのよ」
「だからって、お前が無茶をしては―――」
「カク」
アネッタは静かに、けれども威厳をもって名を呼んだ。
その顔はいつもの穏やかさなんてものはない。厳粛な顔だった。
「あんまり喋ると、酸素が無くなるから黙った方がいいよ」
彼女の言う事は尤もだ。雪で埋もれた此処は酸素が薄く、冷えた身体は低体温症を引き起こす。十分に呼吸ができるほどの空間はあるといえど、雪崩での死因の殆どが窒息だ。無駄に喋って自分の首を絞める必要はない。――とは理解している。だが、自己犠牲の精神で守ろうと行動する彼女を見て納得できるほど、わしは大人ではなかった。現に彼女の顔は青白く、触れた彼女の頬や首筋は恐ろしく冷えて、まるで死人のようだった。
その一方で幼馴染の彼女からすれば、自分の思いなんてお見通しなのだろう。顔をみたアネッタは眉尻を下げて困ったように笑っていた。ただ、それでも彼女は引かなかった。頬を撫でる手のひらに一度だけ頬を摺り寄せた後は手を重ねてやんわりと握りしめると、自分の胸元へと導いて手のひらを押しあてる。彼女の胸元もひんやりと冷たくなっていたが遠くの方で、とくん、とくんと脈を打つような鼓動が僅かに響いていた。
「…………私は、あなたと同じ人間じゃないよ。……分かってるでしょ?」
アネッタは静かに言う。
いいや、そんなことは分かっている。こうして自分と殆ど似たような形を持っていても、人間ではないことも、本当の姿が竜であることも。
しかしこれとそれとは話が違う。姿や体の造りや強度の話をしているのではないと、なぜ彼女は分かってくれないのだ。
「…聞こえるでしょ、心臓の音。人間よりも力強くて、とても速い心臓の音が。……大丈夫、私は最後の竜人族だもん。そう簡単には死なないよ」
そういって彼女はいつものように穏やかに、茶目っ気を以て笑う。
だから無茶をしてもいいんだと。そう言いたげであった。
それから、話しを切り上げるよう「雪が柔らかいうちに起きようか。」と言って、翼で受け止めた雪を落としながら身を起こすと、視界が開けて白い陽の光が二人を照らす。足跡や道筋は全て消えていた。きっと一緒にやってきた部下達も全員雪に飲まれている事だろう。辺り一帯は、まるでこの世界がリセットされたかのような白銀で、二人だけしかいない空間が、酷く不思議に思えた。
「カク、行こうか。」
アネッタが言う。
なあ、アネッタ。さっきの賭けとは一体なんだったんじゃ。
賭けに勝ったお前は一体何を望みたかったのだ。
そう聞きたかったけれど、己とは明確に違う、金色の瞳が眩しそうに笑って手を伸ばすので、言葉を飲み込んだわしは、彼女の手を取ってゆっくりと立ち上がった。