中華街大通り入口にある牌楼の善隣門で、今が話題と言うには旬が過ぎた、ハリネズミまんとやらを買わされた。個数は二つで、一つは俺の。なのに、この女ときたら「はい、渡辺にもあげるよ」なんて、さも自分が買いましたって顔で店員から受け取ったものを差し出してきた。
思わず目つきが鋭くなったが、彼女はそれでたじろぐ事はない。それどころか、平然とした顔で「いらないの」と尋ねるので、財布を尻ポケットに突っ込んだ後に受け取ると、口元へと運んだ。――が、出来立てのせいで熱いのなんのって。
その上、中に入ったカスタードは温かく、そのお陰で口通りも滑らかではあるものの、甘さが強調されたそれは口の中いっぱいに広がっていく。
「あ……っまいなこれ」
「そりゃそうでしょ……ってあれ、渡辺って甘いの苦手だったっけ?」
「好きとまではいかねえな」
「へー……なんか…あんぱん食べてるイメージあるのにね」
「それ、張り込みのデカのイメージだろ」
「んはは」
くしゃりと握りつぶした包み紙。隣でも同じように平らげたようなので包み紙を受け取って、二つをそこいらにあったゴミ箱へと入れると、「じゃ、帰ろうか」と言う〇〇の肩を掴んだ。
「食い逃げは現行犯逮捕だぞ」
「やぁねえ、冗談よ」
「は、どうだかな」
お前のことだ、俺が止めなかったらそのまま帰っただろうに。言いかけた言葉はひとまず飲み込んで、代わりに「とりあえず」と一言差し込むことで彼女に傾いた流れを引き戻す。
「少し歩くぞ」
いくら日が暮れているとはいえ、常に観光客で賑わっている中華街でこの先にある話をするのは気が引ける。そうして、中華街から少しばかり歩いて、山下公園へと向かった俺たちは、休憩にと集まったカップルを横目に海側の歩道を歩く。遠くに見える眩いほどのネオンで存在感を示す観覧車は、ちょっとした灯り替わりにもなっていて、海側の手すりに身を寄せた〇〇はそれをぼんやりと見ているようだった。
「……それで、お前に頼んだ二十五年前の事件のことだが」
彼女の隣で問いかける。少し離れた位置ではカップルたちがいちゃついてるってのに、なんとも色気の無え会話だが、今は星を追う刑事なのだから仕方がない。〇〇も「カップルたちの前で嫌な会話ねぇ」と笑っていたが、すぐに感情を切り替えるように小さく息を零すと、胸元にあるポケットから一枚の写真を取り出して、話を切り出した。
「……その前に、一つ言っておくわね。私も警告を貰っている身で、今までほど協力してあげられないかも」
「警告?」
「えぇ」
彼女が差し出した写真には、〇〇の姿が映っていた。恐らくは盗撮写真だろう。遠くから取ったような写真はいくらかぼやけており、彼女の視線は他所を向いている。一体誰の仕業かは分からないが、態々この場で出したのだ。俺が彼女に依頼したことが起因していることは間違いなさそうだ。
「……上層部といい、この事件はどうにもキナ臭いな」
「えぇ、……一体どこから情報が洩れてるのかは分からないけれど、全く面倒なことね」
そこまで呟いた後、もう一度息を吐き出した〇〇は身体を反転させて背中を手すりに預けると「事件があったのは二十五年前の工事現場。場所は把握してるわよね、渡辺くん?」そう言葉を掛ける。
「あぁ」
「……そこで、消防署へと火災の通報が入り、消防隊員は救急車と共に現場へ。しかし、工事現場からは火が見えず、数名の消防隊員が工事現場へと入るとそこには発煙筒がいくつか転がっており、その先に遺体があった…と。しかしこの事件に関しては、早々に捜査打ち切りで未解決。巷では、警察関係者が犯人ではないかと言われているようね」
「……担当刑事は?」
「沼黒五郎、冨久大輔……あとは田沼源治」
「……どれも今はお偉い上官様か」
「えぇ、他にも大中源蔵という人もいたけれど、彼はもう亡くなってたわ」
「……」
「……渡辺、もしかして御子柴殺しはこれを模倣しているんじゃないか…って思ってる?」
「あぁ、正直状況が似すぎている。模倣じゃなくて、同一犯もあるんじゃないかと思ったが」
「御子柴殺しもまだ証拠が見つかって無いものね」
つい先日起きた、御子柴弘殺害事件。いまだ情報は掴めていないが、先のとおり、工事現場で発煙筒を態々焚いたことや、二十五年前の犯行現場と近しい場所で起きたこの事件は、偶然というには重なっていることが多いように思う。
そこで、一度見たことは忘れないと言う瞬間記憶能力、カメラアイの持ち主である〇〇を頼ったわけだが、彼女の見解は違うのかもしれない。彼女は言葉を付け足すように「ちなみに、関係者のご子息も、ご息女だって全員五十を過ぎてるわ」と呟いた。
「関係者絡みというには、年を取っている…ということか」
「えぇ、それに警察がらみでようやくもみ消した事件をもう一度再燃させる理由は何?リスクは高いし、何より御子柴弘は二十一歳。事件当時はこの世に存在すらしていなかったわ」
確かに、当時の事を知る人間を同じ状況で殺すというのは分かるが、当時の事も知らないような若者を、それも当時の事件も掘り起こされる可能性もあってもなお殺す理由とは一体何なのだろうか。
絶対に可能性はない。
刑事という立場上、そう言い切る事は出来ないが、可能性としては限り無く低いそれ。その場で腕を組み、思案を巡らせてはみたが、当然その場で全ての答えをはじき出すほどの名推理は出来やしない。
隣で俺の名前を呼ぶ〇〇に向けて、「あぁ、悪い。助かったよ、ありがとな」そう礼を伝えると、彼女は長い睫毛を伏せて視線を落としてやけに歯切れ悪く呟いた。
「別にいいけど……あぁ、いや、……一つ頼みたいことがあるのだけれど、いいかしら」
「あ?もう奢ってやっただろ」
「何よ、あれだけで済ませようって?」
「…お前…ほんと強欲だな……まぁいい、なんだよ、今度は何をしてほしいって?」
「……あの、…、……」
どのようなことが起こっても平然としているような、言笑自若という言葉がぴたりとあてはまるような、そんな女が言い淀んでいる。その光景がやけに珍しく、続きを促すよう「なんだよ」と尋ねると、彼女は表情を曇らせた後、踵を返した。
「……あー……、いや、なんでもないの。それじゃあ、私はもう行くわ」
その瞬間、考えるよりも先に出た手が、〇〇の手首を掴む。
彼女の手は、驚くほどひんやりとしていて、俺が掴んだ瞬間体が強張ったように思えた。
「おい、」
「……何よ」
「お前、本当に大丈夫か?」
「え?」
「……じゃなきゃ、プライドも高え可愛くねえ女が、俺に頼みがあるなんて言わないだろ」
お前が頼みがあるなんて言ったの、初めて聞いたぜ。
そう言葉を続けると、彼女は僅かに瞳を揺らす。そう、彼女が俺に対して何かをお願いするときはいつも唐突で、殆どが押し付け事だ。それを態々頼み事があるだなんて前置きをして言ったことは記憶にない。
だからこそ、俺はもう一度訊ねた。
「なぁ、本当にいいのか」
そうして聞き出した彼女のお願いごと。それは携帯に搭載された緊急連絡先に、俺の番号を登録をさせて欲しいという内容であった。彼女いわく、俺に迷惑をかける事にはなるが、此処に登録しておけば自分の身に何かがあった時、一番に分かるだろうということだが、彼女が最悪の事を予期しているのだ。俺が思っているよりも事態は深刻なのかもしれない。
もちろん、彼女のお願い事を聞く事は良しとして、はたしてこの頼りない細い手首を離しても良いものか。〇〇は多少安堵していたが、何かが引っかかる。何か、このまま離してはいけないような。そんな違和感であった。
「?渡辺、そろそろ離してくれる?」
暫くの沈黙の末、〇〇が不思議そうに零す。
「あ?」
「いや、ずっと握ってるから」
「あー……」
「?なによ、何を悩んでるの?」
「………お前をこのまま帰していいもんか、悩んでる」
「……」
「……なんだよ」
「……私もしかして誘われてる?」
「ちげぇよ馬鹿……ったく、ああ、もういいから行くぞ」
「ちょっと!」
珍しくも〇〇は焦りを滲ませていた。普段は無表情で自分のペースを貫いているのに、全くいいザマだ。そう思う反面、冷静にこの先をどうするかと思考を巡らせる頭。まずは安全な場所を探すべきだが適した場所は一体何処か。俺の家か、ビジネスホテルか。はたまたあの名探偵を尋ねるか。
少し離れたところで「〇〇さんですか」と尋ねる男の声が聞こえる。その瞬間、僅かに〇〇の腕が強張ったように思ったが、此処で反応を示すということは肯定と同義だ。俺たちはそれに返事を返すことなく、気付かないフリをしてその場をあとにしたが、問いかける男はそれ以上追いかけてくることはなく、俺たちは夜に紛れてその場を後にした。