妹は鴨

 セントポプラを出航し、船旅は続く。
 まだ日が高い時間帯。甲板で寝転がったアネッタは、チェス盤を睨みながら白いチェスピースを摘んだ手をウロウロと彷徨わせる。そうして長考の末、意を決したようにチェスピースを右斜めに進めたアネッタは、チェス盤を挟んで向かいに座るルッチへと視線を向けるも、恐らくはそれを読んでいたのだろう。ルッチは間髪入れず「終わりだな。」と短く宣言すると黒いチェスピースを進めた。

「わ”あ”あ”、ま”た”負”け”た”ぁ”…!!」

 負けを悟ったアネッタから、なんともまぁ情けない声が上がる。アネッタはいつもこうだ。勝負ごとには全力で、負けるとこうして声を上げる。素直と言えば素直なのだが、うつ伏せに寝転がったまま、足をばたばたと動かす様子は、さながら小さな子供のようだ。

「ルッチ強すぎるよぉ……」
「お前が弱すぎるだけだ」
「ひん…」

 ぽつぽつと、穏やかで、小さな会話が続く。

「あら、アネッタまた負けたの?」

 そこにやってきたカリファが、しげしげと白いチェスピースが殆ど残っていないチェス盤を眺めて、僅かな笑みと一緒に「惨敗ね」と零す。

そんなカリファを見て、アネッタは優しい姉、もしくは救世主にでも見えたのだろうか。「カ、カリファぁ…」と泣きついたようだが、あれもまた随分としたたかな女だ。泣きつくアネッタをよそに「私も洗濯当番でも賭けようかしら」と言うので、アネッタはとてもショックを受けたような顔を浮かべていた。

「だ、だめ!今日は店じまい!!ただでさえ、ルッチたちからぼっこぼこにされて、この先一週間は洗濯当番なのに…!」
「あら、残念」
「残念…?!」

 それはもう残念そうに呟くカリファが零す横で、海に向けて釣り糸を垂らす釣り組のジャブラが「ぎゃははは!いいカモだよなァ!!」と笑う。

「なんじゃまた負けたんか」

 ようやく洗濯物を干し終えたわしは、うつ伏せに寝転ぶアネッタに跨って、腰の上にどすんと座る。「ぐえ」と蛙がつぶれたような短い音が下から響いたような気もするが、わしの視線はチェス盤に。確かに、チェス盤に残る白いチェスピースの少なさを見れば、いかに惨敗だったのかがよく分かる。

そりゃあもう、可哀そうなくらいに。

「…ふむ、しかし…ちとアネッタが可哀想に思えてきたのう。…ああ、そうじゃ、ルッチ。わしとアネッタでひと勝負せんか。」

 わしはアネッタの腰の上に座ったまま、向かいに座るルッチを見ると、視線が此方に向けられる。おれに何が利点が?とでも言いたげな目だ。

「わしらが勝ったら、今日アネッタが負けて請け負ったものは全てルッチに。ルッチが勝ったら…ふむ、そうじゃな、掃除でもやるかのう。期間は一日……いや、一週間でどうじゃ?」

 まぁ、わしに旨味はないが、賭けるならばこれぐらいのリスクがあった方が面白いというもの。条件を告げた途端、ぴくりと眉を上げるルッチに向けてにこりと笑むとルッチは、僅かに口角を吊り上げて、「ほう?……いいのかカク、負け試合に挑むなんてお前らしくもない。」と煽る。ああ、なんて嫌な男なんじゃ。

「ふん、負け試合じゃと思って挑む馬鹿はおらんわい。」


「チェック」
「アッ!!?」
「なんじゃと?!!!!!」

 予想外の展開にわしらは焦りながら声を上げたと思う。いつの間にか釣りをやめてわしらの勝負を見ていたジャブラは甲板にひっくり返って「ぎゃははははは!末っ子共は弱ぇなぁ!!!」とげらげらと笑っていて、ルッチまでもがわしらを見て僅かに口角を吊り上げている。

「ム…!!今のはたまたまじゃわい!ルッチ!もう一戦じゃ!!」
「つ、次こそは勝ーつ!!」

 少し離れた位置では、「…あいつら元気だな」「ギャンブルによる借金ってこうして膨れるのね」「ア、元気でェ、何よりだァ、なァ!」「チャパパー、おれも何か賭けてやればよかったぞー」そんな穏やかな会話が聞こえる。

 わしらの船旅も飽くなき闘いも、まだまだ続きそうだ。