愛妻の日

 結婚をして暫く経った一月三十一日。パンゲア城の一件を機に、第一線から退いた私は、カクと離れた日々を過ごしていた。

 配属が変わったことで、カクと会えるのは一カ月に一度から、長ければ二か月に一度。それも一緒に過ごせるのは一日から数日間とまちまちで、片時も離れなかった二十年間が嘘のようだと思うことがある。しかしながら、寂しいと口を出すには、心も体も大きくなりすぎた。仕事に忙殺されているカクのことを思うと、寂しいなんて我儘を言える筈もなく、気付けば行ってらっしゃいと言ってから二か月が経っていた。

 そんなある日の深夜帯。突然、カクが帰ってきた。それも、色鮮やかな花束を持って。

「なんじゃ、まだ起きておったのか?ほれ、お土産」

 時刻は深夜零時すぎ。普段ならこの時間帯にはもう寝ている事を知っているカクは、何をするわけでもなく、ソファに寝転がっていた私を見て花束を押し付ける。しかも、照れ隠しなのか分からないが、よりにもよって押し付けられたのは、持ち手でも、花束を包むセロハンでもなく、一番のメインどころである花部分で、強烈な花シャワーを受けた私は鮮やかな花に包まれる。

 いや、包まれるというよりも、食べられたという表現が正しいかもしれない。その証拠に、花束を持ち上げると、いくつかの花が噛み痕でも残すように花びらを頭に残していた。

「わははっ、随分と可愛らしくめかしこんでもらったのう!」

 カクは花びらを乗せた私を見て笑う。一体誰のせいだと言いたかったが、カクはソファに寝転ぶ私へと近付くと、上に覆い被さるように顔の横に手をついて、空いた左手で花びらを掬った。

「ただいま、アネッタ」

 私だけに向けられたカクのただいまは、とても穏やかだった。それに露ほども隠す気がない愛情を乗せた眼差しも、たまらなく嬉しくて、空っぽだったと思っていた心の器が満たされていく。

「……おかえり、カク」

 二か月ぶりのおかえりはへたくそだった。

 もしかしたら、感情が器から溢れた分、声が上擦っていたかもしれない。

「………待たせすぎたかのう」
「……ううん、そんなことは」
「その顔でそれは無理があるじゃろ。……寂しい思いをさせてすまんかった」
「ち、ちがうの、これは……その、」
「……、……たまたま急な休みが取れて帰ろうと思ったら今日が愛妻の日だと知ってのう。…だから、お前の好きな花をと思ったんじゃが、こんなものを用意する時間で帰った方が……お前にとっては嬉しかったかもしれんな」

 花びらを指に挟んだ手のひらが私の頬を撫でる。それから額に押しあてられた彼の唇は、謝罪のつもりか、慰めか。一体どちらなのか分からなかったけれど、カクがあんまりにも申し訳なさそうな顔をしていたので「時間をかけて用意してくれたの?」と尋ねると、カクは少しばかりきまりの悪そうな顔をして「それなりに」と急に愛想を無くした声で言って、目を反らした。

「………私って愛されてるね」

 私はぽつりと呟く。

「そりゃあそうじゃろ」
「それに、カクも愛妻の日に花束を持って帰ってくるなんて健気だ」
「……まあのう」
「……ふふ、……お花綺麗だね」
「そうか、一つ一つ選んだ甲斐があったわい」
「花が好きだってことも、覚えていてくれてありがとう」
「どういたしまして」
「それから、」

 言葉は途切れ、代わりにネクタイを引く。

 加えて、少しだけ身を起こしたことで残っていた距離を縮めて、お互いに一瞬だけ呼吸を忘れるような言葉代わりの沈黙を贈る。カクはその一瞬の出来事に、しぱしぱと目を瞬かせていたが、大きな手のひらで私の肩をソファに縫い付けると「あんまり可愛らしいことをしてくれるな」と零すので、「カク、大好きだよ」と囁いて、これから降り注ぐであろう愛情を両手で受け止めた。