【十五話】キラキラ輝く思い出たちよ!(💎)

 予期せぬ出来事を災いの報せだと言うのは、勇敢な海賊も同じらしい。
 朝方に、ごった返す洗面台にて触れてもいない鏡が落ちた。突然の出来事に、なんだか不吉だと話す船員は、揃いも揃って欠けた鏡を捨てようと手を伸ばすが、欠けたのは一部で下半分は綺麗に残っている。であればこれを捨ててしまうのは勿体ないように思えて、片づけをする代わりにそれを欲しいと強請ると、船員たちはそれこそ槍でも降ってくるのではないかと瞬く。けれども廃棄しようと思っていた鏡を無償で引き取って、さらには片付けまでしてくれるというのだ。これほど楽でありがたいことはない。
 しかし、まさかあの鏡を使って万華鏡を作るとは思いもしなかった。

「万華鏡……初めて聞いたが凄い発明だな」

 万華鏡を覗いて、ジョズが笑う。

 自身の体から欠け落ちたダイヤモンドの屑を再利用される日が来ようとは。鏡同士を合わせるようにした三角形の筒を傾けると、ダイヤの屑がカラカラと中で動き、新しい模様を描く。それも、中にあるダイヤモンドは同じ柄を描く事は一度もなく、美しい煌めきは模様を生み続けている。
 ゆえにこれは素晴らしい発明だとジョズは評したが、彼女は健気だ。アネッタはその万華鏡は自分が開発したものではないと言うと、頬が緩むほどの照れを誤魔化すよう廊下で足を止めて、傷だらけの壁を指した。

「ねっ、ねぇ!いつも思ってたんだけど、どうしてここの壁だけ傷だらけなの?」

 指された壁は一面横傷でいっぱいになっていた。それも爪で引っ掻くなんて可愛い傷ではない。明らかにナイフなどで故意につけられた傷は一面に広がっており、アネッタはその数の多さから異様さを汲み取ったのだろう。ジョズは同じように足を止めて言った。

「あぁ……そいつは記録の壁だな」
「記録の壁?」
「おれたちはそう呼んでいる。ほら、お前の目で視ても分かるはずだ。よく見てみろ」

 その言葉に、アネッタは僅かに言葉を詰まらせる。
 なんとなく、この壁のことを怨念が籠ってそうだと、勝手にホラースポットにしていたからだ。

「うーん……」

 しかし、ジョズは非常に誠実な男だ。嘘をつかれた事なんて一度も無いし、ダイヤモンドを纏う体のように、彼の信念も揺るぎない堅固さを持っている。だから彼が見るように言うのなら、きっとホラースポットではないのだろう。アネッタは恐る恐る壁の方へと足を伸ばして近付くと、横に線を引くよう傷つけられた壁を眺め、傷一つ一つに掘られた文字の羅列に目を丸くし、ジョズを見上げながら尋ねた。

「これ……もしかして身長の記録?」
「あぁ、特に決まりはないんだが、前はこの壁の向かいにある部屋が医務室でな。身体検査なんかをやった日には待ち時間に此処で身長の記録を残していたんだ。……まぁ、大所帯だから気付けばここまで増えてしまったわけだが」
「そ…そういうことかぁ…!…わたし、一種のホラースポットかと勘違いしてたよー…」
「ホラースポット?そりゃまたどうして」
「だって遠目にみたらひっかき傷が無数に壁にあるんだよ?怖いじゃない」
「はは、そういうことか!」

 恰幅の良い体がゆらゆらと揺れて声を弾ませる。まぁ、アネッタからすればホラースポットが一つ消えただけ有難い事だが、一面の横線すべてが記録だと言うなら、随分と記録を残したものだ。今はその慣習が無くなってきているのか、新しい傷はあまり見ないが試しに自分と同じくらいの身長の人はいないだろうかと見てみると、見知った名前を拾う。
 ジョージに、アーノルドに、新しいと思われる彫り痕はライラックだろうか。加えて自分よりも下の目線には、マルコという文字があり、アネッタは指でなぞる途中に見つけた文字に瞬き、そして尋ねた。

「……ねぇ、このマルコ、って…あのマルコ?」
「ん……あぁ、そうだな。我らが船医のマルコのだろうな。おれたちは子供のころからこの船にいるから、その分記録は多い筈だ」
「へー……あ、本当だ。こっちにはジョズってかいてある!」

 こっちにも。わあ、こっちにも!先ほどまでホラースポットだなんだと言っていた女が、いまは楽しそうに目を輝かせている。それが微笑ましいやら、面白いやら。一体なに目線なのか、アネッタが「ジョズ、大きくなったんだねぇ」と零すと、ジョズは噴き出して笑った。


「……此処に」
「うん?」
「此処にある名前のなかには、もういない人もいたりする?」

 ひとしきり笑い終えたあと、アネッタがぽつりと尋ねる。
 日々の戦闘などを目にしている彼女が尋ねたのは、傷に並ぶ文字列に、覚えのない名前が多いことを違和感として捉えたのだろう。ジョズは古ぼけた傷を見て、誤魔化すことなく呟いた。

「……、……あぁ。理由は様々だが、戦死しちまったやつがいれば、船を降りたやつもいる」
「そっか」

 ゆっくりと瞬く瞳。悲しんでいるのか、恐怖しているのか、一体何を考えているのかは分からない。ただ、隠し立てることだけが優しさではない筈だ。ジョズは無理に声を掛けることもなく、隣に立ったままの彼女を待つと、アネッタは首に下がるアクアマリンを両手で包み込むように握り、尋ねた。

「私は戦えないけど、それでも、もしも戦わなければならない日がきたら……どうすればいい?どうしたら役に立てる?」
「どうすれば、……また難しい問題だな」
「私はまだ戦う能力も、そもそも力も無いから……でもみんなの邪魔にはなりたくないの」

 この船に居る限り安全でも、彼女が求めている答えはそれではない。
 マルコやサッチが聞けば、お前は何もしなくてよいと、下手すれば戦いだすといいかねない彼女に前のめりになって止めそうだが、あえて自分に尋ねたのはそういった答えを求めていないからだろう。ジョズは彼女の意志を汲み取り、視線を落とす。それから記録の壁にある古い横線と名前を見た後、そういえばこの船に乗船したときには、ろくに戦ったことのない少年であったことを思い出す。
 あの時は、食べ物に困ってよく林檎を盗んでは追いかけられていたっけ。

「そうだな……おれがキラキラの実を食べたのはもう随分と前になるが、それでも乗船した頃はお前と同じように無能力者だった。……ただ、その時の最善を尽くしていたと思う」
「最善?」
「あぁ、難しく考えると次はどうすればよいかと記憶を引き出す時間が必要になるだろう。だから、記憶を引き出すのではなく、その時の最善を考えるんだ」
「最善……」
「……まぁ、それが最善だったかは終わりにならないと分からないがな。ただ、それでも役に 立ちたいと考えると欲が孕んで視野を狭めてしまう。だから役に立ちたい、ではなく、その時の最善を尽くすという考え方は無駄な行動をある程度省いてくれるはずだ」

 ううむ、説明が難しいとジョズ。彼女に武術の心得があれば、手合わせなどで教えてやれるが戦えもしない、その経験すらも無い女相手に教えるのは、なんというか漠然としすぎているのだ。
 とにかく机上の空論感が否めない。

 しかし、意外にもアネッタは「最善を尽くす」と要点を復唱すると短く返した。

「そっか」
「あぁ」
「私にも出来るかな」
「出来るさ、お前にも」
「…本当?」
「あぁ、お前はほかでもない白ひげ海賊団の末っ子だからな」

 その言葉に瞳が瞬いて、笑う。私ね、白ひげ海賊団の末っ子って言葉、結構好きなんだ。そう声を弾ませるアネッタは、間違いなく前を向いていた。


「……、……ねぇ、此処に私の記録を残しちゃだめ?」

ぽつりと、アネッタが尋ねる。

「構わないが、急にどうした?」
「だって此処は白ひげ海賊団の歴史でしょ、だから此処に私の記録を残したら私が此処にいたんだよって証拠になるじゃない」
「……、……そうだな」
「あ、でも、単純に私もみんなと同じことをしたいだけなのかも」

 私も、みんなみたいに大きくなれるかな。彼女の瞳が愛おしそうに傷を見て、小さな手が壁を撫でる。それはただ、いつかの別れに向けた悲観的なものではないと柔らかな表情が語っている。ジョズは「どれぐらい大きくなりたいんだ」と尋ねながら指先をダイヤモンドにコーティングすると、壁に合わせてぴったりと背を合わせる彼女の頭を撫で、それから爪先でガリガリと揃いの傷と、名前を残した。