「ほら、これでおしまいだよい。」
物資の積み込みで慌ただしい甲板の隅で、船医見習いのマルコが少女の頭を撫でる。
少女は孤児なのか、小さくやせ形で、汚れた服を着ていた。ハーフパンツから伸びる足は靴を履いておらず、顔には汚れと傷跡があり、膝周りに巻かれた真っ白な包帯が衣服と対比をなすように、浮き出て見える。一方で左のこめかみ部分に連なる三本角や、爬虫類のように縦長に伸びた瞳孔を見るに、少女は人間ではない種族、あるいは人間とのハーフなのだろう。少女は陽の光を受けて金色に煌めく瞳を此方に向けると、目元を細めた。
「ありがとう、おにいちゃん」
少女は鈴を転がすような声で言い、人懐っこく笑む。孤児にしては、随分と人懐っこい性格をしているようだ。甲板に手をついて立ち上がった少女は、膝が痛むのか、足を気にするようにひょこひょこと足を引くようにしていたが、普段よりも慌ただしい甲板を見ては「いっぱい人がいるねぇ」と呟いていた。
「しっかし、嬢ちゃんはどうやって此処に紛れ込んだんだ?」
そう、此処で少女の手当てをしていたのは、何もおれやマルコが街から連れ帰ったからではない。気付けば此処にいたのだ。
モビーディック号は数ある海賊船の中でも最大級の船と言われている。乗船人数を考えても、海賊業界でも屈指の大きさといっても過言ではない。だから、誰の目にもつかずに此処にいた少女を見ておれたちは幽霊ではないかと驚いたし、その幽霊と思われた少女が目の前でずっこけた上に、膝を擦りむいて泣き出した時には二重で驚いた。どうして幽霊でもない、こんなどんくさい子がこんなところまでやってこれたのだろうと。
「あのねあのね、おっ……きいお船だったから、中みたいなーっておもってついてきたの!」
「ついてきた…ってまぁ、確かにこのモビーディック号は大きいけどよ」
興味本位でやってきたには、どんくさいように見える少女。理由もいまいち腑に落ちないが、少女の興味はおれの言葉を拾ったことで別に向いてしまったらしい。「モビーディック号?」と呟く言葉の語尾は跳ね上がっている。
「この船の名前だよい」
「?、船に名前があるの?」
マルコが言い、それを受け取った少女が不思議そうに言葉を返す。いまいち理解できていないようだ。
「そう、嬢ちゃんにも名前があるだろ?」
「ある……」
「だろ?嬢ちゃんやおれたちに名前があるようにこの船にも名前があるんだ。それがモビーディック号」
「もびーでぃっくごう……」
「ついでに言うとおれはサッチ」
「おれはマルコだよい」
「サッチおにいちゃん、と、マルコおにいちゃん……?」
「そ。……それで、嬢ちゃんの名前は?」
「わたし?わたしは――」
嬢ちゃんが言いかけた瞬間、それを遮るようにしてグウウウっと大きな腹の音が響く。
名前を聞いたのには理由はない。ただ、嬢ちゃんと言い続けるのは何となく距離が遠いような気がしての発言だったのだが、彼女の本能がそれを遮るのならば仕方ない。少女はぱちぱちと瞬きを繰り返した後、恥ずかしそうにお腹を押さえると「こ、これは」と言葉を濁らせる。
ふと、彼女の耳が赤くなっていることに気付く。こんなに小さいくせに、一丁前に羞恥心があるのかと思うとなんだか面白くて「ぷっ……ははははは!そうか、嬢ちゃん腹減ってんのか?」と問いかけると、少女は視線を落としながら、気恥ずかしそうな顔で頷く。
まぁ、そりゃあそうか。身なりを考えればすぐにでも分かることだ。それを笑っちゃ失礼かとおれは口元に手を当てて、わざとらしく咳ばらいをすると、隣に立つマルコへ「マルコ、まだ船出るまでは時間あるよな」と尋ねた。
「あぁ、あと半日はここに居るはずだよい」
「じゃあ折角の縁だ。おれっちが飯でも食わせてやるよ」
「…!ほ、ほんとう…?!あ、で、でもお金……」
「食わせてやるっていったろ、金なんてとらねぇよ。それに、こう見えてもおれはこの船のコックなんだぜ?」
「コック見習いみたいなもんだろい」
「船医見習いのお前に言われたくねえ!」
まったくマルコのやつ、余計なことを言いやがって。
そうして、おれは嬢ちゃんの手を引いてギャレーと呼ばれる船内調理場へ。流石に調理場の中へは連れていけなかったのでマルコに彼女のことを任せたが、彼女はお利口に椅子に座って船内をきょろきょろと見渡して、あれは何これは何を質問攻めをしている。
ならば、おれは調理に集中だ。さて、彼女には何を食わせてやろうか。手足の細さや、孤児であることを考えるに栄養のあるものを食べさせてやりたい。といっても、物資の積み込みが完了していない冷蔵庫の中は、くず野菜に、残り少量となったパスタ、肉の切れ端と、まぁ酷い有様であった。何か食わせてやるよなんて上から目線で大口叩いておいて、出せる料理なんて限られたものじゃないかと息が落ちる。
「まぁ、嬢ちゃん一人分ならどうにかなるか……?」
野郎共の飯ともなると難しいが、あの小柄な子供一人分ならば。
分量を考え、小鍋に水を張り火にかける。水を沸騰させる間に、次の準備・工程に。料理は手早く、効率的に。これは料理長が口癖のように言っている言葉だ。それにならって、まずは形の悪く小さい人参は千切りに、ピーマンは種を抜いて輪切りに。それから何故か三分の一しか残っていない少し乾燥しているたまねぎはくし切り、……ではなく、子どもでも食べやすいよう薄切りに。あとは脂身の多い肉の切れ端を脂身と赤身で切り分けて、ついでに冷蔵庫の奥に転がっていたウインナーひとつを輪切りにすると、はじめは切り分けた脂身をフライパンに放り込む。
火をかけて、脂身がじわじわと溶けだしていく様子を横目に、隣でぼこぼこと沸騰する鍋にパスタを一人分、ばきりと真ん中で折って鍋に入れて、塩を入れる。ぐーるぐーるとかき混ぜパスタにあるでんぷんが糊化してくっつかないようにしてから手を止めると、次いでは火にかけたままのフライパンへ。溶けだして透明な油をフライパン全面に広げ、脂身の残りカスを抜き、代わりに野菜や輪切りになったウインナーたちを流し込む。
こちらは焦げ付かないよう、手早くフライパンを揺らして、くたくたになりすぎないよう野菜がしゃきっとした状態で火を止めると、ケチャップにウスターソース、だし汁としょうゆ・みりん・水なんかを混ぜた――いわゆるめんつゆを適量入れて絡めていく。ああ、ふわりと上がる香ばしさとケチャップの匂いが食欲をそそる。
あとは茹でたパスタの水気をよーく切って、そこに投入して絡めるだけ。時間にしてそう時間はかかっていなかったと思う。その証拠に「はいよ、おれっち特製スペシャルナポリタンだ」と少女の前に出してやると、少女はえらく驚いたような顔で「もう?!」と言っていた。
「ふわぁ………おいしそう……ほんとうにいいの?」
少女は申し訳なさそうな、控えめな声色で言うわりに、目をきらきらと輝かせながら言っていた。そのちぐはぐ感が面白い反面、子供が遠慮なんてすることないだろうにと少しだけ寂しい気がして、「むしろ冷蔵庫を片づけるために作ったってのもあるから、食べてくれるとおれとしては有難いんだよな~」と茶目っ気たっぷりにウインクを飛ばす。すると少女は何か悟ったようにハッとしたような顔を向けると、目の前に置かれたフォークを手に取って「…!い、いただきます!」と声を上げた。
少女はフォークで麺を持ち上げて頬張る。余程お腹が空いていたのだろうか。女の子だっていうのに口いっぱいにケチャップを付けて食べる姿は面白いやら呆れるやら。服が孤児のように汚い割りに、フォークの持ち方がきちんとしている事は多少引っかかるが、それでも、こうしておれみたいな見習いの飯を、美味しい美味しいと食べてくれる様子は気持ちが良いし、何よりも嬉しい。おれは彼女の口回りをタオルで拭ってやりながら「あーあー、ケチャップまみれだぞ」と言うと、「だってこんなにおいしいごはんはじめてたべたんだもん!」「たまねぎがしゃきしゃきでー、ピーマンもにがくなくって!」「あとにんじんがあまくて」「あとねあとね」と彼女は何か感情が抑えられない様子で言葉を重ねるではないか。
言っていることは拙くて、ようは美味しいってことしか言ってないのに、それでも心がこそばゆくなるのは、彼女の表情がそれが本心であると語っていたからだろうか。
「はは、子どもってすげぇねい。感性で褒めてるんじゃねぇか?」
隣で、テーブルに肘をついたマルコも笑っている。
「いやー……本当に、大人になってこんなに褒められることないよなぁ」
「あぁ、全くだ」
おれ達の言葉に少女はどういうことだろと不思議そうな顔をしていた。けれど、むぐむぐと口いっぱいに入ったナポリタンを飲み込むと、また嬉しそうに何度も何度も感想を述べてはにこにこと笑っていた。
そうして、食事を終えて、口回りを綺麗に拭いたあとに別れの時がやってきた。いつまでも彼女をここに置いておくわけにはいかないからだ。そして、それを少女も分かっているのだろう。少女は甲板まででいいからと手を繋ぐと降り口で足を止め、もう一度だけ慌ただしい甲板を見渡した。
「お兄ちゃん……この船はどこに行くの?」
ぽつりと嬢ちゃんが呟く。その声色はいやに静かで、握っていた手にも力が籠っていたように思う。
「うん?」
「このお船は、どこへでもいけるの?」
「あー……まぁ、そうだな……行き先は親父が決めるし、おれたちが自由に決める権利は無いが、この海の果てまでも、どこへだって行けるだろうな」
「……、…………いいなぁ」
「はは……海賊ってのも、楽しいことばっかりじゃないぞ」
「そうなの?」
彼女の瞳が、おれたちを捉えて問いかける。
「そりゃあそうだろうよい、海に出たからって楽しいことばかりじゃないし、むしろ危険な事も多いよい。」
「……だから嬢ちゃんがうちに来るには少し早いかもしれないな」
先手を打つとは大人気なかっただろうか。少女はおれの回答を受けるや否や、子供らしく唇を尖らせる。これだから子供ってやつは分かりやすいんだ。ただ、親父が子供ってのは可愛いもんだといっている意味が、今ならなんとなく分かる気がして、おれは彼女の前で目線を合わせるようにしゃがむと、彼女の頭に手を乗せた。
「ははっ!可愛い顔が台無しだぜ」
「だって……」
「……、……まあ、そうだな。……嬢ちゃんが今よりもうんと大きくなって、まだうちにきたいって思った時には…このおれが親父に口利きしてやるよ」
「ほんとうかなぁ……」
「おーい、疑い深いな」
「だっておっきくなったら、わたしのことわかんないかもしれないでしょ?」
「あー……」
「お兄ちゃんがわからなくなるくらい、とってもかわいくなっちゃってわからないかも……」
「はは、大きく出たな」
「すげぇ自信だねい」
まぁ確かに、少女はまだ小さい。それに出会ったばかりで、たった一時間の縁だ。だから彼女がこの先大きくなったとして、おれは気付けないかもしれないし、そもそも今日の出来事すら忘れている可能性だってある。だから彼女が疑いを向けるのも無理はないのだが、自分が可愛くなるから分からなくなるのではという考えに至るのは恐れ入った。これも子供だからだろうか。
「だから……んと……そのぉ……」
そんな自信家がもじもじとすれば、おれたちは気にもなるわけで、「どうした」と問いかけると少女はおずおずといった様子でおれの首元を指さすと「サッチおにいちゃんのそれが欲しい……」と控えめにおねだりをしてみせた。
「それ……って、これか?」
少女が指したのは、煌びやかな宝石でもなければ、ブランド品でもないただのスカーフだ。それも普段からよく巻いているせいで、少しだけくたびれて、とてもじゃないが価値のあるものには見えないし、事実、価値のない代物だ。だからどうして彼女がそれを強請るのか分からない。
「これがいいのかよい」
マルコが尋ねると、少女は何やら必死な様子で首を縦に振る。
「だってこれがあったら、おにいちゃん思い出してくれるでしょ?」
「あー……まぁ、そうだな、じゃあ目印と友好の印ってことでやるから、また大人になったら見せにきてくれよ」
「ゆうこう?」
「そ、友達ってことだな」
言いながらおれはスカーフの結び目を解くと、スカーフを手際よく折りたたみ、少女の小さな頭に包み込むように巻いた。そして、スカーフを結ぶために端を結び目のところで結び「これでどうだ?」と言うと、少女は驚きながらも、自分の頭に巻かれたスカーフをそっと触ると目元を和らげる。
「にあう?」
「おー似合う似合う。こんだけ目立つもんしてりゃおれも忘れないだろうな」
「確かに印象には残るねい」
「へへ、ありがとう」
少女は頬を緩ませる。頭のターバン巻きにしたスカーフも気に入ったのだろう、彼女はちょいちょいと触っていたが「一人で帰れるか?」と尋ねると、そうだったと思い出したような顔をしたかと思うと「うん!私一人で大丈夫だよ!もう帰る理由が出来たもの!」と先ほどと印象が変わるほどに言葉が紡がれる。
なんと言えばよいのだろうか。
舌ったらずな子供が、急に成長を迎えたような。
なにか胸がざわつくほどの違和感に気付いて、彼女の顔を見た頃には、彼女の姿は無く、「マルコお兄さん、サッチお兄さん」という言葉に引っ張られて顔を上げると、彼女はいつのまにか船べりへと上がっていた。先ほどまでは足を引くようにして歩いていたのに、怪我をした足を軸に立って片足を浮かせた彼女は猫のように瞳を半月に描いている。
「嬢、……ちゃん…?」
「あのね、いま海賊の私物を一つ持ち帰ってくるようにっていう実践授業中だったの」
「は?」
「……美味しいナポリタンを食べさせてくれたのに騙すのは心苦しいけど、お陰でノルマクリアしちゃった。」
「あ、でもナポリタンが一番おいしかったのは本当だよ」「味の感想だって本当」くすくすと、くすくすと。一人で言葉を重ねる少女は嗤う。先ほどまでの可愛らしい子供は一体どこに行ったのだろう。そうして肩をゆらゆらと揺らして笑うひとしきり喋り終えると、此方が言葉を返す前にトンと船べりを蹴るようにして後ろに倒れて落ちていく。咄嗟に、彼女に向けて手を伸ばしたが、手は空を切るだけで、身を乗り出して見下ろした頃には彼女の姿は無く、ただ静かな波がモビーディック号の船体をゆりかごのように揺らしていた。
「……はは………狐に化かされたみてぇだ……」
「…………幽霊の方がまだ可愛かったかもしれねぇよい」
「……言えてる」
遠くで、笑う少年少女の声が響く。それは潮風に乗って彼らの耳に届くことはなかったが、「カク!無事にゲットできたよ!」「おお!でかした!それじゃあ帰るとするかのう」そんなことを話す彼らの声は喜びに満ちていたとか。