他愛のない話をもう一度

 世界政府の直轄地であるエニエスロビーに、海軍犯罪捜査局が突如として訪れたのは、まさに予期せぬ出来事であった。複数名の局員と局長である黒馬・テンセイ。下級役員に案内を受ける彼らは、先ず裁判所に向かいそれから司令長官室を訪ねたが、決して愉しい雑談とは相成らない。
 エニエスロビーを統べる司令長官のスパンダムは、決して怯みもせず、お守り程度にロブ・ルッチを後ろに控えて向けられる提案に乾いた笑いを落とした。


 海犯局が追う被疑者の行く先々に、サイファーポールが関与していると気付いたのは一カ月も前の事。大方、任務被り同じホシを追いかけていたのだろう。であれば協力体制を築く事が任務遂行への近道だが、幾ら情報の開示要求しても返事は無し。それどころか、こうして局長自らが来島しても白々しい嘘を重ねて笑いを滲ませる。

「いやァ、此方も任務が滞っておりまして」

 全く、忌々しい限りだ。
 テンセイは憤懣遣る方無い様子で司令長官室を後にする。ほか局員たちはその様子に島内に情報が無いか探してくるとめいめいに動き出すものの、白々しく語るような連中がそのような爪の甘い事をするものか。テンセイは下級役人の胡麻擂りを聞き流しながら息を吐き出すと、「テンセイさん?」と厳格な場には不相応な弾む声が袖を引いた。

「ああっ、やっぱりテンセイさんだ!」
「おう、嬢ちゃんか」

 久しいな、と出かけた言葉が引いて代わりに手が伸びる。しわがれた手は彼女の頬に。そこには真新しい痣が残っており、微かに鉄臭い匂いが漂うのは任務後と言う事か。一度ばかり会話をしただけの彼女は唐突な接触に驚きながらも、手を拒む事なく問いかけに瞬いた。

「……こいつァ、誰にやられた」
「え?……ああ、いえ、これは身内ではなくただの仕事で」

 しくじっちゃって。気恥ずかしそうに笑む彼女からすれば、こういった負傷は初めての事ではなく、ただの雑談の種にもならない。頬に添えられた手の温もりに双眼を細めたアネッタは場の雰囲気を和らげるよう笑みを一つ浮かべると、「それよりも、どうして此処に?」と言い、頬を摺り寄せた。

「うん?…あぁ、前に言うたじゃろう。情報が一向に降りてこんと」
「ああ、それで交渉にきたわけですか。……どうでした、交渉は成功しました?」
「成功したように見えるんか」
「いいえ、全く」

 軽い調子で笑うと、頬に添えられた手が一度だけ頬を抓る。怪我を考慮しているのか決して痛みは無いが、それが彼の機嫌を語っていると仮定するならば多少のフォローが必要か。アネッタは下級役人に向けて下がるよう伝えて告げ口の可能性を一つ潰せば「行きましょうか」と、ザアと風鳴る塔外を歩き始めた。
 本件の発端は、政界の重鎮であるロドリゴ・ルーベン氏が何者かによって殺害された事から始まる。当初、事件は盗難目的の強盗殺人と見なされたが、そのような痕跡は一切無し。後に犯人として逮捕されたのは貧困街の住民であり、動機は個人的な恨みによるものであると供述したが、ここで疑問が生じる。日々の食事にも困窮する貧民が、持ち歩いていた現金や、手っ取り早く現金化できるであろう装飾品に一切手をつけなかったという点だ。
 加えて、遺体には刺し傷が一か所のみ確認されており、一撃で致命傷を与えたことが伺えるが、はたして個人的な恨みを抱く者が、一刺しで冷静に相手を殺害することができるだろうか。感情に任せた犯行であれば、相手が確実に死亡したかどうかもわからぬまま、何度も刺している可能性が高いと考えられるが……。

 ただの怨恨騒ぎにするには腑に落ちない感覚。その状況を語るテンセイの足取りは重く、隣で足を止めたアネッタは、神妙な面持ちで口を開いた。

「もお!私に言っても話しませんってば!」
「おお、つられて口を滑らせるかと思うたが、案外口が堅いのォ」
「私のことなんだと思ってるんですか……?!」

 肩にかけた海軍コートを揺らしてお道化るテンセイと、地団駄を披露するアネッタ。それはさながら爺と孫にも見えるが、そのような関係性にしては些か会話内容が物騒か。アネッタはいくら文句を言っても笑うばかりのテンセイに唇を尖らせながらも正門奥にある駅前で足を止めると、小さく息を吐き出した。

「ほらほら、テンセイさん駅につきましたよ」
「……随分と早くついちまったな」
「どうだか」

 多少の軽口はご愛敬。小生意気に白々しさいっぱいで肩を竦めると、テンセイは彼女が人懐っこいと評される訳だと笑い、その人懐っこさに付け入るよう細い手首を掴んで己の懐まで引き寄せる。「まだ、組織の橋渡し役に関しては諦めたわけじゃあないぞ」背中をなぞるような低い声での囁き。その声は暗に情報の受け渡しを要求しているが、もしかしたら厄介な人に目をつけられたのかもしれない。
 背後で聞こえる甲高い汽笛と、蒸気を上げる煙突。テンセイは先に戻った局員からの声掛けに手を離すと「……さて、次は甘えもんだったか。嬢ちゃんが気に入るような、とびきりのもんを用意しておこう」そう伝えて、幾ばくか体温を上げた彼女の頭を撫で、海列車へと乗り込んだ。