「?あぁ、トリュフチョコを貰ったが」
「チャパパー、おれはクッキーをもらったぞーカワイイフクロウだったなー」
「……おれはラングドシャで、ハットリが豆だったな」
「あぁ?あー、試作品も含めりゃクッキーに生チョコに、あとはなんつったかフー…フ、フロランタンも貰ったなぁ」
二月十四日、バレンタイン。この日は、女性から男性へ想いと共にチョコレートと贈る日だ。といっても今や友チョコ、義理チョコという派生文化により、愛の告白なしに軽い気持ちでチョコレートを受け取る機会が増えた今日。それなのに、いつになく浮かれているのは、付き合って初めてのバレンタインデーだからなのだが、本命バレンタインチョコが貰えずに時計が回って二十二時。おや?と思った頃にはとっぷりと日が暮れていた。
不思議に思い、養護施設で暮らす男数名に何か貰ったかと尋ねる。唐突にアネッタから何か貰ったかと尋ねられた彼らは不思議そうに首を捻りながらトリュフチョコだのクッキーだのと貰ったものを挙げると、わしに向けて問いかける。お前は一体何を貰ったのだと。
つまりは、わしだけが貰っていないらしい。
強請るにもアネッタは今日に限って忙しかった。委員会に、お使いにと予定が立て込んで、遅くに帰ってきたかと思ったら「私もうごはんいい…眠い…」とかなんとかいって、バレンタインチョコのバの字もなくさっさと部屋に引っ込んでしまった。それから宣言通り、夕食の時間を過ぎても出て来ることなく、時刻は二十二時時過ぎ。あと二時間もすればバレンタインが終わってしまう。
消灯時間は過ぎているが、本当の自由時間とは消灯時間の後にやってくる。というのはジャブラの談。同室の子供たちが寝静まった頃に部屋を抜け出したわしは、すぐ隣にあるアネッタの部屋へと忍び込む。流石にこの時間には起きているだろうと思ったのだが、まだ眠っているのか、部屋の中は奥にある机に備え付けられたデスクライトが光っているだけで暗く、部屋自体も寝静まったように静かだ。
「……まだ眠っとるのか」
ベッドに体を倒して眠る姿を見て、それからあたりを見渡す。
アネッタの部屋はシンプルだ。中央に机と端にベッド、その隣に小さなサイドテーブル。一人部屋なのだからもっと好きなものを置けば良いだろうに、大きな家具はそれだけしかなく、机の上には栞の挟まった小説と、それからくしゃくしゃに丸まった厚紙と、カラフルなペンがいくつか転がっていた。机の端に置かれた複数の写真立てにはわしとアネッタの写真であったり、みんなで撮ったもの、それから同じクラスのキャロットやサボと取った写真があり、その中からサボが映った写真立てをぱたんと倒すとわしの視線はベッドで眠る彼女に。
確かに食事は不要だといっていたが、まさか本当に朝まで眠る気だろうか。制服姿のまま、髪も結んだままで眠っているあたり、寝落ち状態だと思うのだが、このまま眠ったらスカートに折り目が付くだろうに。うん。それに髪の毛だってそのままだとゴムで縛った跡がついてしまう。大丈夫、十分に理由はある。
そうして幾つかの理由を胸に、彼女へと近付いて隣に腰を下ろすと、ぎしりとスプリングが軋む。
それでもアネッタは目覚めない。部屋の中にはすうすうと規則正しい寝息と、それからベッドサイドに置かれたいつかの誕生日にくれてやった時計が静かな音色で鳴り響いている。
「アネッタ」
言いながら、眠る彼女の顔横に手をついて見つめる。長い睫毛は伏せられたままで、「アネ」ともう一度彼女の名を呼ぶと睫毛は上を向き、いまだ未覚醒の瞳がわしを見上げて「ん、ぅ」と音を溢す。それから暫くわしを見つめたあとは、ふにゃふにゃと芯の無い柔らかい笑みが溢れて「カク、おはよ…」と横にある手に頬を摺り寄せた。
しかし、アネッタからすればもう翌朝になったとでも思ったのだろう。もそもそと寝返りを打ってサイドテーブルにある時計を取ると、暫くその盤上を見ていたが今の時刻が朝ではなく二十二時だと分かると「あれ…まだ夜だ」と目を瞬かせていた。
ともすれば不思議な光景だ。朝にもなっていないのに起こしにやってきた幼馴染に、わざわざ押し倒すように顔横に添えられた手のひら。いくら鈍感でもこの状況は違和感があったようで、アネッタは時計をサイドテーブルに戻すと、少々気まずそうにいってわしを見上げる。
「えっと、どうかした……?」
そこにはバレンタインなんてイベントの色も匂いも無い。「……何か忘れとらんか?」とヒントを与えてみたが、アネッタはまるで分っていないような顔で暫く考える素振りを見せた。
「えっと、……カクのバナナ食べちゃった」
「それは知っとる」
「あ、借りた小説返してないこと?」
「それは早く返せ」
「小難しくてなかなか読み終わらなくて…」
「まぁ…別に構わんが、そうじゃない。他にあるじゃろう」
「………あ、おやすみ?」
「違うわい」
「ええ……」
おかしい。バレンタインが全く結びつかない。まさか本当にわしだけチョコレートを用意していないのだろうか。いいや、ここ数日は喧嘩なんかしていないし、何よりアイツらが貰えてわしが貰えない理由がない。ほかにも色々と理由を考えてみたがどうにもしっくり来ず、その間にもアネッタはほかには何かやらかしたっけなって顔を見せる。どうしてそんなに次から次へとやらかし候補が出てくるのかと尋ねたい気持ちはあるものの、いまはそれをぐっと堪えて、大事な本題を彼女へと向けることにした。
「……まだバレンタインチョコ…貰っとらん」
こう見えても、わしはモテる方だ。だから今日だって、付き合っている奴がいると公言して断っているにも関わらず、チョコレートをいくつも押し付けられて帰ってきた。だから今まで生きてきてチョコレートを不足した試しはない。それでもなお、こうして部屋へと押しかけてまでチョコレートを強請る姿というのはどのように見えているのだろう。欲張りか、滑稽か。いいや、滑稽だったに違いない。だが、ありったけの勇気は出したつもりだ。
なのにアネッタときたら、口を開けてぽかんとしたままで何も返しやしない。
一秒、二秒と沈黙が続く。
「……何か言ったらどうじゃ」
「わざわざ…それだけのためにきたの?」
「……、…悪いか」
「……いや、随分可愛いことしてくれるなって」
アネッタは目元を和らげる。それから機嫌よく眠たげな瞳を細めて笑うので、それを暫く眺めたのち、少しばかり身を屈めるようにして目尻へとキスを贈る。これはちょっとしたアネッタへの悪戯で、てっきり恥ずかしがるかと思ったのだが、アネッタはまだ半分寝ぼけている。
恥ずかしがる素振りなんて見せずにふにゃふにゃと笑うと「んふふ、甘えん坊だ」と零した。
「大丈夫、ちゃんとあるよ。本当は学校で渡そうと思ったんだけど、やけに今日は頼まれごとが多い日でさぁ……、やっと渡しに行けると思ったら移動教室でいなくて…」
言いながら、ベッドに手をついたアネッタは身を起こす。ともすれば、彼女に覆いかぶさるよう半身を向けていたわしとは距離が縮まるわけで、同じ高さでばちりと目が合うと、今更ながら意識をしたらしい。アネッタの金色の瞳が僅かに揺れて、すいと背いたが其れを追いかけるようにして彼女の唇に短く口付ける。それから離れたことで、空いた唇を親指の腹でなぞると目の前の顔がじわじわと赤くなり、もう一度だけ揺れた瞳が「何よ」なんて言いたげにわしを見つめていた。
そうして暫く経って、わしはこげ茶色の袋を受け取る。渋い色身に映える黄色のリボンで結ばれたそれには、厚紙にパンチで穴を開けただけのメッセージカードがついており、彼女の目の前ではあるがそれを捲ると「ハッピーバレンタイン!」という文字とその下には「付き合ってはじめてのバレンタインなので、今回はスペシャルだよ!」というメッセージが書かれていた。
付き合って初めてという割に随分と色気のない文章だとも思ったが、その一方でそこに並ぶ文字を見て頬が緩んでいたらしい。アネッタは少しばかり気恥ずかしそうな顔で「メッセージカードだけでそんな満足そうな顔しないでくださいな」と笑った。
「おお……凄いのう」
袋の中身はたくさんのお菓子が詰まっていた。クッキーにフロランタンにラングドシャにトリュフチョコ。ああ、そうだ。これは彼らがアネッタから貰ったお菓子たちだ。
「ふふ、凄いでしょ。これね、他のみんなに作ったものなんだけど、作るなかでい…っちばん仕上がりがいい奴ばっかりを集めたんだよ。」
だからスペシャルなんだよって笑うアネッタ。
「……わはは…本当じゃのう、スペシャルじゃ」
別に彼女から本命のチョコレートを貰えれば中身はなんだってよかった。なのに、用意されたものは明らかに他とは差を見せた、まさにスペシャルなもの。手作りの品というのはお金に変えられない価値があるとよく言うが、まさにこれはそうだ。どんなものにも代えがたい、わしだけの、世界に一つしかないものだ。そう思うと食べてしまうのは勿体ないとも思ったが、きっとこれは食べなければ意味がない。彼女もそれを望んでいる。アネッタはやっぱり気恥ずかしそうな顔で「へへへ、今日は遅いからまた明日にでも食べるといいよ」と言っていたが、構わずにその場で一つ、個包装されたトリュフチョコを取り出した。
「いいや、いま食べる」
「太るよ?」
「今日だけなら大丈夫じゃろ」
言いながら、ここでふと思いつく。内容はとても下らない事ではあったが、袋を彼女に渡して、首を傾げるアネッタに向けて分かりやすく「あ」というと、アネッタはしぱしぱと目を瞬かせる。ただ、すぐに意図を理解したらしい。
「あ、甘えん坊~~」
そういって呆れたような顔を見せた。
だが、彼女は甘い。自分で食べなさい、なんて言わずに袋を開いて、個包装されていた一粒のトリュフチョコを取り出せば開いた口の中にころりと転がしてくれた。口の中で転がるトリュフチョコは口内の熱でじわりと溶ける。次に広がる柔らかな甘味に思わず目元が緩んで「ん、……うまい」と感想を溢せば、アネッタはどこか誇らしげに笑った。
「………ねぇ、カクってさ、もしかしてすごーーーく私の事好きだったりする?」
暫くして、アネッタが問いかける。
「……なんじゃ、藪から棒に。好きじゃなきゃ付き合っておらんじゃろ」
「いや、好きでいてくれてるっていうのは分かるの。でも、普段は余裕です~って顔してるのに、こうやってバレンタインだからってチョコを受け取りにきたりするからさ。結構、必死だったりするのかなって」
その言葉に、わしは笑った。彼女はいかに自分が好かれているか知らないのだ。彼女から続く縁の糸を辿って、長い年月を経て、もう一度取り戻すことが出来た。やっと同じ寿命になれたのだ。今度はうんと、手放しに幸せにならないと。
「…フフ、…知らんかったか?」
不思議そうな彼女は見ながら、顎を掬ってもう一度だけ口付ける。触れるように、食むように。唇は語る事無く、ただ戯れるだけであったが、少しでも己の持つ感情が彼女に伝われば良いと想いを込めた。