カクが居なくなって三日が経った。
はじめは大人たちも脱走か、それともどこかで迷っているのかと慌ただしい様子であったが三日経った頃には不自然なほどに落ち着いていて、グアンハオで共に鍛錬に励む候補生たちの間では死んでいたらしいとか、親の元に帰っただとか、不確かな情報が錯綜していた。
「すまん、此処で一緒に食べてもいいじゃろうか」
「え、あ、はい」
食堂の隅でなんとか死守できた野菜の屑が入りのシチューとパンを食べていると、カクが行方不明になった二日後に入れ代わり立ち代わりで入ってきた”シカク先生”が私の向かいに座った。
真っ白なコートに真っ白でふわふわのシルクハットを被るシカク先生は、頭のてっぺんからつま先まで、黄色いネクタイ以外は殆ど白で統一しており、このグアンハオでは少し、いや、かなり目立つ存在だった。そのため私の向かいに座るシカク先生を見て、まわりの候補生たちがひそひそと此方を見ながら「やっぱりカクに似てるよね」「わかる、もしかしてカクのお父さんなんじゃない?」「シカクって名前だしね」とひそひそ話をしており、シカク先生に突き刺さるような話題が見ていて痛々しいというか、なんというか。
確かに名前もそうだが、四角くて長い鼻に長いまつ毛でまん丸のくりっとした瞳は、三日前に行方不明になったカクとよく似ている。しかし彼がカクの父親であるかなんて、彼が先生として入ってきた当日に確認済みで、彼はカクのお父さんでも、血縁者でもないといっていた。
「いやー、ここのシチューとパンは相変わらずまずいのう」
わはは、と能天気に笑う先生の言葉にどよめきが走る。
しかしシカク先生はそんなことどうでもいいのか、気づいていないのか定かではないが、どよめきのなかシチューが入ったお椀にスプーンを沈めると、野菜のクズたちを拾い上げてから溜息を零した。
「あの、シカク先生、あんまりそういうこと言わない方がいいんじゃあ…」
「いやぁでもまずいものはまずいからのう……というわけで〇〇、わしの代わりに食べてくれんか?」
「え、あ、でもこれ食べたら先生のが無くなっちゃう…」
「いいんじゃ、わしは腹が減っておらんからな。それよりもおぬしは他よりも小さいからもっと食べるべきじゃ」
そういってシカク先生はシチューが入ったお椀を取ると、もう少しで完食だった私の方のお椀にシチューを注いで、さらにはまだ手もつけていないパンをトレーの上に置いた。シチューが二杯にパンが二つ。いつもよりも豪華とも言えるラインナップに心が躍りはしたが、反面、やはり頭の片隅にいる行方不明となったカクのことがどうしても気になって、パンを取ろうとした手がぴたりと止まってしまった。
「ん、どうしたんじゃ?」
「……友達が、ごはんちゃんと食べれてるかなって、思って」
「あぁ、……わしに似ておるカクという少年か?」
「はい。………カクもまわりの候補生に比べたら小さいから、…、……。」
考えているうちに鼻がつんとして、私はそれを誤魔化すように鼻をすすってからパンを手に取った。シカク先生は優しいから私を咎めることはないかもしれないが、これ以上弱音を吐いてしまったら他の大人たちに聞かれたときが怖い。
弱音が出ないようパンを頬張ってしまえば、私の向かいで頬杖をついたシカク先生はどこかしみじみといった様子で呟く。
「〇〇はその少年の事が好きなんじゃのう」
しみじみと言われた言葉は少しばかり唐突で、頬張ったパンを一度かみちぎってから咀嚼を繰り返しながら考えてみたものの、あまりピンとはこなかった。
「好き?」
「あぁ、だってわしとおる時はずーっとその少年のことを気にかけとるようじゃったからな」
「……うーん、…でも、んん、……でも、好きかきらいかでいったら、好きです。カクはいっつもわたしのことまもってくれるし、わたしがうまくできないこともいっぱい教えてくれてやさしいし、……あとはじめてともだちになってくれたから。」
好きという言葉なんて言われたことがなかったからやはりピンとは来なかったけれど、自分から声に出してみると妙にこそばゆいような、それでいてじんわりと心が温まるような。けれど私の言葉にピンときていないのか、質問を投げかけてきたシカク先生に視線を向けると、シカク先生は頬杖をついたままだったが口角をひくひくと吊り上げて――にやけていた。
それがあんまりにも不思議で、「シカク先生?」と声をかけると、シカク先生は珍しくびくりと肩を揺らしてから此方を見た。
「んお、ん、んん、なんじゃ」
「だって、なんかにやにやしてるから……」
「んんん、いや、なんでもないんじゃ。そうか、……そう思っておったんじゃな」
そういってシカク先生は少しばかり眉尻を下げると、何やらこそばゆそうに笑っていて、私が最後まで食べ終わるまでずーっとにこにこと笑いながら私を見ていた。
そういえばシカク先生の袖から覗いた手の甲に、数字が刻まれていたが、あれは一体なんなんだろう。
*
「いいか、〇〇の悪いところは直前で目を瞑るところじゃな」
「目?」
「あぁ、おぬしは怖いとか、あとは恥ずかしいとか、何かあると目を瞑る癖があるじゃろう?それで、相手の動きに対して見極めが出来ておらん。」
「で、でも見たとしても……その、……負けちゃうし」
「?なぜ負けたと決めつけるんじゃ。〇〇は人よりも目が良いからな、目を瞑らずにいればある程度の攻撃であれば見極められる筈じゃから、最後まできちんと見ること。それをまずは意識してみるのはどうじゃろうか。」
わしが過去にやってきて四日目。わしがわしであることの証明は、実力主義社会のサイファーポールでは容易く、日数こそ少し経ってしまったが無事に証明が済み、グアンハオに先生として潜伏することに相成った。そんなわけで”先生”として滞在することになったわしは、幼い〇〇に指摘と、それから一つだけアドバイスを行って、ジャブラ対〇〇の組手に向かわせたのだが、上級生と言っても謙遜のない実力を持つジャブラと、最年少の組み合わせで始まる組手に、周りの候補生たちが「あーあ可哀そう」といいながら小馬鹿にするようにくすくすと笑いを向ける。
確かに、そもそも実力があっていないのだから組み合わせとしては最悪だとは思う。しかし実践で戦う相手を選ぶことが出来ない以上、これは必要な鍛錬だ。なので〇〇には挫けずに頑張ってもらいたいところだが、小馬鹿にする言葉が彼女に届いてしまったのか、きゅっと唇と一緒に瞼を閉じたので小馬鹿にした候補生をじろりと睨んで黙らせた後、彼女に向けて声をかけた。
「〇〇!わしが言ったことをもう忘れたのか!」
びくりと弾む肩。〇〇はハっとしたような表情を浮かべるとわしを見てこくんと頷いた。
「いいか泣き虫〇〇、悪いがおれは手加減しねぇからな」
ジャブラがニタニタと口角を上げて笑う。完全に〇〇のことを舐めておるのじゃろう。
開始という言葉を皮切りに、重心を低く下げたジャブラは地を蹴り、六式の一つである剃を使用して一気に懐まで距離を詰めると、握った拳を一気に〇〇の胸に叩き込んだ。――が拳が空を切ってジャブラは目を見開き、わしは口角を上げた。
ジャブラが前に突き出した拳を避けるようにと紙絵よろしく後ろ側に反って両手を地面についた〇〇は、そのまま後ろにバク転をするように砂と一緒に両足を上げて蹴り上げる。狙いとしてはジャブラの顎を狙ったようだが、ジャブラは一瞬でそれを見切って背後に数歩下がって距離を取ると、わずかに足がかすった顎を手の甲で摩り舌打ちを零した。
「くっそ、マグレか……?!」
「……」
驚きと最年少に避けられた挙句、足を掠められた屈辱に悔しそうな表情を浮かべるジャブラとは対照的に、自分の手のひらを見つめて、何か手ごたえを感じた〇〇は瞼を閉じる代わりに拳をぎゅっと閉じてから、前に構えた。
「ハッ、たった一度掠っただけでもう調子にノってんのか?」
「調子にノってなんかない、よ!」
「ああそうかよ、悪いな〇〇。おれももう油断しねぇ。」
ジャブラが言いながら、同じように拳を握って構える。
しかし、意外にも先に動き出したのは〇〇で、剃には満たない速度だがジャブラの懐に入り込むと、体の小ささを生かして顎に掌底を一発叩き込み、ジャブラが後ろに大きくのけ反った。しかし、流石は上級候補生というところか。大きくのけ反ったもののその状態で、がら空きの両手を伸ばして〇〇の首を掴むとぎりぎりと締め上げた。
「あ、が……ッ」
〇〇が眉間に皺を寄せながら呻く。一気に形勢逆転され、のけ反る身体を起こしたジャブラはぎらぎらと目を光らせながら首を絞めて「ほら、苦しいだろ?わたしの負けですっていえよ!そうしたらやめてやるからよぉ!」と声に愉悦を滲ませながら零したが、中々求める言葉が帰ってこない上に〇〇はまだ表情を歪めるだけで瞳はジャブラを見ていたので、ジャブラはぎし、と軋むほど奥歯を噛みしめた。
「お前…ッ!!」
「……っまだ……ッ、ぅく……」
恐らく、この場にいたわし以外の者は全員ジャブラが勝ったとそう思ったはずだ。
しかし〇〇はその中でもまだ諦めていないようで、一瞬ジャブラの手が緩んだ瞬間、その場で飛び上がると地面に向けて体を捻り、その方向へと足を出してジャブラの側頭部を蹴ると威力は足りないようだったが、追撃のようにしなる竜の尻尾が側頭部に追い打ちをかけたことで、ジャブラの体がぐらりと横に倒れた。〇〇の足はともかく、ふいうちとして出た竜の尻尾は岩のように硬く、これで頭を殴られたら誰だってああなるだろう。くらくらと脳震盪を起こして動けないジャブラの方へと距離を詰めた〇〇は、「先に膝をついた人が負け。……そうだよね、ジャブラ」と問いかけながら見下ろした。
「くっそ…!尻尾使うなんてずりィだろ、いつ出したんだよ!!」
「へへ、尻尾を使ってはいけないってルールはない、でしょ!」
「そ、……っ、……そりゃそうだけどよ…!…あ~~~~~~~~っ、くそ!!!」
そういってジャブラはいつもよりも少しばかり自信をつけた〇〇の体を軽く押すと、苛立ちを吐き出すように声を上げてからその場にしゃがんで腕立て伏せを始めた。負けた方が腕立て伏せ100回と決めたルールを律儀に守るあたり、ジャブラは口こそ悪いが根は腐っていないようだ。
周りの冷ややかな視線を向けていた観客たちも、ジャブラが最年少に負けたことに対して驚いていたようだったが、それよりも初めて白星をあげた〇〇を見てひそひそとみていた。しかし、〇〇はもうその声に耳に傾けることはなく、組手を見ていたわしの方へと駆け寄った。
「シカク先生!わたし、できたよ!はじめてジャブラに勝てたよ!!~~~~っシカク先生だいすき!」
そうやって興奮冷めやらぬ〇〇が無邪気に笑って抱き着いてきたから、緩みそうになる口角を必死に抑えながら彼女の頭を両手で撫でまわした。
そのとき手の甲に刻まれた1という数字が目に入る。どうやら時間は残されていないようだ。わしはそれを見て見ぬふりをして、嬉しそうにニコニコと笑む彼女を抱き上げてやれば嬉しい嬉しいと喜びを隠しきれない彼女がぎゅうと抱き着いた。
「えらいのう、…なにか頑張ったご褒美をあげないといかんのォ」
「ご褒美?」
「あぁ、折角ジャブラに…上級生に勝ったんじゃ。それぐらいやっても良いじゃろう…ん~~そうじゃな、夜抜け出してカクを探しにいくとはどうじゃろうか」
わしはそういって元々考えていた提案をあげて、にっこりと笑った。
ああ、早く彼女を壊さねば。
*
手の甲に刻まれた数字が0になった四日目の夜。わしはいまいち物足りない感覚に眉をひそめていた。
折角、過去にタイムスリップしたのだからと、わざわざ先生を名乗って幼い〇〇に接触を図ったというのに、数日間では彼女の能力を上げることが精いっぱいで、肝心の、大人になっても続く”平穏や幸福への希望”を打ち砕くためのきっかけがなかったのだ。残された時間が一体どれだけあるのか分からない今、時間は有効的に使わねばならない。
消灯時間を過ぎて暫くたった頃、彼女の部屋へと訪れると膨らんだリュックを背負った〇〇が部屋の前に立っていたので少しばかり急ぎ足で駆け寄ると、幼い〇〇は今よりもずっと短いショートヘアのくせっけを揺らして笑みを浮かべた。
「シカク先生!」
「おお、待たせたようじゃな?」
「ううん、大丈夫です」
「眠気は?」
念のために問いかけると、〇〇はぽかんと鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべたが、すぐに破顔しては、両手で拳を握って、元気いっぱいのポーズをしてみせた。
「大丈夫です、カクを探しに行くんだもん。ねむいとかいってられないもん。」
「わはは、その意気やよし!じゃな。」
わしは一度膝を折ってしゃがむと、小さな〇〇に向かって腕を開いておいで、と声をかける。
それに少しばかり嬉しそうに近寄ってきた彼女を抱きかかえては「急ぐぞ」とだけ断りをいれて、久しぶりの全速力で階段を駆け上がり、ぽっかりと大きく空いた窓から外へと飛び出した。風を全身で受けながら飛ぶようにして進む体。抱きかかえた〇〇はあまりの勢いに怖いのか、わしの服をぎゅっと握りしめていたが、約束通り瞼は閉じずに外を見つめては、小さく「わぁ」と感動とも、驚きとも取れる声を零していた。
そうして何度かのジャンプを繰り返して有刺鉄線が張り巡らされた場所へとやってくると、〇〇は物々しい雰囲気に不安そうな顔を浮かべながら、また服を強く握りしめた。
「大丈夫じゃ、先生がおるじゃろう?……それに、四日目にも経って見つかってないのであれば、この先を行ったのかもしれん。」
「カクがどうして……この先に……。」
「……どうする?やめておくか?」
「……ううん、わたし、この先にいってみたい!だってカクがいるかもしれないんだもん!」
「よし、じゃあこの先を進むとしようかのう。この先では歩けるか?」
「はい!」
そういってやる気いっぱいに返事をする〇〇の姿にほくそ笑むと、立ち入り禁止と書かれた札を下げる有刺鉄線を飛び越えて、少し先を歩いたところで足を止めた。
ここから先は立ち入り禁止区域。決して進んではいけない禁じられた領域だ。
そこに〇〇を下ろしてやると、〇〇は木々の続く先を見つめて不安そうな顔を浮かべたが、それを押し殺すようにリュックの紐を握りしめて、地面に落ちた木の葉を踏みしめながら歩き出した。
街灯も無いため辺りは真っ暗で、警告をするようにオオっと吠えるような風鳴りが走る。しかし風鳴りに乗る焼け焦げたような匂いが鼻を掠めて、風が通って行った方向を見ると森の奥で、ぼうと灯りのようなものが揺らめいた。
「…!…ッカク!やっぱり、やっぱりカクはいたんだ!」
〇〇は疑うことを知らない。あれがカクであると思っているのだ。
あの先にカクがいる。それだけで恐怖が吹き飛んだ〇〇はリュックを揺らしながら森の奥へと駆けてゆき、やがて森を抜けた先で足を止めた。
「もう、こんなところにいたんだねカーーーーー、……え?」
言葉が止まるのを聞いて、わしは彼女の見えぬところでほくそ笑んで、ゆっくりと後を追いながら、その先にある光景を考える。あれはそう、数十年前の今日、グアンハオにたまたま流れ着いたという不審者が脱走しようとしていた候補生を殺害したという事件があった。ともすれば目の前に広がる光景はそれと同じなわけで、〇〇は森を抜けた先の浜辺で、無残にも殺された候補生の遺体を見ては目を見開いて、言葉を失っていた。
「……ハ、…ハオ……?え…?どう、して、……、…あ……、カク!!…カクぅ!!!!どこ、カク!!ねぇ、カクってば!!!」
候補生の遺体を見て、カクは本当に殺されているのかもしれない。その考えが過ったのだろう。〇〇は酷く狼狽した様子で、絶叫するように声を上げて辺りを見回しては、何度も何度も声を上げた。なんていじらしい姿なのだろう、この場にカクと言う少年は存在しないのに、彼女はまだ此処にいると信じている。
「カク!!…っカクぅ!!!おねがい、おねがい…っ返事をして…っ!!!ひとりにしないで…、カクぅうう!!」
もはや半狂乱となって叫ぶ〇〇は暗い浜辺をかけて、足が濡れることも厭わずにざぶざぶと波を蹴りながら波打ち際へと入っていくと、暗闇の続く地平線へと向けて声を上げた。
「あぁ?なんだまだ一匹いたのか?」
「いや、でも次は女だ。女はいいよなぁ肉にしても、生きたままでも高く売れンだから。」
そこに、声を聞きつけた二人のが松明を持って戻ってくると、海に立つ〇〇の顔を見て口角を吊り上げながら声を掛けた。
「…あ、………」
こいつらが候補生を殺した男だということは、さすがの〇〇でもすぐに理解できた。
ごうごうと燃える松明の火を揺らしながら近付いた男たちは、〇〇の細い腕を掴もうと手を伸ばしたが、〇〇は寸前のところでその手を避けると、重心を低く、足にまとわりつく水を蹴って浜辺へと駆けるものだから、男たちは顔を見合わせてげらげらと笑い声をあげた。
「お……なんだすばしっこいなァ。なんだおじさんと競争がしたいのか?」
「追いかけっこも面白いかもしれねぇ…、ほら、嬢ちゃん大丈夫だって。そこの坊主みたいにおれたちに立てつかなければ痛いことなんて、しないからよォ」
恐らくは殺したあとの遺体は臓器売買、売らずに捕まえた子供は人身売買でも行っているのだろう。
このまま〇〇が鍛錬の成果を出すところを見ていても良いのだが、時間が惜しい今それをするわけにもいかず、早々に音もなく剃で男たちの背後に回ったわしは、〇〇を追いかける男たちの胸を指で貫いた。
「―――指銃。」
「あ、が……ッ」
男たちは口から血を吐いて、ぽっかりと空いた穴からぼたぼたと血を出しながら体を倒す。ああ、なんてあっけないんだ。この程度の人間だったのか。これならば〇〇が鍛錬の成果を見せるところを見ていた方が良かったかもしれない。そちらの方がこれからする事に対して、ある程度の覚悟が出来ただろうし。
「すまんのう、その子に触れるのはやめてもらいたい。」
倒れて意識を手放した男たちに言うには少し遅すぎたか。右と左で男の首根っこを掴んでずるずると引きずりながら浜辺へと戻って、〇〇の前で立ち止まるとわしはその二人を転がして視線を〇〇に向けた。〇〇はどこか怯えたような、心配をしているような、そんな複雑な色が混じり合う声色で「シ、シカク先生……」と呟いたので、わしは息を落としてからその場にしゃがんで両腕を開いた。
「おいで」
その言葉を受けてわしの胸に飛び込んできた小さな体は、ひんやりと冷え切っていて、小刻みに震えるその体を片手で抱きしめると、「間に合って良かった。」と声を掛けながら、彼女に向けた視線を体を倒す男たちに向けた。
「……〇〇、一時的にいまこの場は落ち着いたが、まだこやつらは生きておる。…とどめを刺さなければいかん。」
ぽんぽんと赤ん坊でもあやす用に片手で背中を叩く最中、空いた片手は近くに転がった男の腰元を漁って、腰に下げた丁度良いナイフを見つけると、それをずるりと抜いて重さをはかるように空に向けて掲げて見せた。月灯りがむき出しとなったナイフを照らしてぎらりと鈍く光る。
「言っている意味、分かるじゃろう?」
わしは〇〇には弱い。そう自負しておるし、だからこそ優しく伝えたつもりだったが幼い〇〇にはこの優しさが分からなかったのか、彼女の体が一瞬にして強張ったのが分かった。胸に収まった彼女の体を一度離してから、掲げたナイフの柄を彼女の小さな手に持たせると、彼女の顔を覗き込んでから穏やかに笑んだ。
「だーいじょうぶじゃ、わしが隣についてみておるからのう」
「な…え、……どうしてころ、す必要が…?」
「どうして、ってこやつらは犯罪者じゃぞ?またわしらを襲ってくるかもしれん。」
「……せ、先生……、でも、……」
〇〇が言い淀み、意識を手放した男たちをちらりと見ると、そのとき体を倒す男の手元が月の光を受けてきらりと光った。それが指輪だと分かったのは数秒後のことで、〇〇はそれを見て、言い訳として「先生、でも、この人、指輪してる」と零した。
婚約者ないし家族がいるとでも言いたいのだろう。
「大丈夫じゃ妻子は夫がおらずとも生きることはできるし、むしろ未来ある若者の挑戦を潰すほうがずっとたちが悪かろう。それに、こやつらはカクに手をかけたのかもしれん。そんな奴らを許せるのか?」
「!、……、…わた、……わたしは」
「大丈夫じゃよ、ここで殺したってお前さんが悪いわけじゃあない。……じゃから、ちゃんと目を開いて、これで刺すんじゃ」
「先生わたし、できな――」
「刺すんじゃ」
ごねる彼女に返した言葉は酷く冷めた言葉だったと思う。
この数日間甘やかしてきたこともあり、急に突き放された〇〇はやはり動揺しながらも意識を手放している男を見つめると、可哀そうなほどに震えながら男の体に跨って、震えた手で握ったナイフを強く握りしめると、大きく振り上げた。
「ああ、ああああああああああっ!!」
〇〇は声を上げながら、胸にどすん、と音を立てるほどの衝撃で心臓に突き刺すと、男の体が大きく跳ねると同時に口からごぽ、と血液が吐き出して、それっきり男は動かなくなってしまった。突き刺したナイフは骨に刺さったのかすぐに抜くことも敵わず、両手で力いっぱい引っ張ることでぐちぐちと傷口が広がって、どろりと溢れた血液がナイフを持つ指を濡らした。「なんで、なんでぬけないの…っ!」手に残る感覚も、いまこうして傷口を広げる感覚も生々しく、〇〇は浅く呼吸を繰り返しながらもむせかえるような血の匂いのなかでナイフを目いっぱい引っ張って抜いては、ぽたぽたと血を垂らすそれにまた瞳を揺らした。
「さ、あと一人。次は首が良いかのう。首は殺すときに手っ取り早いんじゃ。」
まだだ、まだ終わらせるわけにはいかない。
今度は場所を指定して、まだかすかに息が残っている男の首に線を引くように指でなぞると、〇〇は先ほどよりも嫌がる素振りを見せずにふらふらと生き残りの方へと近寄ると、男の前で膝をついてから首にナイフを宛がって、手を引くようにして切りつけると、男は首から血を噴き出しながら「が、ご…っ」と声を漏らして足をばたばたと動かした。突然暴れ出したそれに〇〇はびくりと肩を震わせると、「いや…っ!」と短く声をあげながら、手に持ったナイフでどすん!と男の胸を突き刺した。
「いや…っ、やだ、…っやだぁ…っ!!しね、…しね…っ死んでよお…っ!!」
どすん!どすん!泣き叫ぶように声をあげた〇〇は指示を受けたわけでもなく、自らの意志でナイフを振り上げて何度も振り下ろして、死に際で痙攣をしている男に刺し続けると、やがて痙攣も止まってぴくりとも動かなくなってしまった。まぁ、泣き叫ぶ〇〇はそれにも気づかずに何度も何度も、ナイフを刺していたが。
わしは適当な頃合いで振り上げた手を掴むと、彼女に視線をしっかりと合わせて穏やかに笑んだ。
「大丈夫、もうそいつは死んどる。……きちんと殺せて偉いのう、〇〇。」
先ほどとは異なり、酷く優しい声を上辺に乗せて耳元で囁いてやると、〇〇はそこで初めて骸になったそれと、自分の手や服にべっとりとついた返り血を見て、ひゅっと息を飲むと手にもったナイフを落とした。
「あ……わ、わた、わたし………」
落としたナイフはカランと大きな石に跳ね返って足元に落ちる。酷く狼狽して瞳孔を揺らした〇〇は自制が聞かずに蕁麻疹でも出すように、顔や体の一部に鱗を出しながら小さく呻いて、それから口元を抑えると、その場に膝を曲げて顔を伏せた。
「うえ、…っえ、……うっぐ、ぇあ…」
恐怖がびちゃびちゃと音を立てて液体となって落ちていく。
「う…っふ、ぅ……カクぅ……っシカ、クせんせ、ぇ…っ、カ、ク…こわいよぉ……っく、う、ひ、っく……こわ、いよ、たすけて……っ…」
「あぁ、可哀そうにのう。大丈夫か?」
「わた、し、ころしたくない、でも、ころして、ひとを、ころし…っ、ちがう、わたしは、」
分かっちゃいたことだが、気が動転しているのだろう。もはや言葉として成り立っておらず、〇〇は縋るようにわしの服を握りしめるので、わしはその場にしゃがんでから、赤ん坊をあやすように手のひらで優しくとんとんと叩く。
「いいんじゃいいんじゃ、彼らは候補生を殺したいわば犯罪者、殺したとて罪にはならんしサイファーポールとしては正しい動きじゃぞ?」
「で、でも…ころ、ころす必要なんて…ッ!」
「んん?殺さなければわしらが殺されておったんじゃ、致し方ない事じゃろう。それに、外の世界の者はこうやって弱い者や、世界でたった一人の竜人族のおぬしを狙ってくるんじゃ、じゃからわしらは仕方ないが、自分を守るために殺さねばならん」
「しか、たな…い……?」
「あぁ、この世は弱肉強食じゃからのう。じゃから〇〇は、外の世界なんて夢見ずに守ってくれる人と一緒におるべきなんじゃ。」
気付けば〇〇は気を失っていた。
小さな体にこれは大きなストレスだったのだろうか。いいや、分からない。わしは彼女が落としたナイフを海に向かって投げると、意識のない少女の体を抱き上げて、額へと口づけを落とした。
さて、彼女は壊れてくれただろうか。これで外なんて憧れなければよいのだけれど。
未来に帰ったとき今回の出来事が反映されるのか、それともIFの世界として処理されるのかは分からないが、どこかの世界線でも彼女が壊れてわしに依存することを祈った。